フォーチュン・クエスト          世にも幸せな冒険者たち              深沢美潮 人物紹介 クレイ・S・アンダーソン  ファイター。一八歳。身長は一八〇センチくらい。黒い髪で鳶色の目。  なんでも曾々爺きまが有名な聖騎士(パラディン)だったらしく兄弟全員騎士という、騎士になるべくして生まれ育った。彼はまだファイターだが、いずれはりっぱな騎士になろうと思っているらしい。ただ、彼の場合、剣の修行より剣のお手入れが好みらしく、暇を見つけては研ぎ研ぎに余念がない。  なぜか盗賊のトラップとは幼なじみで(どうして盗賊とファイターが幼なじみなのかは知らない)、わたしとルーミィがモンスターに襲われているところを助けてくれたことがきっかけで、共に行動するようになった。  武器は、先祖代々受け継がれてきたという古ぼけたロングソード。アンティークとしての値打もさるものながら、手入れが行きとどいた、その切れ味もなかなかである(時々、調理にも内緒で使わせてもらってるんだけど)。それから、この前の冒険中、手にいれたショートソードも愛用している。  防具は………。そのとこにふれると必ず彼の高く繊細なプライドを傷つけてしまうことになるのだが。実はまだ本格的なアーマーもシールドも持っていない。ありあわせて作った竹のアーマーとウッドシールドだけである。上から何度もジウルの実の渋皮をこすって塗りたくり……遠目で見れば鉄に見えるかもしれない。あぁあ、書いてしまった。まあしかたない。事実は事実だ。 トラップ  本名は知らない。一七歳。身長一七四センチ。赤毛で、明るい茶色の目。  彼の家も代々盗賊だったそうで、緑色のタイツ(わたしには、その趣味の良さをどうこういうつもりはない)も、やはり伝承されてきたいわれのある、ありがたいタイツなんだそうだ。明るいカラシ色の丈が短い上着を着て、ロビンフッドのかぶってたような帽子をかぶっている。色はオレンジ色……。盗賊ってのは、目立たない方がいいと思うんだけどね。  しかし、さすが盗賊だけあって、手先も器用だし身のこなしも軽い。ただ、そのロの軽さ、悪さも天下一品。なにかというと、わたしやその他のメンバーをからかっては楽しんでいる。  武器は、パチンコがひとつ。どっちかというと、足をピョイっと出して敵をひっくり返させるとか、肩をポンと叩いて振り返ったすきにくすぐるとか……。そんなのばっかりだ。そうそ、最近は少林寺にかぶれてて、マネごとみたいなこともしている。  後、特に記述しなければならない特徴といえば……、逃け足の速さ。まあ、とにかく速いのなんの。いつかジャイアントビーの巣とも知らずに入りこんでしまったときも、わたしたちが必死の思いで池に飛びこんだのを木の上からケタケタ笑って見おろしていたっけ。 ルーミィ  エルフ族の子供。背の高さはわたしのウエストまでもない。  シルバーブロンドのふさふさした長い髪からちょっととがった耳がのぞく。視力があまりよくないんだけど、とてもきれいなブルーアイだ。  まだよく飛べないころ、仲間とはぐれてピャーピャー泣いていたときに、ちょうど通りかかったわたしと知り合った。なにかというと「ぱーるぅ、ぱーるぅ」と、なついてくれてけっこうかわいい。  わがパーティのなかでは、唯一攻撃の魔法が使える。まあ、まだまだレベルが低いから、魔力も低く、すぐバテてフラフラになってしまうし、覚えている魔法っていっても「コールド(氷のつぶてをぶつける)」、「ファイアー(炎をぶつける)」 「ストップ(相手の動きを一時止める)」の三つだけ。その上、魔法自体のレベルも低いため、あまり役にはたたない。  武器というとちょっと違うけれど、細い銀色の杖を持っている。  ペパーミントグリーンのジャンプスーツを着ているが、これは半年前に買ったもの。はじめは薄汚れたボロを着ていて、まさか誇り高く美しいエルフ族には見えなかった。彼女にはいってないが、ここだけの話、ミノムシが何を泣いているのかと思ったもんだ。 キットン  ドワーフ族の彼は、ふと気づくとメンバーに加わっていたという感じだった。身長は一四〇センチ弱だけどガッチリした体格。茶色の髪がボサボサして、小さな目を隠している。  職業は農夫なのだが、農夫というよりは薬草を取ったり栽培したりするのが専門で、その造詣は深そうだ。また、探求心も旺盛で、雑学にも富み、そういうところは、まるでドワーフ族とは思えない。  どこから来たのかも、何歳なのかもわからない。いつもブツブツと何事かをつぶやいているが、時々こっちが飛びあがってしまうほど大きな声でケタタマしく笑いだしたりもする。  身の回りには気がまわらないというか、どうでもいいほうなので、ほっとくと何日でも水浴びをしないし、着ている服もほとんどボロと変わらない。わたしたちがそろそろ新しい服を買ったら? というが、本人独自の哲学があるらしく「ふっふっふっ」と笑いつつ結局、いつもいつも同じボロを着ている。  武器は、農夫らしく鍬(クワ)。  時々、ふらっといなくなるくせがあるが、今やみんななれっこになってしまい、キットンがいないことをアレコレいうものは、いない。 いまでないとき。 ここでない場所。 この物語は、ひとつのパラレルワールドを舞台にしている。 そのファンタジーゾーンでは、アドベンチャラーたちが、 それぞれに生き、さまざまな冒険談《ぼうけんだん》を生みだしている。 あるパーティは、不幸な姫君を助けるため、|邪悪《じゃあく》な竜《りゅう》を倒しにでかけた。 あるパーティは、海に眠った財宝をさがしに船に乗りこんだ。 あるパーティほ、神の称号をえようと神の出した難問にいどんだ。 わたしはこれから、そのひとつのパーティの話をしたいと思っている。 彼らの目的は……まだ、ない。           口絵・本文イラスト  迎 夏生    STAGE 1        1  このとき、わたしたちの目の前をふさいだ(まさに、ふさいだってかんじだった)のは、タテ三メートル、ヨコ五メートルくらいの、ぷよぷよのゼリーでありました。うす緑色でなかに白ゴマみたいな斑点《はんてん》がうかんでいる、気持ち悪いヤツ。  ヤツは、すべての皮膚《ひふ》(?)が目であり、手であり、武器なんでありましょう。わたしたちのチャチな剣では、とても太刀打《たちう》ちできないと思われたのですが。 「ルーミィ、このまえ買ったファイヤーの呪文《じゅもん》とかいうの、試してみ」  ゆいつ、|立派《りっぱ》な剣(古ぼけてはいるけど)をもっているクレイが、その剣でツンツン応戦しながらどなり、わたしはキャァキャァ逃げながらも、 「そうよ、そうよ、こいつ、きっと火に弱いはずよ!」  と、叫びました。 「えぇ——、でもお……どうやりゅの?」 「だぁら、その杖《つえ》をふるかなんかして、|呪文《じゅもん》を唱《とな》えればいいんでないかぁ?」 「えっと、えっと、しょの呪文が……あっあっしょだしょだ。メモしゅてあったっけ……」  ルーミィは、シルバーブロンドをふりふり、|必死《ひっし》にリュックから、メモ帳を引っばりだしました。 「ドゥルミイルファイルゥン……エセンパサイ……ガイラァ……ねえねえ、ぱーるう、これ、なんて読みゅのぉ??」  こんなかんじで、しどろもどろなんとか成功したのですが、|杖《つえ》からほとばしりでた炎《ほのお》っていうのが、さすがチャチであります。ヘロヘロへロォっと杖から出たものの、たぶんこれってバーベキューかなんかをするんだったら便利ねっていう効果しかなかったのです。  そして、アメーバのようなネバンネバンした触手《しょくしゅ》が…… 「ねぇ、ねぇ、ばーるぅ、おなかすかない?」 「だぁー」 わたしほ、頭をかきむしり、返す刀でペンをルーミィに突きつけ、その小さなシルバーブロンド頭をペンペンしながらいった。 「ルーミィちゃん。お・ね・が・い・だ・か・ら、わたしが書きものしてるときほジャマしないでくれる?」 「だってぇー、もうルーミィ、ペッコペコだお。ねぇ行こうよ、ぱーるぅ」  最年少の魔法使いルーミィは、わたしのことを必ず「ぱーるぅ」と呼ぶ。本当の名前はパステル・G・キング。ルーミィには「パステル」って発音できないらしい。何度も何度もいってるんだけどね。  わたしたちは、合計六人でパーティを組んでいる。彼女たちとどういうふうに知りあったのか。これは、またおいおい話していかなければなんないだろうけど、いまは前回の冒険の記録《きろく》を書くのでせいいっぱい。機会があったら昔の記録を引っぱりだして紹介したいと思う。  そう。わたしの職業は「記録係(本当いうと詩人のつもり)」。冒険中は「マッパー」というのか、ダンジョンとかのマップを記録するし、ふだんはこうやって冒険のあらましを書きとめたりする。そうやって書いた物語を村の印刷屋《いんさつや》に買いとってもらい、いくばくかの生活費にするわけだ。 「ふんだ、そぇじゃルーミィ、勝手に行っちゃうよぉ。くりぇいやとりゃっぷは、もう行っちゃったんだもんね」 「また猪鹿亭《いのしかてい》?」 「だよぉ。だってきょうは、あしょこのオヤジさんのお誕生日ときゃで、ひとりいっこだけタダなんだもん」 「飲み放題食べ放題っていうんじゃないとこが、らしいね。ノルとキットンは?」 「えっとね、あとからきゅるって。なんかプレレントを捕まえてきゅるって」        2  わたしたちが拠点《きょてん》にしているのは、「シルバーリーブ」という、ほどよくにぎわった村。  そこの「みすず旅館」っていう、半分かたむいた宿屋を寝ぐらにしているのだ。  といっても、それは野宿がつらい季節や、いまみたいにちょっぴりリッチなときくらい。ふだんはやわらかい干し草をベッドに、野宿でがまんしている。 「みすず旅館」なんて、他のペンションやホテルに比べれば、ウソみたいに安いんだけど。われわれのようにレベルの低いパーティには、それでもきびしい。  そのうえ、身の丈《たけ》二メートルをゆうにこえる大男のノルなんかは、かわいそうだがいつも野宿だ(だって、あんな体じゃベッドも床もぬけちゃうもんね)。  なんとなくうさんくさいふんいきの猪鹿亭《いのしかてい》は、いつも以上にこみあっていた。ふだんは見か けないドワーフやノームの爺《じい》さま連中まで来ている。  猪鹿亭《いのしかてい》の長女でありウェイトレスでもある、リタがこっちに気づいてくれた。 「やっほー! パステル。クレイたちは奥にいるよっ!」 「サンキュ、ひとりじゃたいへんね」 「ううん。今日は臨時《りんじ》でルタも手伝ってくれてるから」  ルタってのは、彼女の弟。冒険を夢みる一〇歳の男の子。なるほど、ガラの悪いドワーフやオークたちにからかわれている。 「てめぇら、わたしのかわいい弟、いじめたらタダじゃおかないよ!」  猪鹿亭名物、リタの大声が響きわたった。 「おーい、遅いじゃん」  クレイとトラップは、もうかなりできあがっていた。 「しょぉしょぉ。ぱーるぅ、ルーミィがいきゅらいってもグジュなんだ」 「あのねぇ。わたしは生活費のためにねぇ……」 「グーズ!」 「あによっ! トラップ。じやー、かわりに原稿《げんこう》書いてくれる?」 「え? だって、人の仕事まで盗《と》っちゃ悪いもんねぇ。いくらおれが盗賊《とうぞく》だってさ」  ひとり一品タダというだけあって、わたしもルーミィも、かなり真剣に悩んだ。一品というが、ここ猪鹿亭《いのしかてい》は大盛りで有名。うまくすれば明日のぶんまでうく。  と、テーブルを見て、わたしはアゼンとした。 「なにい、これ。ひとり一品なのよ! ひーふーみー……六皿も頼んでるじゃない!」 「そぉよそぉよ。ひーふーみー……りょくしゃらもじゃない!」  ルーミィは、なにかとわたしのマネをする。 「えぇ? だから、ひとり六皿だろ?」 「じゃぁ、わたしたちのぶんまで頼んだっていいたいの?」 「いいたいのぉ?」  ここで、すこし名誉のためにいいたい。  決してわたしが意地汚《いじきたな》いのではなく、あくまでもわれわれのきびしい経済状態を考えていってるだけなのだ。  わたしとルーミィがブイブイいってるあいだに、キットンとノルがやってきた。  大きな野生のミケドリアをノルが背中にかつぎ、店中の喝采《かっさい》をあびた。 「やるなぁ…」  クレイがビールを飲む手を止めていった。  リタが大急ぎでやってきて、 「すごいすごい! あんたたちだけ飲み放題《ほうだい》食べ放題《ほうだい》だって父さんがいってるわ」  おなかがすいて目がまわりそうだったルーミィは、それを聞くやいなや、両手でワシワシと つかみ、まるで女の子としてほ忘れてあげたいくらいの勢いで食べほじめた。        3 「ついに、底をつきやぶってたんだわ!」 「やびゅってたんだわ!」  わたしが家計簿《かけいぼ》を放りなげて叫ぶと、|蜜蜂《みつばち》をコップのなかに閉じこめて遊んでいた、ルーミィも同じように叫んだ。  コップが倒れ蜜蜂が逃げだし、昼寝をしていたキットンの鼻の頭をチクッと刺したから、たまらない。 「うぎゃぎゃぎゃぁぁ——!!」  ものすごい悲鳴。  わたしもルーミィもクレイもトラップも耳をふさいで、ついでに目もふさいだ。  キットンは、「うぎゃうぎゃ」いいながら、ピョンピョン跳びはね、外へ出ていった。  トラップがすぐ、窓から下を見おろし、うひゃうひゃ笑って、よろこぶよろこぶ。 「あははははは……キットォーン、井戸に落ちるんじゃねーぞー!」  キットンは、みすず旅館の庭にある井戸の水を頭からかぶっていたのだ。  わたしたちはまだ、さっきのキットンの叫び声でビンビンする耳を押えながら、床や机をたたいて、笑いころげた。  やっとこさ笑いがおさまって。  わたしはさっき、そもそもなにをいいたかったか思いだした。 「そうなのよ」 「にゃのよ」 「もう、ここに泊まれるだけの、お金残ってないのよ!」 「ないのよ!」  わたしが机をドン!とたたくと、ルーミィもドンとたたいた。 「で、あと、何日泊まれるわけ?」  クレイが、剣を磨《みが》きながら聞いた。 「正確にいうと……すでに泊まれない状態で、一週間もたってしまってるのよ」 「なに? それ」 「だって……ひとり一日一〇〇Gでしょ。食事ぬきでね」 「ん——、だって朝飯は、いつもここで食べてたじゃん」 「それよ! それが誤算《ごさん》だったのよ。わたしは、あれ、サービスだと思ってたのに。だって、食事ぬきでいいですからっていったのよ、最初。たのんでもないのに、毎朝、朝食が出てくる……こりゃ、ふつうサービスだって思うよね?」 「思うよね?」 「まぁーなぁー……で、ちがったわけか」 「そうなのよ! ヒドイと思わない?」 「ふっ、あめぇな」  と、これはトラップ。窓にこしかけて、ニコニコ笑っている。  わたしは、当然無視。 「つまるところ、なんとか早急にかせがなきゃマズイわけよ」 「でも、誰《だれ》か置いていかなきゃいけないんだろ?」 「あ、おれ、残ってもいい」 「へぇー。じゃーここで、そうじ、|洗濯《せんたく》、皿洗いやってくれるのね? トラップ」 「ただ、単に留守番《るすばん》ならいいっていったんだよ。あったしめーじゃん」 「とにかく。おかみさんが、|冒険者《ぼうけんしゃ》ローンでいいっていってくれてるから、なんとか早いとこ かせがなきゃね」        4  わたしたちは、メインストリートへと出かけた。  即効《そっこう》でかせげるシナリオを買いに出たのだ。  町には俗にシナリオ屋と呼ばれる商売をやってるオヤジが、ひとりやふたりはいるものだ。彼らは、いろんな冒険者たちから冒険を買い、それを売って商売にしている。  ある目的で冒険に出たというのに、その途中《とちゅう》で他《ほか》の冒険を見つけてしまう、なんてことが多多ある。『あそこの沼地には、悪い大蛇《だいじゃ》がいて旅人をとって喰《く》うそうじゃ』なんていう噂《うわさ》を聞いたりね。そんなとき、いちいちそっちの冒険をやっていたんじゃ、目的の冒険なんていつまでたっても終わらない。  こんな場合に、その冒険までの道順、その他参考|資料《しりょう》などを書きとめ、シナリオ屋たちに売るのだ。 「よぉ! どうした。しけたツラしてんじゃねーかぁ」  わたしたちがよくお世話になる、シナリオ屋が往来に響《ひび》きわたるような声をあげて歓迎してくれた。  彼の名前はオーシ。ラッキー堂という看板《かんばん》をニギニギしくつけたホロ馬車で商売している。 「実はね……」 「|旦那《だんな》、ラッキー!」 「…………」 「いい出ものがありまっせ! もう、目の玉飛びでる大活劇! これ、行かなきゃ男じゃない!」  オーシは、わたしたちがまだなんにもいってないっていうのに、期待にみちみちた目をクリクリさせながら、勝手に袋《ふくろ》を開けはじめた。 「ちょっと、ちょっとストップ!」 「オーシ、今度の冒険《ぼうけん》は、そんな、たいそうなんじゃなくってもいいんだよ」  オーシが、ハタと手を止める。 「なんでぇ、おめーら金欠病《きんけつびょう》かぁ?」  わたしたちがどっちつかずの顔をしていると、オーシはポンと手を打った。 「よっしゃ、わかった。もう、なんもいわんでええ。これ、これ持ってき」  オーシが出してきた皮表紙のファイルブックには、しつかり「一九八〇G」と値札《ねふだ》がついていた。 「ラッキー! これ、持っていっていいわけ?」  トラップがファイルを取ろうとすると、オーシがその手をガシッとつかみ、 「バカゆうんじゃねぇ。おめぇら、この大特価、放出品まで買えねぇのか?」  わたしたちは、ニコニコとうなずいた。 「じゃぁ、いったい、いくら持ってるんでぇ? 一〇〇〇か?」  わたしたちは、ブンブンブンと首をふる。 「じゃぁ、まさか五〇〇?」  またもや、ブンブンブン。 「わぁった、わぁった。もうなにもいわねぇ。ここに財布《さいふ》を開けてみろや。ん?」  わたしは、小さな赤いガマグチをパチンとあけ、ひっくり返した。  ひらりとまいおちたのは、シルバーリーブ商店街のスタンプ一枚だけ。 「て、てめぇら、まさか、このオーシさまをからかってるんじゃぁ、なかろうな」  オーシの顔がまっ赤になる。  わたしたちは、大あわてで力強く必死《ひっし》に首をふった。 「実は、オーシ。わたしたち、スカンピンより悪いの。マイナスなのよ。借金してるってわけ」 「しゃぁっきん、してりゅってわけ」  ルーミィも神妙《しんみょう》な顔つきでオーシの顔をのぞきこんだ。 「じゃ、こんなとこ来るこた、ない。さっさと冒険者キャッシュローン窓口に行くこったな。さぁ、商売のジャマだ。行って行って」 「待って、待ってよ。わたしたちとオーシの仲って、そんなもんだったの?」 「もんだったの?」 「そう、そんなもんだったんだねぇ」  オーシは、もうこっちを見ず、さっさと棚《たな》の整理なんか始めてしまった。 「ねぇ、お願いよお。ぜったい、お礼はするから」  オーシは、ホロ馬車の中に貼《は》ってある紙をだまって指さした。そこには、 「いつもニコニコ現金払い!」 「|冒険者《ぼうけんしゃ》のいうことを信じるな」 「命あっての商売」  だのという、|訓辞《くんじ》のようなものが太いマジックで書いてあった。  わたしたちは顔を見あわせた。  だって、ここでくじけちゃおしまいだもの。なにか手っとり早くお金を作ってしまわなきゃ。いくら冒険者|優遇《ゆうぐう》の格安ローンだっていっても、利子が利子を呼んでいく。  もちろんオーシのいうとおり、冒険者キャッシュローンでお金を借りてから、オーシのとこに来るのが順当なのかもしれないけど。  んなことしてたら借金返すために借金して……って、どんどんほんとうの冒険が遠ざかっていく。  トラップがなにか思いついたようで、オーシの袖口《そでぐち》をちょいとつかんだ。 「よぉ、あんたもシルバーリーブにオーシありっていわれた、男じゃねーか」  オーシは無視しているけど、トラップはニヤニヤしながら続けた。 「|賭《か》けてみる価値あると思うぜ? 損はさせないからさぁ」  オーシの顔がピクッとなる。  このオヤジ、ギャンブルが好きで好きで。話に聞くところによると、けっこういいうちの跡《あと》とり息子《むすこ》だったっていうのに、ギャンブル狂いがこうじて、ついに勘当《かんどう》されたんだという。  この赤ら顔見てると、どこがいいうちの跡とり息子だろうって思うけどね。 「あんたが売った冒険で、いくらすげぇ金や宝が見つかっても、そいつはあんたにゃ還元《かんげん》しないよな、ふつう。そこでだ!」  トラップがオーシの前にひらりとまわりこむ。  オーシの額に、赤くV字の筋《すじ》が浮いてきた。  やったやった! あの筋が出てきたってことはかなり乗ってきたって証拠《しょうこ》だ! 「冒険のなかにゃ、売るにはしょうもないようなのが、ころがってるだろ? 売ってもたいして、|儲《もうけ》けにゃなんないような。でもねぇ、あんたも知ってのとおり、冒険にゃなにが待ってるかわかんねぇ。そうじゃないか?」  ここまできて、オーシはなにか思いついたような顔をした。こっちをギラッとふりかえり、あるファイルをバシンとオオゲサに置いた。  わたしたちはビクッと一歩飛びのいた。 「よっしゃ、じゃあな、この冒険。こいつに、あんたらの運の強さを賭《か》けてみようじゃないの。いっとくけど、こりゃ並みたいていのじゃねぇぜ。なにせレベル一八くらいの奴らがやっても歯もたたなかったシロモノだからな。しかも、一パーティやそこらじゃあねぇ。ひと世紀も昔《むかし》から、ず——っと解《と》けない大冒険だぁ」  わたしたちは顔を見あわせる。  そんな大それたもんじゃなくっていいのに……。なんかこう、ちょこちょこっとした奴《やつ》でいいのになぁ。  トラップが、どれどれと、そのファイルを取ろうとしたとき、オーシがトラップの手をつかんだ。 「あわてるんじゃねぇって。まずは、取り決めをしようぜ。いいな、あんたらはその借金とやらをきれぇさっぱり返すために、働かにゃならん」 「はちゃらくぅぅ??」 「そうだよ、ルーミィちゃん。この冒険じゃ果して生きて帰ってこられるかどうか、心配だからな。あんたらも借金残して死にたくはなかろ?」  げぇぇ…なによなによ、それってなによぉ! まぁ、借金返しちゃえばこっちのもんだけど。 「で、働くって……いったいなにをさせようっていうんだ?」  クレイが心配そうに聞いた。 「まぁ、待て待て。それはこっちの冒険をやるんだって約束してからだ。こっちの冒険はなぁ、|難問《なんもん》じゃあるけど、そのかわり実入《みいり》りもベラボーだって話だ。見たこともねぇような宝がゴチャマンとあったって、命からがら逃げ帰った奴らが話してたからな。そこでだ」  またも、バシンとファイルをたたきつけた。 「いいな、この大冒険をあんたらにタダでやるかわりにだ。万が一うまくいって宝ガッポリとってこれたら、おれと山分けってことで、どうでぇ?」 「や、山分け?」 「そう。フィフティ・フィフティさ」 「ふふてぇふふてぇ?」 「ちょっと、ルーミィこっちいらっしゃい」  わたしたちは、まるくなって相談した。オーシは、なんてったって海千山千の商売人。うまくしないと、割があわなくって泣くことになる。 「どうする?」 「まぁ、うけるしかないんだよな」 「でも、なんかむずかしそうじゃん」 「いいの、いいの。ちょっと行ったふりして、すぐ帰ってきちゃえばいいんだし」 「でも、万が一うまくいって、もうけちゃったら?」 「ちゃったやぁ?」 「山分けってのは、くやしいなぁ」  結局|交渉《こうしょう》はトラップにまかせることにした。 「オーシ。フィフティ・フィフティでいくなら、こっちは六人、あんた入れて七人だ。七等分するってのが本当じゃないのか?」 「ほぉ、じやあ、おれはたったの七分の一だっていうのかい?」 「そうさ、だってあんた、冒険なんか行かねーじゃん。実際に命はってくるのは、おれたちだからな」 「おいおい、トラップさんや。あんた肝心《かんじん》なことを忘れちゃいねぇか? 別におれはあんたら文無しに、なにもこんなおいしい話やるギリなんか、これっぱかしもねぇんだってことをな。はん? まぁ、お得意さんだし、あんたら文無《もんな》しだってぇから同情したってのにさ。ま、飲めないんだったら、行きな」  ったく! 文無し文無しって、えらく強調してくれちゃってからに……。  しかし、さすがのトラップも、そういわれちゃしかたなかった。 「わかったよ。じやー、百歩ゆずってだ。四分の一で、どうだい?」 「残念だな。せっかくいい話だったのによ」 「じゃぁ——。三分の一!」 「さーさ、行った行った」 「ったくよお! そう欲の皮つっばらかしてちゃ、いい死に方できねーぜ!」 「おうおう、いい生き方ができりゃあいいんだよ」  トラップが、やれやれといった顔で、こっちを見た。  わたしたちが、しかたないよっていう顔をしたら、 「わかったよ。じゃー、五分の二。これがギリギリの線だ」 「おめぇもいい根性《こんじょう》してるなぁ。わぁったわぁった。その根性に負けたよ。あぁーあ、おれも人がいいなぁ。こんなに人がよくて、よく商売やってられるもんだ」  ったく! たく! なんて奴《やつ》なんだぁ。 【1】冒険者支援グループ  わたしたちの住む、この世界ではモンスターや悪い魔法使いが、ウジャウジャ徘徊している。いろんなところで、悪さをして村人たちを苦しめていたりするのだ。  まあ、その魔物たちに好き好んで向かっていくようなのは、冒険にかぶれた……私たちのような者だけ。そういうヤカラがいなくなったら……魔物がいいように暴れ回って、収拾がつかなくなる。  だから我々冒険者たちは、なくてはならない存在でもあるが、その反面、定職を持たずに旅して歩いているわけたから、当然定期収入もない。冒険で得た宝や倒したモンスターの皮や牙などを売って、生活費にしてはいるが、そうそう宝が見つかるわけでもなし……。  結局、そういう冒険者たちをみんなで援助しようということになり、この「冒険者支援グループ」という団体が作られたわけだ。このグループはさまざまな活動をしているが、元となるのが「冒険者基金」。町々の有志が出し合った、このお金で全ての活動がまかなわれている。 【2】冒険者カード  なんにもせすにたたプランプランしている、いわゆる「れげぇ」と呼ばれる連中までもが冒険者でござい、なんていいだしちゃかなわないと、一応冒険者になるための試験が設けられた。それぞれの職種(だから「ファイター」とか「プリースト」とか)に応じて、簡単な筆記試験と作文があり、それにパスすると面接がある。これにパスできて、晴れて冒険者カードというのを発行してもらえるという寸法なのだ。  この冒険者カードは、毎年毎年冒険者としてちゃんと暮らしていることを証明するためにある。冒険の難易度や敵の強さに応じて、経験値が加算され、ある一定値になるとレベルアップする。他の特性値もすべて台帳に記載されているから、さぼっていると一目で分かってしまうのだ。あまりにはなはだしく成績が悪い場合は、カードを取り上げられてしまう!  また、これは身分証明にもなり、これを見せないと各種の特典は利用できない。 【3】冒険者の特典 ●ショップでの買物が割引される!  大多数の町や村は、町ぐるみ、村ぐるみで冒険者援助クループに参加している。  それらの町や村の各ショップて、冒険者が何か買物をする場合、だいたい2割、多いところで3割は安くしてくれる。 ●冒険者ローンもOK!  高価な武器や防具は、なかなか即金でというわけにはいかない。そのため、利子の格安な冒険者ローンがある。 ●冒険者キャッシュローン  冒険者ローンと同じく、お金も格安の利子で貸してくれる。 ●冒険者保険  これは、危険の多い冒険者たちにとってたいへんありがたいもの。冒険中に受けた傷や病気などを病院で見てもらう場合も、保険証を提示すれは自己負担二〇%という安さ。また保険の種類によっては、多額の保険金が下りる場合もあり、生活や老後の心配をしなくてもいい。ただし、そういう保険に限って非常に審査が厳しいのだ。 ●各種サービス  「冒険に出かけたいのだが、目的の冒険が見あたらない」  「冒険の途中、仲間割れをしてしまった」  「最近、とうもスランプで冒険者であることがイヤになってきた」  などなど、冒険の先々で困ったことに遭遇した場合、各種サービスセンターで相談に応じてくれる。    STAGE 2        1  オーシがまずわたしたちに働けといったその仕事とは、ここから二〇〇キロメートルくらい離れた湯治場《とうじば》まで行き、そこの温泉水を運んでこい、というものだった。その村はヒール山の中腹にあり、ヒールニントという。  二〇〇キロメートルということだ。時速二〇〇キロなんていうエレキテルパンサーかなんかに乗れば、ノンストップで一時間。  わたしたちは、そんなシャレた乗りもの持ってるわきゃないし(あれは、いったいどういう金持ちが買うのかいね?)歩くしかない。  人間の歩く時速は平均四・五キロくらいだっていうし、わたしたちのパーティじゃ一日に一○時間も歩ければいいほうだろう。  と、すると一日に四五キロ。二〇〇÷四五=四・四四四……まぁ、五、六日はかかる距離《きょり》に、その町はあるらしい。  温泉水なんかがなんの役に立つのか……オーシがいうには、 「おめぇら、無知だなぁ。すげぇ体にいいんだよ」 「飲むの? それ」 「そおよ、海を渡ったむこうの国じゃ、これを朝晩飲んでるらしいや」 「体にいいって、どういうふうにいいの?」 「だぁら、|胃腸《いちょう》だの目だの足だの糖尿《とうにょう》だの高血圧だの……とにかくすげぇんだ」 「へぇぇ、おいしいのかなぁ」 「さぁな、良薬口に苦しというだろ、にげぇかもしれんな」 「ふ——ん、で、それを売るわけ?」 「おう。ちょっと知りあいに、頼まれてたんだが、まぁおれが行くこたないわな」 「結局、わたしたちから安く買って、その商売相手に高く売るんでしょお!」 「そりゃ、それが資本主義ってもんよ」  まぁ、こちとら文無《もんなし》し以下の状態《じょうたい》だからして、足元見られるだけ見られちゃってるんだよね。 「しかたないわな。さぁ、早くしたくしようぜ」  クレイがマメマメしく、|装備《そうび》の準備なんかを始めた。  ルーミィは、自分のリュックの中身を出したり入れたりしている。あれでしたくをしているつもりらしい。  キットンは、なにやらブツブツいいながら草の種や薬草《やくそう》を干したものなどを袋《ふくろ》に詰めこんでいた。  大男のノルは、|大八車《だいはちぐるま》にオーシから預《あずか》った空ビンを並べていた。  トラップは、ルーミィをからかっちゃ遊んでいる。  わたしは、|途中《とちゅう》まで書き上げた冒険談《ぼうけんだん》を持って、|印刷屋《いんさつや》まで走っていった。 「あのぉ、ちょっと旅から帰ってきてから、また続きを書きますんで、すこし前払いしてくれません?」 「おや、旅行って……冒険ですか!」 「いや……その、まぁそのようなもんで」 「いいなぁ、わたしもそのうち、こんな印刷屋なんてつぶして冒険者テストを受けようと思っ てるんですけどね」 「えぇぇ? ダメですよお、わたしの原稿を買ってくれるのって、ここだけなんだもの」 「あははは、そんなこたないですよ。いいでしょう。じゃ、すくないけど、これを旅の足しにしてください」 「あ、どうもありがとう!」 「じゃ、気をつけて、おみやげ話を期待してますよぉ」  ほんとうにオーシなんかとちがって、いい人だ。  いい人は印刷屋の若主人だけじゃない。わたしたちが旅に出るというんで、いろんな人たちがいろいろと持ってきてくれた。|猪鹿亭《いのしかてい》のリタなんか全員にお弁当を作ってきてくれたりした。感激だなぁ。  ひとしきりの歓送《かんそう》を受けたわたしたちは、一路湯の里「ヒールニント」へ向かった。        2  最初の日に泊まったのは、ズールの森という静かなところ。  大きな大きな……たぶん、この世界ができたよりずっと前から立っている木々のあいだをムササビがパアーッと飛んでゆく。  キャンプをするのにはなれっこのわたしたちは、それぞれの仕事を始めた。  わたしは、ルーミィと食事の用意。キットンとノルは、|薪《まき》を集めにいった。昼間、狩りをすませたトラップとクレイは、|獲物《えもの》をさばいている。  今日の獲物はミミウサギ。ミミがうちわのように広がった、赤く細い目をしたウサギ。毛皮は町で売れるだろうから、ていねいにさばかなければならない。クレイは、ご自慢のショートソードを使うなんて、とブイブイいいながら作業をしていた。 「ねぇ、|串焼《くしや》きでいいよね」 「いいよね」 「さぁ、ひとり一本あたるかどうかっていう、しけたウサギだけど」 「だとすると、ノルがかわいそうだわね」 「ルーミィの、しゅこしわけたげう!」 「へぇ、くいしんぼルーミィがめずらしいこというじゃない」 「ルーミィ、くいしんぼなんかじゃないもん」  ミミウサギの串焼《くしや》きの準備が整ったころ、キットンがふうふういいながら帰ってきた。 「これ、これ、|煮《に》ても焼いてもウマイですぞ!」  キットンが持ち帰ったのは、なんともグロテスクなショッキングピンクと蛍光緑《けいこうみどり》のダンダラ|模様《もよう》入りのキノコひとかかえだった。 「これ、ほんとうに食べられるのぉ?」 「げげぇ、イボイボまでついてるぜ。毒キノコなんじゃないか?」 「えへえへえへ、だいじょうぶ。こっちとこっちはウマイから」 「じゃ、この赤に黄色の斑点模様《はんてんもよう》のは?」 「あぁ、それは食後のデザート」 「デザート?」 「そそ、いいトリップできますよお」 「……ったく……」 「ぎゃへへっへへへへへへへ」  またも、キットンの大笑いが始まり、みんなヤレヤレと腰《こし》をおろした。  と、そのときだ。  バヒュゥゥ————ン!!! ウィーンゥンンン……。  深い森のしみとおるような静寂《せいじゃく》をやぶるだけやぶりまくって、なんかものすごい音がした。 「わ、わ、なに?」  わたしはもっていた串焼きを思わず落っことしてしまった。 「モンスターか?」  クレイがロングソードに手をかけた。  しかし、その爆撃《ばくげき》するような音は、すでに聞こえなくなっていた。こまかい土けむりが舞い、木の枝がなぎはらわれていて、なにものかが通ったんだという形跡《けいせき》はしっかり残っていたが。 「なんだったんだ……」  と、またみんな腰をおろそうとした。  バヒュゥゥ————ン!!! キィイ————ィィキキキ。  またもやすごい音とともに、なにものかがやってきて、わたしたちの前で急停止した。  もうもうと巻きあがる土けむりのなかから、みょうに貫禄《かんろく》のある男がひょこっと顔を出した。  爆音《ばくおん》の正体がわかった。うわさに聞く、エレキテルパンサーじゃないか。黄色地に黒のテンテン、日がピカッと光るエレキテルパンサーは、|豹《ひょう》とシカと車を足して三で割ったような不《ふ》|思《し》|議《ぎ》な生きもの。  ほんものを見たのはみんな初めてだから、目をまんまるにして棒立《ぼうだ》ちになっていた。 「おめぇら、|冒険者《ぼうけんしゃ》だろ」  顔に似あわずかんだかい声で、その男がいった。  ゆっくりとこっちに近づいてくる、そのかっこう。白地に太いストライプの入ったジャケットに水色のワイシャツ、白くて幅広のスラックス、エナメルの白い靴《くつ》。ネクタイは黄色の水玉模様。  およそ、シルバーリーブなんかじゃ見ることのない……すさまじいファッション感覚の持ち主だった。 「な? 冒険者なんだろ?」  押しのきいたいいかただ。 「あ、はい。そうですけど」  わたしが答えると、にやぁっと笑った。そして、木の切株《きりかぶ》に片足を置いて、ふところから葉巻を出しながらいった。 「そんで? 平均レベルはいくつ」 「あなた、いったい何者なんですか。いきなり現れて、ちょっと失礼じゃないか」  クレイが気色《けしき》ばんでいった。  男は葉巻の端をかみちぎるとぺッとはきだし、ライターを出した。  またこのライターがすごい。金色にペカペカ光るやつで、黒いドラゴンが彫《ほ》りこんである。 「あたし? あたしぁーな、こういうもんだ」  葉巻のけむりをふぅーっとはきだし、けむたそうに目をしばしばさせながら名刺を出して、クレイに渡した。  みんなで顔を寄せあって見る。 [冒険者のあなたが主役。プルトニカン生命 エペリン支社次長 ヒュー・オーシ]  ヒュー・オーシ……って、あのシナリオ屋のオーシと親戚《しんせき》かなにかか?  とにかく、すさまじくはでな登場を飾《かざ》ったこの男、いわゆる保険屋さんなんだ。  わたしたちは一応、|冒険者《ぼうけんしゃ》支援グループがやっている冒険者保険には入っているけれど、こういう私設《しせつ》の保険なんかには入ってない。そりゃ、そうだ。そんなゆとりないもんね。  なんとなく、みんなほっとした。借金の返済をするために旅をしているわけだからして、逆さにふってもそんなお金ない。 「でだ。おめぇら、どういうパーティかしらんが、ともかく冒険者だろ? 冒険とはなにか、わかるか?」  いきなり、キットンの顔に指をつきつけていった。  キットンはもごもご口のなかでいってるだけ。 「冒険とはなにか!?」  キットンに向けていた指をさっとクレイに向けていった。 「人のために役立ち、自分自身の鍛錬《たんれん》をすることだ」  さすがにクレイはキッパリいいきった。  しかし、男はチッチッチッと指をふった。 「冒険とはな、ギャンブルよ。ギャンブル。わかる?」  今度はわたしを見ていうから、わたしはついついあいまいにうなずいてしまった。 「冒険ってのは、ノルかソルか。これだろ、ちがうか? 戦いには勝利と敗北しかねえ。お宝をたんまりいただくか、それとも死ぬか。これがたまんないわけよ。そうだろ?」 「でも、死ぬまではいかなくって、ケガだけするっていうこともあるわ」  わたしがそういうと、待ってましたといわんばかりに男は身を乗りだした。 「そうだよな、そうそう。まったくもって、そうなんだよな。冒険ってのは危険がつきもの。まさに身をはってあたしら善良なる民間人を守ってくだすってるわけだ、あんたらはな。いや、ほんとにありがたい。あたしなんて、あれよ。毎日、冒険者さまありがとうっていわねえと寝られねえんだ、ほんと」  なんか、うさんくさい。いや、そうとう、うさんくさい。 「その身の危険をだな、むざむざさらすばっかしじゃぁ、損だぜ。まったく。でだ。ここに、こういうもんが必要に迫《せま》られ、冒険者のみなさんの声で作られたわけよ」  といって、大きな黒いカバンから、パンフレットみたいなのを取りだした。 「これ、ここ。見てみ。冒険中に起こる事故の多さ。もちろん、モンスターどもがガブッとかみつく、あれも事故よ。ほら、九九・七九パーセント。これぁ、もう一〇〇パーセントもおンなじよ。な? そこで、だ。ただぁやられっぱなしじゃ、やってられない。ってんで、このプルトニカン・スペシャルシリーズ。これが誕生《たんじょう》したわけよ。だいたいだな、これまでの生命保険なんてもんはだ。みんなカケ損、取られ損だっただろ? それが、このプルトニカン・スペシャルはちがう!」  バシンッ。  男はパンフレットを思いっきりたたいた。そして急に、まるでだれかに聞かれでもしたらたいへんというような小さな声でいった。 「いいか、たいがい満期にゃあ全額は返ってくる。保証プラス将来への投資《とうし》。こいつが保険ってもんだ。な? でもな、満期ってぇのは、うーんと遠い将来なんだな、これが。忘れたころに金が返るのがふつうだ。ところが、このプルトニカン・スペシャルはちがう! 満期での返戻金《へんれいきん》を先取りした、いわゆる中間利息ってぇもんがあるんだ。うまくいきゃあ、四〇〇パーセント。わかるか? かけた金の四倍になって返ってくるんだぜ。ケガして、|意気消沈《いきしょうちん》してるところに、この金がど——んとくるわけよ」 「で、でも……うまくいかなかったら?」 「あ? ああ、まぁ人生山あり谷ありってな。いつもいつもツイてねー奴《やつ》。そういう奴もいるだろうけど。そこも、このプルトニカン・スペシャルってのは他《ほか》とちがうのよ。いいか、保険に入ったうちの八〇パーセントはかけた金以上になってもどってきているという、実績がだな、あるわけよ。この実績ってのがだいじなんだな。|冷徹《れいてつ》な数字での実績ってのが」 「そんなに返って、よく保険屋さんもうかるね」 「ま、それはその……な。いろいろあるわけで。ほら、死ぬ奴もいるだろ? そういうやつの金は、まぁこっちに入ってるからして」 「ええええぇぇ? じゃ、死んだらぜんぜん返ってこないわけ?」 「そりゃあたりまえだろ。死んで花実が咲くものか。だいち、だれが受けとる?」 「残されたパーティとか……」 「残された? ハン! これ見ろよ、これ。ちゃんと数字が説明してくれてる。いっしょに冒険《ぼうけん》に出たパーティのうち、|生還《せいかん》した人数のグラフがあんだろ。たいがい、|全滅《ぜんめつ》よ。ま、運がよくて二割か一割。だったら、死んだ仲間の装備《そうび》やアイテムを売れば、けっこう金にはなる。葬式の一回や二回だしてやれるってもんよ」 「う——む……」 「さぁ、どうだ」 「は?」 「は? じゃねーよ。ほら、そっちのにいちゃん。あんたもひとくち乗らねーか」  男は、|興味《きょうみ》なさそうにひとりでキノコやきを食べていたトラップにいった。トラップはキノコをモグモグやりながら、 「うまい話にゃ裏がある。まっとうにもうけられるわけがない。これ、おれのじーちゃんの口癖《くちぐせ》ね」  と、いった。  男はトラップには脈《みゃく》がないとふんで、キットンに聞いた。 「あんたは、ずいぶん賢《かしこ》そうな顔してる。どうだ、乗らないか」  キットンはずいぶん気持ちが動いているようで、パンフレットを子細《しさい》に見はじめてしまった。  だめだだめだ、それじゃ、このセールスマンの思うツボだ。 「あ、あの、悪いんですけど。わたしたち、そんな保険に入るようなゆとり、ないんです」 「ゆとりがないって、こうして冒険《ぼうけん》やってんだろ? なんだ、今回のクエストは。よし、よぉーし。じゃあこうしよう。今回のそのクエストで得た報酬《ほうしゅう》。そいつを担保《たんぽ》に、ひとくち乗せてやろうじやないか。え? どうだ」 「い、いえ……その、そういうクエストでもないんですよ。今回の旅は、借金を返済《へんさい》するための、まぁちょっとした旅で」  借金という言葉を聞いたとたん、男の顔から、す——っと「商売への情熱」とか「もうちょっとで落とせるぞという期待感」とかいうものが消えていった。  そして、もうすっかり興味も失せたという顔で、スタスタとエレキテルパンサーに乗った。  腕時計をさっと見て、 「け、一五分もムダにしちまった」  と、つぶやくと……。  バヒュゥゥ————ン!!! ウィーンゥンンン……。  またまた、はでな騒音《そうおん》と盛大な土けむりをもうもうとあげて、またたくまに消え去ってしまった。  わたしは、なんだか手品でも見たか、それともキツネかなにかにだまされて夢でもみていたようなかんじがして、しばらくぼーぜんとなっていた。  クレイもゆっくり腰《こし》かけ、つぶやいた。 「なんだったんだ……」        3 「そっち、ほら茂《しげ》みのとこにもいるぞぉー」 「こっちは、まかせた!」 「こっちはまかせたぁ? じゃ、そっちは?」 「そっちも、まかせる」 「やだ、わたしの髪《かみ》になんかついてなぁい?」 「わりい、さっき殺したスライムの残骸《ざんがい》」 「ぎゃぁー! 取って取ってぇ」 「んなもん、自分で取りな、ほら、また新しいのが来たぜ」  わたしたちパーティは、まさしくモンスターの大通りにブチあたってしまったらしい。  蛍光《けいこう》オレンジプチプチ|模様《もよう》のスライムだの、手か足かわかんないけど、なにか触手《しょくしゅ》みたいなもんを体中にぶらさげた、人喰い植物みたいなのや、五〇センチくらいもあるアリンコのお化けやら……。  幸い、でかいモンスターがいないからいいんだけど、|油断《ゆだん》すると足をアリやスライムがはいあがってくる。  巨人族のノルは、自分の大八車《だいはちぐるま》に登ってくる奴《やつ》らをワシづかみにして、払いのける作業におおわらわ。彼の太い両腕は、はい登るアリンコでまっ黒に見えた。 「あったあった、ありました。このスライムは主にズール地方に生息する、マイマイスライムの野生化したもののようですね」  スライムを踏みつぶしながら、モンスターポケットミニ図鑑を広げてるのは、キットンだ。 「ねえねえ、もうキリないよお。早くにげなぁい?」  わたしがスライムをツンツンつつきながら叫ぶと、他の連中も全員OKサインを出した。  だって、やっつけてもやっつけても後から後からわいて出てくるんだもの。いくら経験値が稼《かせ》げるからって、体力も続かないし、だいいち、日が暮れてしまう。  今までの勘《かん》からいうと、こういう場所は夜になると、小さいモンスター目当てのデカイ奴らが来るに決ってるのだ。 「お——い、こっちに抜け道があるぜぇ!」  逃げ足の早いトラップが、木の上から叫んだ。  わたしとルーミィがノルの大八車に飛びのると、ノルとキットンは全速力でガラガラと引っばった。  その後方には、クレイ。|際限《さいげん》なく寄ってくるモンスターたちをなぎはらいながら、トラップの指さす方向へと急いだ。 「へぇ! なあんだ、ここに出るのか」  わたしはマップを見ていった。ドレドレとみんなが寄ってくる。 「ここは、ちゃんと書いておかなくっちゃ。経験値稼ぎには手ごろだもんね」  わたしは赤のマーカーでぐりぐりっと印《しるし》をつけ、小モンスター出現と書きそえた。 「お——い、こっちに泉があるぜぇ!」  先に行ってたトラップが手をふる。 「じゃ、そこでひと休みしようぜ!」 「わぁい、ルーミィ、もうおなかペッコペコぉ」        4  トラップが見つけた泉のことは、オーシのくれたマップにも、ちゃんと書いてあった。  あたり一面、濃い緑に染《そ》まったなか、小さな石の台座があった。その上にやはり石の器《うつわ》が置かれ、泉はそのなかでコンコンと湧《わ》きでていた。 「これって、飲めるかどうか、書いてある?」  クレイが聞いた。 「ちょっと待っててね。まず、ここの泉のことを調べなきゃ」 「書いてないの?」 「う——んとね、その台座に彫《ほ》りこんであるらしいわ」 「らしいわ」  ルーミィは、すぐわたしのマネをする。  クレイとトラップが台座を調べ、それらしい文句を発見した。 「えっとねぇ、これは『|様見《さまみ》の泉』 っていうんだってさ」 「サマミ?」 「そそ、『我見る者、|汝《なんじ》、いつかいずれかの汝の様、見えん』と書いてある」 「うひゃひゃひゃ、それはおもしろい。それは、過去か未来かどこかも分からないけど、とにかく、今じゃないときの自分の姿が見れるっていう泉なんでしょ。前に聞いたこと、あります」  後ろに立ってたキットンがいきなりバカデカイ声でいった。 「それで? この泉はなにか役に立つわけ?」 「さぁーね、それは本人しだいなんじゃないでしょーかねー、ひゃっひゃっ!」 「別にワナはないよねぇ……」 「さぁ——」 「そだ、トラップ、ここはやっぱし盗賊《とうぞく》が試《ため》さなきゃ」 「関係ないね。だってこりゃ宝箱でもドアでもないもの」 「でも、やっぱり、ワナがあるかないか、調べるのが仕事でしょーが」 「ないない。ないって。んなもん」 「そんなこと、ど——してわかるのよおお!」 「|勘《かん》よ、勘。おれの勘は当たるよお!?」 「わかった。もういい。おれが試すから、どいてろよ」  わたしとトラップが、あーだこーだいっていると、リーダー格のクレイがうんざりしたように、宣言した。  宣言した割には、「なんか危ないとかってときはいつだっておれが最初なんだからなぁ」などとグチグチいいながら、のぞきこんだ。  しばしの沈黙……。 「ねえねえ、どう? なにか映った?」 「ほほ————!!」 「どうしたの?」 「う——ん、なるほどねぇ……」 「もったいぶるなよ——!」 「いやいや、これはおもしろい」  クレイは、期待に満ち満ちたわれわれをぐるりと見わたした。  ったく。すぐもったいつけるのがクレイの悪いとこだ。 「なにが映ってたの?」 「うん? なんかねぇ、金を数えてるとこが映ってた」 「なんだぁ?」 「へっへっへ、オレはたぶん金持ちになるんだろうなぁ」 「ファイターやめて、商売でも始めたほうがいいっていう、お告げなんでないの?」  トラップが悪態《あくたい》をつき、「どれ、じゃ今度はおれだ」と泉をのぞきこんだ。危険がないとなると、これだ。まったく、調子いいんだから。 「げぇ!」 「どうしたん?」 「う————ん……」 「なんなのよお!」 「いや……寝てた……」 「寝てた?」 「そう……」 「単に?? グーグー?」 「うっせ——なぁ」  トラップは、すっかりブゼンとした表情で、こんなもん、あてになるかとかなんとかいいながら、台座を降りた。  お次は、ルーミィ。台座まで背が届《とど》かないからクレイが抱きあげてやった。 「あ、あ、あ——!」 「なに、なに」 「なにしてるとこ?」 「んとね、そのね、木の実を食べてうの」  くいしんばルーミィらしい。 「あぁ、となりの、ルーミィのママ」  ルーミィはママのことを思いだしたらしく、いつまでたっても泉から離れようとしなかった。 「おい、いいかげんにしろよ。ノルたちが待ってるじゃねーか」  トラップがルーミィを引きはがすと、ルーミィ、涙でべショべショの顔になっていた。 「ルーミィ」 「ぱーるぅ、ママに会いたいよぉ」  ルーミィはわたしにしがみついて、おいおい泣きだしてしまった。  でも、わたしは知ってる。ルーミィのママ……だけでなく、|他《ほか》全員。ルーミィの部族は山火事で死んでしまったんだ。  ルーミィの次にノルが泉を見た。池で洗濯《せんたく》をしているところだったそうだ。  キットンは、赤い空を見ている姿だったという。  赤い空って、いったいなんだろう。  最後はわたし。  恐る恐るのぞきこんでみたら、最初は湧《わ》きでる泉のためになにも見えなかった。が、そのうちだんだんと水面が静まり、今ではないわたしの姿が映った。  なにか暗いところで、道に迷っているようだった。不安そうな顔をして、あたりをうかがい、泣きそうな顔して、とぼとぼ歩いている。 「な、なんなんだろう……これ」 「どうした?」 「なんか道に迷ってるみたい……」 「いつものことじゃん」 「う——ん、でも……なんか気になるなぁ」  みんながみんな(わたしとキットンは特に)、なんとなく気持ち悪いなぁっていう微妙《びみょう》な顔つきで、その場に座りこんだ、そのときだ。  東の森の中から「助けてぇ!!」という叫び声がした。 「こっちだ」  わたしたちは、声のするほうへ全力で走っていった。        5  その叫び声の主は、まだ一〇歳くらいの少年だった。  必死にこっちへころがるように走ってくる。その後ろを恐ろしい獣人《じゅうじん》たちが数人追いかけてきていた。  首から上はハイエナ、手足には長く鋭《するど》い二本の爪《つめ》。毛むくじゃらな体をしているくせに、それぞれテンデンバラバラな服を着ている。たぶん、旅人から強奪《ごうだつ》したものなんだろう。  その凶暴《きょうぼう》な顔つきには、とても友好的にあいさつを交わすだのというゆとりは、当然ながらなかった。  やっとこさ、わたしたちのところまでやってきた少年をノルが抱えあげる。 「おい、逃げるぞ!」  クレイがいうより前に、みんなスタコラ逃げだしていた。  しかし、先に逃げていったトラップが手をふりふり、もどってきた。 「だめだ、だめだ、こっちからも来てる」 「げ——、うっそぉ!」  はさみうちだ。  残るは右か左なんだけど、それもダメ。  なんと、その獣人たちは両側の木の上からも降りてきたのだ。  喉《のど》をひゅーひゅーいわせ、ケッケッケッケと笑うような鳴き声を発している。 「これは、いわゆる『回りこまれた』ってやつですねー」  のんきなことをいってるのはキットンだ。 「ひぇぇ————!!」  くさくて生あたたかい息が首筋にかかった。  ひきつりながらふりむくと、テラテラ光る黄色い服を着た獣人がわたしのすぐ後ろに!!  も——、目をつぶってむちゃくちゃにショートソードをふりまわした。 「しかたない、おれとトラップでこっちは、ふせぐから、なんとか泉まで逃げるんだ!」 「え——、おれもお?」 「あったりまえだ。ほれ、右!」  クレイが自慢のロングソードを抜きはなち、目の前の二匹をデェァァ——っと、なぎはらった。  さすがに手入れ抜群《ばつぐん》のソードだけあって、命中するとすごい。  獣人《じゅうじん》の首が二つとも空を飛んだ。 「うわぁっ!」  クレイの後ろから来ていた、獣人がガブッとかみついた。  しかし、竹アーマーがまずかったのか、すぐペッペッと吐きだした。 「エェイー」  そこをすかさず、足でける。  倒れたところを、グサッ。  トラップは、しかたなくアチョ——! っと、お得意の少林寺まがいのポーズをとり、ヒラリヒラリと飛んでは逃げ、注意をそらす。  彼のゆいつの武器はパチンコ。  パチンコといえど、なかなかの威力《いりょく》。  獣人の目と目のあいだにバチッと決まると、痛快。  獣人たちは「ギャヒン、ギャヒン」と顔を押さえて倒れこんでいった。  わたしたちのほうは前方からやってきた獣人たちをなんとかかわさなくちゃいけない。  獣人たちは、カッチャカッチャと爪《つめ》を鳴らしながら、ようすをうかがっている。こっちがちょっとでもすきを見せたが最後、飛びかかってくるつもりなんだろう。  ノルは、さっきの少年とルーミィを小脇《こわき》にかかえこんでるから思うように動けない。少年もルーミィもノルの首に必死《ひっし》にしがみついている。  わたしはわたしなりに善処《ぜんしょ》はしているんだけど、なにせ詩人でしょ? 大した武器も持ってないし、力だってあんまりない。  あわてて背中にしょってた弓を取ろうとしたが、手が震《ふる》えてうまくいかない。  焦《あせ》る焦る!  残るは、キットンなんだけど。またもモンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》なんか広げてるぅ! 「あ、これですね、あなたたちは。リズーっていって、マイマイスライムと同じくズール地方に生息《せいそく》し……武器は、その鋭《するど》い爪。この爪にやられるとかなり深い傷になるそうです。ふむふむ……で、その弱点は……と」  んも——!! なこと、どーでもいいじゃん、とわたしは、そう叫びそうになったが。  弱点? そ、そ、それだそれだぁ。わたしはキットンの肩をつかんでガックンガックンゆらした。 「キットン! その弱点って、なんなの!」 「は? あ——っと、ですねぇ……ちょっと待ってくださいね、へへへ」 「ば、はかものぉ——?」  キットンはせっかくこいつらの弱点を見つけたというのに、、ミニ図鑑を閉じてしまっていたのだ。  こっちがパニックってるあいだにも、木の上から新手《あらて》の獣人《じゅうじん》たちがドンドン降りてくる。キットンはおちつきはらって索引《さくいん》なんか見ちゃってる。  ったく——、信じらんない性格。 「あ、あったあった。えっと……彼らは木の上に住居をかまえているため……」 「だぁぁからぁ! いいんだっては! んなことは。結局、なにが弱点なの、なにが」  わたしは自分の頭のかわりにキットンの頭をかきむしった。 「あ、あ、やめてください……えっとですねぇ。火だそうですね、これによると」  火? しめたっ!! 「ルーミィ! あれよ——、ファイヤーの呪文《じゅもん》よー」  ルーミィがびっくりまなこで、こっちを見る。 「急いで! 早くぅぅ——」  獣人たちが、|不潔《ふけつ》な長い舌をダラリとたらし、あぶくのようにためたヨダレをしたたらせながら、ジリジリと迫ってくる。 「ドゥルミィルファイルゥン……エセンバサン・ガイラァ……」  メモを見ながら、ルーミィがシドロモドロ呪文を唱《とな》える。  彼女めがけて、赤いベストを着た獣人が長い爪《つめ》で地面をけり飛びかかってきた。  その鼻先にルーミィが銀の杖《つえ》を突きつける。  しかし、魔法を使わなきゃ、タダの杖。  ノルが膝蹴《ひざげ》りをくらわしたのだが、ガジガジとヨダレいっぱいのロで杖にかみついてはなさない。  杖を取られないように、ルーミィの小さな手をノルが押さえた。 「デス・マス・ファイヤァ———!!」  ルーミィが、かわいい声をはりあげたと同時に銀の杖からヘロヘロっと炎が出た。  獣人の口のなかがジュ——ッッとこげる。  あたりいちめんに漂う、強烈な臭い。  唇《くちびる》とアゴがドロドロと黒く溶《と》けだしていき、黄色い目が止まる。そして、ゆっくりと地面に膝をついて倒れこんでいった。  他の獣人たちが、そのようすを見た瞬間《しゅんかん》にザッと飛びすさった。  ルーミィがその炎を前に突きだすと、|恐怖《きょうふ》にゆがんだ顔つきで、なにごとかお互いにいいあった。そして、ギュィ——ヒュ——ンと高く遠吠《とおぼ》えをしたあと、|一目散《いちもくさん》に逃げていった。  あれは、|退却《たいきゃく》の合図なんだろう。後ろにいた奴らもコソコソと逃げたようだった。 「きゃぁ——!! やったやった」 「やったやった!」  すごいすごい。わたしたちはピョンピョン飛びはね、ポンポン|肩《かた》をたたきあってよろこんだ。        6 「お——い。どうしたんだぁ? |奴《やつ》ら、急にいなくなったぜぇ」  クレイとトラップが拍子《ひょうし》ぬけしたような顔で、やってきた。 「それがね——。あ、どうしたの? クレイ!」  なんということだ。クレイの肩口から、ダラダラと血が落ちているではないか! 「ク、クレイ……だいじょうぶなの? ちょっと、すごい血よ」 「しゅごい血よ」 「あ、これ?」  クレイは、自分の肩をしばらく見ていたが……ド——ンと後ろにぶっ倒れてしまった。あまりの血の多さに気が遠くなってしまったらしい。  しかし、倒れたと同時にクレイの胸につけていた冒険者《ぼうけんしゃ》カードがまぶしくフラッシュしピコーンピコーンと鳴りだした。 「レベルアップしたんだぁ!!」 クレイを抱きおこすと、ちょうどその背中に、つぶれた白い小さなスライムがはりついていた。 「これだぁ、これ。ちょうどこのスライムの経験値でレベルアップしたんだね」 「こりゃ、めでたい!」 「……というか、すこしなさけない」  わたしたちは勝手なことをいってたが、ともあれ、ぶっ倒れたクレイを中心に「レベルアップおめでとうの歌」を歌った。  バッヒューンゥーン、ウィーィィキキキキ……。  とつぜん、聞き覚えのある爆音《ばくおん》がした。 「よお」  黄色に黒のテンテン、光る目のエレキテルパンサーに乗った男。保険屋のヒュー・オーシだ。 「その、にいちゃん。ケガしたみてえだな」  ヒュー・オーシは黒いサングラスをはずし、ニヒルにいった。 「だから、いったろ? あんときプルトニカン・スペシャルに入っときゃあ、あんたら、いくら入ったと思う。ま、|掛金《かけきん》にもよるがな。その傷じゃ、一万はかたいぜ。いくら安く見積ってもな。残念だなぁ、ったく。ほんと、残念」  そして、ふところから電卓《でんたく》を取りだすと、 「えぇっと、リズーの場合の危険計数が六・八。こいつのレベル、上がる前はいくつだったんだ? あぁん?」 「えっと、四」  こんな奴につきあってる暇《ひま》なんかないっちゅうに、このヒュー・オーシ、やたら押しが強いから、ついついのせられてしまう。 「ふむふむ。四か。四!? うーむ。ド初心者レベルか。ちと計算がめんどうだな。レベル四の場合は初心者|控除《こうじょ》があるから、ここがこうなって、で、|端数《はすう》は切捨てだから、ふむふむ。はーん。なるほど。こーゆー数字になるわけだ。ほ———。たいしたもんだ。コイツ」 「なになに? なにがたいしたもんなの?」 「いや、なに。こいつのレベルからいうと無傷での勝率が一・五パーセントで軽傷での勝率三・五パーセント。重傷での勝率七・八パーセントしかないわけよ。よっぽどツキに恵まれているわけだな。おっと、あんたらのレベルも計算にいれないと、ほんとはいけないな。レベルは?……と、聞くまでもないな。あんたらほとんどコイツの足、引っばっているようなもんだしな。あぶねぇあぶねぇ。こいつが保険にはいってたらこちとら大損するとこだったぜ。ま、こーゆーこともたまにゃあるわけか。ふんふん」 「おい、こんな奴ほっとこうぜ」  トラップがいった。 「そうそう。|無視《むし》無視。キットン、クレイを診《み》てあげて」  わたしがキットンにいうと、彼はコックリうなずいた。そして、竹アーマーをはずそうとしたとき。 「を?」  ヒュー・オーシの目がキラッと光った。 「ちょいとごめんよ。こいつの剣を見せてくんな」  そういって、クレイのロングソードを子細《しさい》に見はじめた。 「なるほどな。こりゃあちょいとしたわざもんだ。高く売れるぜ。この剣でのヒット・アドバンテージがプラス二五くれぇか。こいつが使いこなせるかどうかは、こりゃ計算とは別だがな」 「返してよぉ」  わたしほ、クレイのロングソードをひったくった。  すると、ヒュー・オーシは腕時計をちらっと見ていった。 「おっと、一〇分損しちまった」  そして、わたしがなにかいおうとしたときには、  バッヒューンゥーン、ウィーィィィ——ンン……。  土けむりとともに、消えさってしまっていた。        7 「君の名前は?」 「ピット……」  少年はかわいそうに、まだ恐怖《きょうふ》で体をガチガチ震《ふる》わせていた。 「でも、どうして、こんなとこにひとりでいたの?」  わたしがそう聞くと同時に、ピットは急にワァ——! っと泣きだしてしまった。 「おじいちゃんが……おじいちゃんが……大変なんだ……」  彼は、おじいちゃんと二人、旅をしていたらしいんだけど、|途中《とちゅう》でおじいちゃんのぐあいが急に悪くなってしまったんだという。  で、だれか助けてくれる人がいないか捜《さが》している途中、さっきの獣人《じゅうじん》たちに襲《おそ》われたらしい。  まぁ、肩を獣人の爪《つめ》にやられ重傷のクレイには悪いが、人の命には代えられない。  失神《しっしん》したままのクレイを大八車《だいはちぐるま》にのっけると、わたしたちはピットのいう場所へとむかった。キットンが応急処置をし、クレイの血もようやく止まったようだった。  森の道をすこしはずれたところに、その老人は倒れていた。キットンがようすを診《み》る。彼は物知りなだけあって、|医療《いりょう》の心得もすこしばかりならあるのだ。 「どう? キットン」 「あ、水をください」  水筒《すいとう》から水を老人の口にしたたらせる。ゴックンと飲みこむ音。よかった、生きてるんだ! 「どうも軽い脱水症状《だっすいすいしょうじょう》にかかってますねぇ」 「そう、じゃ、別に命には別状《べつじょう》ないのね?」 「まぁそうですが、なにぶん、ご高齢ではありますから、早く安静にして滋養《じょう》のいいものをとったほうがよろしいでしょう」  キットンは、すっかり医者気どりで、そういった。  安心したんだろう、ピットの、涙でべチョべチョになった顔がまた泣きそうになっていた。  その頭をノルが優しくなぜてやっている。うんうん、よかったね!  聞けば、その老人も、もちろんピットもわたしたちの目的地である村、ヒールニントの人だという。  それじゃ、いったんもどって養生《ようじょう》したはうがよかろうということになり、クレイの横に老人を寝かせ、わたしたちは一路、ヒールニントへと急いだのである。  幸い、老人ほすぐ正気をとりもどした。  ピットから事情を聞き、しきりとわたしたちに礼をいったあと、かたわらに寝ているクレイを見た。 「おや、|肩《かた》をどうされたんですかの?」 「リズーっていう獣人《じゅうじん》の爪《つめ》にやられちゃったんです」 「おおお、さっきいってた獣人ですな。ということは、ピットを救ってくださったときに、|怪《け》|我《が》をなすった……」 「いえいえ、まぁ失神《しっしん》なんかしちゃってますけど、ありゃ血がドバドバ出てるのを見て気持ちわるくなっただけで。本人いたってじょうぶなほうですから、しばらくすれば、よくなるでしょう」 「いやいや……リズーの爪はタチが悪いと聞きますよ」 「タチが悪いというと?」 「わるくすると、傷口から病気が移っている可能性もありますじゃ」  老人っていうのは、だいたいわれわれより年をくっているものだ。年をくっているぷん、ものも知っている。  その彼がそういうのだから、かなり本気で心配になってきた。そういえは、気絶したまま、ずいぶんたつではないか。 「あ、クレイ、薄目開けてうよぉ!」  ルーミィが叫んだ。 「なんだ、起きてたのぉ?」  クレイは、なおも気絶してるフリをしようとしたが、まぶたがピクピクしているから、バレバレだ。 「もうー、こっちは本気で心配してんだからね! いつから気がついてたの?」 「…………」 「で、その病気ってどんな病気なんですか?」  わたしが老人にそう聞くと、クレイのまぶたのピクピクは、ますます激しくなった。 「まぁ、病気が感染《かんせん》したと決まったわけでもありませんがのぉ。以前、村のもんが、その病気にかかったときはたいへんでした。一種の狂犬病みたいなもんで、何日か潜伏《せんぷく》期間があるんですが、発病すると一週間は笑いが止まらんのですわ」 「笑い死ぬわけぇ?」  |無神経《むしんけい》なトラップが、そう聞いた。 「死にはしませんでしたが……顔が元にもどりませなんだなぁ……」 「顔が元にもどらなかったって……笑ったまんまになっちゃったんですかぁ?」 「まぁ、元々あまり愛敬《あいきょう》のない男でしたから、みんなかえってよかったよかったといったもんです。ふぉっふぉっふぉ」  老人ほ前歯のかけた顔で笑った。  クレイのまぶたは、ほとんどケイレンし、わたしたちも彼には悪いが、おかしくって笑いをこらえるのに、おなかをケイレンさせていた。 「だいじょぶよ、病気にかかったって決まったわけじゃないし」 「そそ、万一笑い顔のままになったって、おれたちの友情は変わらないさ」 「ルーミィ、クレイの笑い顔、しゅきだよぉ!」  クレイはドサッと寝返りをうち、毛布のなかに顔を埋《うず》めてしまった。    STAGE 3        1  そんじゃクレイのケガもあることだし、老人とピット少年もいっしょにいったんヒールニントへもどりましょう、そうしましょ、ってことになった。  その道すがら老人に聞いたんだけど……。  あー、そうそ、彼の名前はミシュランという。「タイヤみたいな名前だな」と失礼なトラップがいった。  以下、ミシュラン老人との会話を、かいつまんでお話しよう(ご老人の話が、これまた長いのなんの。しかもおんなじことを何度も何度もスイッチバック方式で話してくれるから、なかなか進まないんだな、これが)。 「いや、あんたらがなんのためにヒールニントへ行きなさるのかは知らんが、ちょうどよかった。実はよんどころない事情があって勇気と実力を兼ね備えた|冒険者《ぼうけんしゃ》たちをさがしにエべリンまで行く途中《とちゅう》だったんじゃ」 (注)エべリンというのは、ズールの森の東、ズルマカラン|砂漠《さばく》のちょうどまんなかにある商業都市。もっともっとず———っと東の港町コーベニアとは姉妹《しまい》都市であり、豊かなオアシスに恵まれ、ズール地方一番の大きな都市である。 「まさか! ズルマカラン砂漠をラクダもなしに、ご老人とこんな小さな子だけで旅できるわけないじゃないですか! それにたしか、あそこには最近タチの悪いバジリスクなんかも出るって噂《うわさ》だもん。死んじゃいますよ!」 「そりゃ、承知のこと。というのもじゃ、ヒールニントのゆいつの財源である温泉が涸《か》れはじめての。今じゃ村の者さえ入れないほど乏しい温泉しか出んようになった。もちろん、湯治客《とうじきゃく》などみんな帰ってしもうた。以前は昼も夜もコンコンと湧《わ》きでておったのに」 「えぇ——! 温泉が出なくなっちゃったんですか?」 「おいおい、話がちがうぜ」 「わたしたち、温泉水をもらいに行く途中なんですよ、実は」 「そりゃ、骨折り損じゃったな」 「しかし、またどうして!?」 「実をいうとな。温泉が涸《か》れてしまったのは今回が初めてのことじゃない」 「以前にもあったんですね」 「そう、十年に一度は起こってきた」 「ふうーん。オリンピックなら四年に一度だけどなー」 「だまって、トラップ。で、原因はわかってるんですか?」 「わかっておる。ヒールニントのある、ヒール山の奥深くダンジョンのなかにおるという、ホワイトドラゴンのせいじゃ」 「ホワイトドラゴン!!」  ドラゴンと聞いてわたしたちは興奮《こうふん》した。  ふて寝していたはずのクレイも起きあがった。ドラゴンという言葉に胸踊らせない冒険者《ぼうけんしゃ》なんかいないもんね。 「ドラゴン族の多くと同じく、そいつはわしらの何百倍も長いスケールで時間を生きておる。わしらの百年はあいつらにとっちゃ、ほんの数週間。あいつらの一生といえば、わしらにとっちゃ世界の始まりと終わり」  う——む、オオゲサなんだから……。 「そのホワイトドラゴンがどうかしたんですか」 「あいつは、十年に一度|目覚《めざ》めては温泉を止め、わしらにイケニエを要求し続けてきた」 「イケニエとほまた、時代|錯誤《さくご》だなぁ」  わたしがため息をつくと、トラップが無責任な声をあげた。 「温泉なんか出なくたって、いーじゃん! んなもん、なくたって生活できるでしょうが」 「そうもいかん。ヒールニントは、村の規模《きぽ》こそ小さいが、|湯治場《とうじば》として古くから湯治客の人々に愛されてきた村じゃ。われわれは、命をかけても守りぬかねばならん。ヒールニントの湯泉をゆいつの治療法《ちりょうほう》と信じて遠い国からはるばる訪ねてきてくださる、ご老人たちになんといいわけをすればよいのか。それより、古くから村を守ってきた御先祖さまにもうしわけがない!」  ミシュラン老人は、ツバをパッパッと飛ばしながら力説した。 「おれには、どうもふにおちないけどなぁ」  トラップはまだブツブツいっているが、老人の「御先祖さま」が出てきちゃったら、こりゃもうどうしようもない。 「しかし、そんな横暴《おうぽう》なこと……」  クレイが顔をしかめた。 「もちろん、今まで数多くの冒険者たちが挑戦《ちょうせん》したことはしたんじゃが」 「やられたんですか?」 「いや、ダンジョンに入ったが最後なぜか悪の化身《けしん》となりよった」 「ひえ———。|魂《たましい》をコントロールされちゃうのかなぁ」  わたしは、思わず大声で叫んだ。 「よくはわからん。とにかく行った冒険者たちは、帰ってくるなり反対に村を荒しまわった。じゃから、今やヒールニントの者はみな、冒険者と聞くと毛嫌《けぎら》いしよる」 「う——む、なんか行くのやんなってきたなぁ」 「そのせいで、ヘタに逆《さか》らうよりは、おとなしくイケニエを渡そうという話になったわけじゃ。しかもイケニエは小さな男の子と限られておる」 「小さな男の子!!」  わたしたちは思わず、ピットの顔を見つめてしまった。ピットは、さっとミシュラン老人にしがみつく。 「そう。今回のイケニエ選びにピットも出なくてはいけない」  老人は低くそういい、わたしたちも押し黙ってしまった。 「頼む! おまえさんがた。時間がないんじゃ。イケニエ選びは一週間後に行われる。お願いじゃ。ドラゴンを倒してくれ」  老人は、ノルの腕にすがって、そういった。 「な、ピットはわしのただひとりの孫。この子の両親も今はなく、身寄りといえば、お互い二人よりない!」  今度は困った顔のトラップにすがった。 「見たところ、おまえさんがたも若い。ドラゴンを相手にするのは酷《こく》かもしれん。しかし、しかし、|他《ほか》の冒険者をさがすゆとりは、わしの体にはないんじゃ!」  わたしの両|肩《かた》をつかんで、ゆすった。  わたしたちは、なんかもうどうでもいいやってくらいに感動してた。だって、こんなにわたしたちを必要としてくれたことって、かつてあっただろうか。いーや、ないない。ぜったいない。みんな胸を熱くして、お互いに顔を見あわせた。 「オーケイ、おじいちゃん。わたしたちみたいなヒヨッコパーティでなんとかなる相手かどうかわかんないけど。なんとかしちゃおうじゃない!」 「ま、やばそうだったら、おいら逃げちゃうし」 「トラップ!」 「冗談だってば」 「でもさ、その……ダンジョンに入ったが最後、悪の化身《けしん》になっちゃうっての、気にいらないなぁ」 「それに、今回、クレイは行けないんだよ」 「そか、なにせキャリアだもんなぁ」 「し、失礼な……! ベ、べつにキャリア……いや感染《かんせん》したとは、決まってないんだから! 当然おれも行くからな」  クレイはそう断言し起きあがったはいいけど、肩がズキンと痛んだんだろう、「ウッ」といって肩を押え倒れこんだ。 「ほら、無理よ、無理」  と、そのとき。老人がハタと手をうった。 「お、そうじゃそうじゃ。忘れておった! そのダンジョンのどこかに、クレイさんのかかったかもしれん病《やまい》に効《き》くという薬草《やくそう》が生えておるそうな。前に、ゼンばあさんに聞いたことがある!!」 「そ、そ、その薬草って、な、な、なんですか!」  薬草と聞いて目の色が変わったのは、|栄《は》えある全国薬草大会で入賞したこともあるキットンだ。 「いや、ようは知らんが、とにかくヒールニントに着いたらゼンばあさんに会ってくだされ。ばあさん、わしより長生きしとるし、他にもなにか知っておるかもしれんて」        2  ミシュラン老人に話を聞いていたわたしたちも、ヒールニントの寂《さび》しげな町のたたずまいには胸を突かれた。寂しいっていうより、なんかステバチになっちゃった、っていうか全体的にすさんだ活気のない町。これがつい最近まで湯治客《とうじきゃく》でにぎわっていた温泉町なんだろうか。  町の人々は冒険者を毛嫌《けぎら》いしているという老人の話のとおり、|装備《そうび》をかためたわたしたちは白い目で迎えられた。 「さぁ、あまり人目につかんうちに、わしらの家へ」  追い立てられるように町のはずれにある小さな小屋へと案内された。  小屋のなかはシンプルというか、簡素というか。必要最小限のものしかない。ましてわたしたちが寝泊まりできるようなスペースも設備もない。  わたしたちの当惑《とうわく》がわかったのか、 「ご覧のとおりの小屋じゃ。招待したというのに、泊まっていただけるゆとりもない」  そういって、とてもすまなさそうな顔をした。 「いえ、ご心配なく! わたしたち野宿《のじゅく》には慣れてますから」 「いや、町の村長というのがわしの昔《むかし》からの親友での。あいつの家だったらあんたがた五〇人でも楽々泊まれる。|接待《せったい》もしてくれるし、クレイさんの看病《かんびょう》もしてくれるだろうて。詰も前もってつけてある。紹介もせなならんし、一服したら行きましょうかの」 「だったら、一服なんてしないで、すぐ行きましょうよ」 「そうそ、時間ないんだし」  わたしたちはまたもワサワサと移動し、今度は町の中央より少し奥まったところにある、村長の屋敷に着いた。  さすがは村長だけあって、ミシュラン老人の小屋とは雲泥《うんでい》の差。いくつもの棟《むね》に分かれた、たいそうリッチな屋敷だった。  先に話をしにいった老人が帰ってくるなり、|一緒《いっしよ》に奥へ通された。 「久しぶりに、ごちそうにありつけるぜ」 「ごちしょう! ごちしょう!」  くいしんぼルーミィは、大喜び。満面の笑《え》みを浮かべ、ピョンピョン飛びはねた。  わたしはごちそうより、フカフカのベッドと熱いお風呂のはうが魅力《みりょく》だなぁ……。あ、そっか温泉は出ないんだったっけ。ま、いっか。        3 「あんたたちが、その冒険者《ぼうけんしゃ》かね」  なんかやたら偉そうな態度。長く伸ばした似合わない髭《ひげ》をこすりながら、その村長はいった。デップリ太った体が椅子《いす》からはみだしそうだ。ミシュラン老人の親友という話だったのに、なんかイメージ狂ってしまう。 「悪いが、このヒールニントには、あんたらを歓迎するような人間はいないんでな」 「はぁ??」  ちょっとちょっと、なんか話がちがうじゃない!  でも、わたしたちよりミシュラン老人のはうがショックだったようだ。 「ラーダ、話がちがうじゃないか。おまえは、わしが冒険者をさがしにいくっていったときには、見つかったらすぐ連れてくるように、ちゃんともてなしたい、いろいろと話もしておきたいって、あんなに頼んでおったじゃろうが」 「それはなぁ。おまえさんが冒険者なんていう得体《えたい》の知れん奴《やつ》らを勝手に山へ向かぁせると困るからだよ」 「じゃ、だ、だましたのか!」 「だましたもなにも。わしの使命はこのヒールニントを守ることにある。気のふれた冒険者とやらから村を守るのは当然のことよ」 「いや、策はあるんじゃ。まずは聞いてくれ」 「おい、このおいぼれを屋敷から追いだせ。それから、この冒険者とやらは牢《ろう》にブチこむんじゃ」  村長は、部下にそう命令した。 「ちょ、ちょっとお。待ってよぉ。一方的に決めないでよ。こっちにはケガ人もいるのよ」 「はっはっはっは! ケガ人つきの冒険者に、あのドラゴンが倒せるというのか。しかもこんな小僧ばかりに。ミシュラン、おまえも先が見えたな」  その言葉にミシュラン老人は、顔をまっかにしてブルブル震えるように立った。そして、村長の手下たちに腕を取られながら叫んだ。 「ラーダ! お、おまえという奴《やつ》は。|見損《みそこ》なったぞ」  村長はドン! と杖《つえ》を床《ゆか》に突き、 「ミシュラン。このさいだからおまえにいっておく。わしはおまえなんぞのようなおいぼれから、呼び捨てにされるいわれもないし、まして、おまえ呼ばわりされる覚えもないわ。以後ロのきき方に注意するのが身のためだ」  |一瞬《いっしゅん》言葉をのみ、ミシュラン老人はうなだれた。  そしてわたしたちのほうに、なんともすまなさそうな、さびしそうな顔をして、手下たちに抵抗《ていこう》することもなく腕を取られるまま出て行ってしまった。        4 「ったくよぉ! ごちそうが聞いてあきれるぜ」  トラップがドンと牢屋《ろうや》の石壁をどついていった。 「ごちしょう、ないのぉ? ルーミィもうペッコペコだおぉ」 「なんか、でも、ミシュランおじいちゃん、かわいそうだったね」 「かあいしょうだったね」 「かわいそうとか、人のこと同情してる暇《ひま》、よくあるねぇ」 「だってトラップ、しかたないじゃない」 「しゅかたないじゃない」 「なんで、おいばれのトバッチリなんかかぶらにゃいかんのよ」 「お年寄りのことを悪くいうもんじゃないぞ」  礼儀にはうるさいクレイがそういったら、 「はいはい、じゃ、ご勝手に」  と、トラップは完全にふてくされてしまった。 「仲間割れして、いったいどうするっていうのよ!」 「いうのよぉ!」 「んもう! ルーミィ。わたしのマネするの、やめなさいってば」  わたしもついついイライラしちゃって、ルーミィにちょっときつくいった。ルーミィは半ペソの顔をして、寝ころんだノルの背中にかくれてしまった。 「ごめん、ルーミィ」  ルーミィは顔を半分だけノルの背中から出している。  だめだなぁ。人間できてないなぁ、わたしって。  |自己嫌悪《じこけんお》にかられてため息をついたわたしの肩《かた》をノルがポンポンと叩《たた》いてくれた。小さなクルクルっとした優しい目。なんかノルの目を見ていると、泣きたくなっちゃう。  当然、武器の類はみんな没収《ぼっしゅう》されちゃったし。ほんと、どうすりゃいいんだろ。  キットンはというと、ミシュラン老人に聞いた薬草のことで頭がいっぱいらしくブツブツいいながら薬草百科なんか広げてるし。  クレイはまだ肩《かた》が痛むんだろうに、目を閉じてなにか考えこんでいる。クレイは考えるとき、必ず目を閉じるんだよね。  トラップはというと悪態《あくたい》をつくのをやめ、ふてくされるのもやめて、|牢《ろう》の鍵《かぎ》をチェックし始めた。 「どうだ、鍵はなんとかなりそうか?」  ゆっくり目を開けたクレイがいった。 「う——ん。ちょっとむずかしいなぁ。鍵は問題ないけどさ。なにせほれ」  トラップの指さしたほうにはギロリと油断《ゆだん》のないゴッツイ牢番が三人もいた。 「で、クレイ。なんか考えついたの?」  わたしが聞くとクレイはキッパリ答えた。 「いや、思いつかなかった」  夜になり、牢番たちが粗末《そまつ》な夕食を運んでくれた。粗末は粗末だけど、残さず食べたわたしたちは旅の疲れもあって、ぐっすりと身を寄せ合って寝こけてしまった。  と……。 「起きてください、みなさん、起きて」  小さな、しかし必死《ひっし》な女性の声に目がさめた。  見ると、わたしより四つか五つくらい年上の女性が牢の外にしゃがみこんでいた。  夜に紛《まぎ》れるような漆黒《しっこく》のマントをはおり、月光に青白く浮かんだ顔。黒々と影を落とす長いまつげ、右目の横にある小さなほくろが色っぽい。美人だぁ。 「な、なんでしょう」  わたしはとっさにそういったが、考えてみるとなんともマヌケな返事だ。 「牢番たちを眠らせてあります。さ、今のうちに逃げてください」  おおおお! これは、昔話でよくあるパターンじゃない! 牢につながれた騎士《きし》を助け出す、姫君なんてさ。  わたしはみんなを起こそうと振り返ったが、その必要はなかった。ルーミィをのぞく全員が、その謎《なぞ》の美女に見とれていたからだ。  ノルがルーミィを抱きかかえると、みんな音をたてないようにと注意しながら、美女のあとについて裏門に出た。 「さぁ、ここにあなたがたの武器があります。早くミシュランさんの元に行きましょう。彼にはもう連絡《れんらく》してありますから」 「あ、あの……あなたは」 「わたしはラーダの娘。ユリアです」 「あ、ばくクレイっていいます」 「おいら、いや、ぼくはトラップ」 「こらこら、自己紹介なんかあとまわし!」  もうもう、男ってばすぐこれなんだから。  ユリアさんが近道を選んでくれたおかげで、わたしたちは意外に早くミシュラン老人の小屋へと帰ってこられた。  わたしたちの顔を見て、老人の喜ぶこと喜ぶこと。 「本当にすまなかった。許してくれ」  と、わたしたちに繰りかえした。 「ユリアさんはわしとあんたがたのことを知って、すぐわしの元に来てくれたんじゃ。彼女はわしと同じくイケニエなんかには反対でのぉ。なによりピットをかわいがってくれて、今回に限らずなにかと気にかけてくれとるんじゃ」  ユリアさんはにっこりと微笑《ほほえ》んだ。こっちの男性陣ほますますボォーっとなっている。 「じゃ、とにかくあっちにばれないうちに」 「そうそう、作戦をたてねばのお」 「あ、そういえばミシュランさん。村長におっしゃってましたよね! 『策があるんじゃ』って。なんですか、それ」 「え? そんなこといったかの」 「おっしゃったじゃありませんかぁ!」 「う——む、たぶんそりゃ、口から出まかせじゃて。ふぉっふぉっふぉっふぉ」  これだぁ……。 「あのぉ、ゼンばあさんというほうのお宅にはいつ行かれるんでしょうかぁ」  薬草で頭がいっぱいのキットンが、そう聞いた。 「おっと、そうじゃった。ゼンばあさんのところだったら、あんたらの隠《かく》れ家《が》にもピッタリじゃて。そうと決まったら急がんと」 「あ、それではわたしはこれで。父に見つかるとめんどうですし」  ユリアさんはそういうと、わたしたちに、 「たいへんだとは思いますが、どうかヒールニントを救ってください。お願いします。わたしにできることなら、なんでもしますわ」 「わかりました。まかせてください」  クレイがユリアさんの手を握《にざ》ってそういった。 「あんた留守番《るすばん》だろ?」  トラップが意地悪くいうと、 「ば、ばかな。おれも行くといったら行くんだ!」 「その傷じゃ、|無理《むり》だってば。あ・し・で・ま・と・い」 「え? ケガをしてらっしゃるんですの?」  ユリアさんが心配そうにいった。 「いや、たいしたことじゃないんですよ」 「こいつね、キャリアなの。キャリア」 「はぁ?」 「いつ発病するかわかんないから、そばにいないぼうがいいと思うよぉ!」 「て、てめー!!」 「あ——、この馬鹿たちはほっといていいですから、早く行きましょう」 「いきましょーいきましょー」  わたしとルーミィがそういうと、ユリアさんもコックリうなずいた。うなずいてしまって、はっと口元を押えわたしと顔を見合わせた。自然、クックックックッと、笑いがこみあげてくる。ふたりして笑っているようすにクレイもトラップもすっかり戦意を失ったようだった。  ミシュラン老人といい、ピットといい、このユリアさんといい。ヒールニントにもいい人たちがいっぱいいるんだな。それに、あの村長や村の人たちだって、たぶん過去のいやな思い出でちょっと勘《かん》ちがいしてるだけかもしれないしね。  すっかり気も晴れ(われながら単純だと思う)、「さて!」と小屋を出た。  長老の屋敷の方角から、たくさんのたいまつが移動してくるのが見てとれた。大勢のざわめきも聞こえてくる。 「いかん! もう見つかってしまったようじゃ!」 「そのゼンばあさんっていう人の家は遠いんですか?」 「かなりある。ヒール山の森のなかじゃて。夜明けまでは時間が稼《かせ》げると思うておったのに」  こうしている間にも点々と揺らぐたいまつが近く大きくなってくる。 「この縄《なわ》でわたしをしばって!」  小屋の外にかかっていた縄をノルのはうに差しだし、ユリアさんがそういった。 「あなたがたに脅《おど》かされて牢《ろう》から逃がしたと、そういいます。山とは反対の方角へ行ってしまったとわたしがいえば時間が稼げるでしょう。さ、早く!」  ためらっているノルにユリアさんは背を向けた。意を決して、その縄でぐるぐる巻きにし始めるノル。 「遠慮なさらず、もっと強くしばってくださいまし。でないとわたしが疑われます」  あんなに優しそうで、はかなそうなユリアさんとも思えない強くキッパリした態度にわたしたちは圧倒されていた。        5  村をはずれて、山道に入った。  ノルはミシュラン老人とピット少年、わたしはルーミィをおぶっている。トラップはクレイに肩《かた》を貸してやっていた。  深い山道、月明りだけを頼りに誰《だれ》もが無言で先を急いだ。  しばらくして、視界の開けた場所に出た。そこからは村全体が見渡せた。 「ほら、見て。たいまつが反対のほうへ移動してるわ」 「ユリアさんがうまくやってくれたみたいだな」  今や小さな点にしか見えないたいまつの量が、思ったより多いことにわたしはぞっとした。このぶんだと、たぶん村の人たちの半分はいる。  それだけ、彼らは真剣なんだ。  いったい、過去の冒険者《ぽうけんしゃ》たちの身の上になにが起こったんだろう。  悪の化身《けしん》になってしまうって? そんなことが本当にあったんだろうか。単なる伝説じゃあないのか……。 「さ、行くぞ」  クレイとトラップがわたしをうながした。  ゼンばあさんの家は、一見すると家にはとても思えない。  まるでそれは森の一部。大きな木のうろが入口で、なかに入ると地下道を通じて他の木々のうろにつながっている。  地下に広がる居間はノルが立ってもゆとりあるくらいに広かったし、緑のとてもいい匂《にお》いがしていた。 「さぁ、早く座っとくれ。そうデクノボウのように立ってられると目ざわりじゃ」  緑色のショールをひきずった、ずんぐりむっくりのおばあさんが奥の揺《ゆ》り椅子《いす》に腰《こし》かけ、こ ちらを見ようともしないで、そういった。 「ゼン、わしじゃ。ミシュランじゃ。実はのぅ……」 「いわんでもええ! わかっとるわ」  なんなんだ、このおばあちゃん。ずいぶんと愛想《あいそ》がいいじゃない!  しかし、ミシュラン老人は苦笑してわたしたちに目くぼせした。 「このゼンばあさんほ、それはそれは頭のいい人じゃて。わしらのような下賎《げせん》な者の考えることなど、お見とおしよ。さぁ、くつろがせてもらおう」  といっても、なんとなく居心地がわるい。  みんなモゾモゾとかたまって座った。|椅子《いす》はゼンばあさんの座っている揺《ゆ》り椅子ひとつしないから、|床《ゆか》の上に。 「あ、あのですね。こちらのミシュランさんから、うかがったんですが、この山のダンジョンに、めずらしい薬草があるということなんですが」  恐れを知らないっていうか、なんていうか、キットンがそう切りだした。 「なんじゃ、おまえは」  |陰険《いんけん》な目でチロリとキットンを見る。 「あ、このクレイっていう、あ、この人のことです。で、このクレイがですね、リズーっていう獣人《じゅうじん》の爪《つめ》で肩《かた》をやられてしまったんですよ」  今度はクレイのほうに、チラリ。とたん、ひきつったように笑い始めた。 「ひっひっひっひ、リズーか。かわいそうに。そりゃかわいそうに……っひっひっひ……」  クレイはもう顔をまっ赤にして、|眉間《みけん》のしわなんか深い深い。  わたしもかなり頭にきたけど、わたしより先に喧嘩《けんか》っぱやいトラップがくってかかった。 「ばばぁ! さっきからあんた態度わりいぜ。こちとら好きでもないのに、この村を救いに来てやってんだ。えぇ? 人の不幸がそんなにおもしろいか」  やれやれ、いつもは「人の不幸ほどおもしろいもん、ねーじゃん。あったりまえだろ?」とか平気な顔していってるくせに。  ゼンばあさんは、ふっと笑いを消し、ふしくれだった杖《つえ》をコンと床に突いた。     ・・・・・・・・!!?♯☆・・・ 「トラップ!!!」  あの派手派手のトラップが一瞬《いっしゅん》のうちに消えてしまったじゃないの。 「お、おばあさん! いったいトラップをどうしちゃったの? そりゃ、あいつ言葉はわるいかもしれないけど、さっきからのあなたの態度もいいとは思えませんよ。さぁ、早くトラップを返して!」  わたしはもう夢中《むちゅう》で、|怖《こわ》さを忘れてゼンばあさんのはうへ詰めよった。 「おじょぅちゃんや。あわてるタヌキはなんとやらというじゃないか。よう聞いてみぃ」 「えぇ?」  いわれたとおりに耳をすませると、聞きなれたトラップの悪態が聞こえてきた。 「てやんでぇ! 早くここから降ろせ。ばっかやろぉ!」  大急ぎで地上へ出てみると、はたしてトラップは木のてっぺんで騒《さわ》いでいた。 「トラップー!! だいじょうーぶぅ? 今降ろしてもらうからねー」 「へん、この代々|盗賊《とうぞく》のトラップ様がこんなところから降りられないわけねーじゃんか」 「あ、そう、それじゃがんばってねー!」 「お、おい。ばか」  まぁ、|日頃《ひごろ》からちょっと態度わるすぎるし、ちょうどいい薬かもね、とわたしは安心して居間に帰った。 「トラップの奴《やつ》、どうだった?」 「だいじょぶ。木の上にいた。あいつ木登り得意だもん。平気平気」 「そっか。いや、びっくりした」 「ほんとぉ」  クレイとそういいながら、改めてゼンばあさんを見た。  この人、ウィザードかなんかだろうか。エルフってかんじでもないし。そうよね。どう見てもドワーフかホビットみたいな体型だし。どちらにしても、|謎《なぞ》の多いおばあさんだった。 「で、話の続きなんですが、いいですか?」  キットンはトラップのことなど、どうでもいいようだった。 「その薬草は……ちょっと見つかりにくいところにあるんじゃが……まぁいいだろう。特別に教えてやらんこともないわい」  ゼンばあさんは不気味《ぷきみ》に笑うと、|傍《かたわ》らのバスケットから薬草の位置を示すマップを出した。まるで、最初からわたしたちの考えなど、お見とおしのようだった。  マップには、まがりくねったダンジョンが、まがりくねった線と字で書かれており、わたしは目をしばしばさせた。マッパーのくせに、といわれそうだけど。ほんと、わたしって、こういうの苦手なんだよね。 「ちょっと見せてください」  そういうとキットンは、そのマップを子細《しさい》に見はじめた。 「あの、ちょっと質問なんですが、いいですか?」 「なんだね」 「ここは、低温なんでしょうか、それとも……」 「寒いと思えば寒いじゃろうて。その道もあるがな」 「と、いうと……。いやしかし、この薬草の分布からいくと……かなり限定された条件のところでしか育たないようですし。たとえば、この薬草が繁殖《はんしょく》している部分だけなにか変わった特徴があるんではないですか?」  最初のうちは、うるさそうに答えていたゼンばあさんだったが……しばらくしてキットンの顔をマジマジとのぞきこんだ。 「あんた、名前は?」 「あ、わたしですか? キットンといいます。まぁ、これはニックネームみたいなもんですが。本名はちょっと思い出せなくて」  そうそう。キットンては、|記憶喪失《きおくそうしつ》だったんだ。といってもわたしたちと出会うよりずっと前に、なんだけどね。だから、|昔《むかし》のこととか、自分の家族のこととか、ぜんぜん覚えてないんだって。 「なに! キットンとな?……さ、もっと近くで顔を見せておくれ」  ゼンはあさんは『キットン』と聞いてガラリと態度が変わった。  キットンは不思議《ふしぎ》そうな顔をして、ゼンばあさんの隣《となり》に膝《ひざ》まずいた。  ふたりともボサボサの髪《かみ》で顔が半分かくれているから、どんな表情なのかはわからないけど。これが、若い男女だったりすれば、たちまち恋物語に発展しそうなほど、見つめあっちゃったりしているのだ。  わたしたちは固唾《かたず》をのんで、ゼンばあさんの次なるリアクションを期待してたんだけど、 「そうか……おまえはキットンか……」  そうつぶやいて大きくため息をついた。かと思うと、なにやらブツブツいいながら奥の部屋《へや》へ行ってしまった。  なんなんだ、なんだなんだ? いったい、なんだっていうの!?  ヤキモキするわたしたちとは対照的に、当のキットンは首をふりふり、またマップなんか見はじめちゃったし。 「ねーねー、キットン。あなた、あのゼンばあさんに会ったことがあるんじゃないの?」 「さぁ、記憶にないですねー」 「ほら、キットンは記憶を失くしていた時期があるんだから。おい、もしかしたら、そのころのことを解《と》く鍵《かぎ》になるかもしれないぞ」 「そうよそうよ、もっといろいろ聞きださなくっちゃ! マップなんか見てないでさ」 「別に、記憶を取りもどす必要性を感じているわけでもありませんしねー」  だぁ————! も——。こうゆうとこって、ほんとイライラしちゃう。 「ったくよぉ!ひでぇばあさんだぜぇ」  トラップが木から降りてきた。 「あれ? どしたの? |深刻《しんこく》な顔しちゃってからに」 「……………」 「あのさ、実はキットンがね……」  わたしが、ゼンばあさんの不可思議《ふかしぎ》な行動をトラップに話そうとしたとき、そのゼンばあさんが奥の部屋からもどってきた。  そしてなにか小さなものをキットンに手わたした。 「これを持っておいき。役にたつじゃろう」 「???」  わたしたちも当然のぞきこむ。 「なに、これ」 「一応、手鏡なんじゃない? 汚いけど」 「あの……これ、どういうふうに使うんですかぁ?」  しかし、ゼンばあさんはわたしたちなんか目にも入らないようだった。  そのさびついて、まともに映らない小さな手鏡を持ったキットンの手をポンポンとたたいて、 「キットンよ。おまえなら、これを使える。いいな、忘れるんじゃないぞ。おまえなら使えるんじゃと、いうことを」  とかなんとか、意味ありげな言葉を残し、またまた奥の部屋《へや》へと消えてしまった。 「う——む」 「なんなんでぇ、あのばばぁ」 「ねえねえ、キットン。そんで使いかたわかるの?」 「え? わかりませんけど」 「……………」  たぶん、そうだと思った。けどね。  みんな『ふにおちないよぉ』という状態に落ちこんでしまったときに、それまでようすを見守っていたミシュラン老人が、立ちあがった。 「とにかく今日は、もう遅くなったから休んだほうがいい。ゼンばあさんには、わたしがようすを見て話を聞いておくようにするから。今は明日のことを考えたはうがええんじゃないかの?」 「う——ん、そだね。考えててもしかたないし、寝ましょうか」 『考えてもしかたのないことは考えない』これは、わたしたちの基本|方針《ほうしん》であった。    STAGE 4        1 「こらぁ! 起きて起きて!」  |盗賊《とうぞく》のくせに寝起きの悪いトラップを起こし、いつまでも枕《まくら》にしがみついているキットンから毛布をひっぺがし、やっとしたくを整えたわたしたちは、いよいよダンジョンへと出発した。  わたしも実はふだん寝起きのいいほうじゃないんだけど、こういうときはちがう。ちゃんと自然に目が覚《さ》めるから不思議《ふしぎ》。ほら、遠足だとかの前の日とか、|興奮《こうふん》して寝られないくせに次の日パッチリと誰《だれ》より早く起きたりするでしょ。あれと同じなんだろな。その点はルーミィも同じみたい。 「ぱーるぅー」 「なぁに、ルーミィ」 「くりぇい……かわいしょうだったね」 「ん……でもまぁ、あんなケガしてるんだし、しかたないよ」  そう。ケガで、まだ思うように動けないクレイは、ゼンばあさんの所に残してきたんだ。  さぁ、いよいよダンジョンだというのに、|肝心《かんじん》のファイターが同行できないというのは正直いって非常につらい。クレイだってそうとうくやしかったようで、最後まで行くといってきかなかった。しかし、ついに、 「わかったよ。じゃ、ここで待ってる。だけど、いいか、おまえらぜったいに無理《むり》するんじゃねーぞ! ヤバイと思ったら、すぐ逃げて帰ってこいよな。トラップ、ノル。パステルとルーミィのめんどうみてやれよな。一応女なんだしさ。あ、そうだ。パステル、このショートソード、これ持っていけよ。こっちのほうが攻撃力《こうげきりょく》はあるし、詩人のおまえでも装備《そうび》できるだろ。あ、そうだそうだ、このアーマー。これも装備できないか?」  と、こんなぐあいに、ほとんど子供を送りだす母親に似て、くどくどと、その注意は続いた。  まぁ、クレイのショートソードは借りることにしたが、あのカランカランとうるさい竹アーマーのほうは丁重《ていちょう》にお断わりした。  あの謎《なぞ》の多いゼンばあさんの所に残した……というのは、ちょっと気がかりだけど、まぁミシュラン老人やピットもいることだし、あの美人のユリアさんも来てくれるということだし、だいじょうぶだろう。  いや、クレイの心配をしている余裕《よゆう》は、今のわたしたちにはない。そのことをイヤというほど思い知らされるのは、もうまもなくだった。  二、三時間も歩いただろうか。ゼンばあさんがいったとおり一見動物の巣かなにかのように見える小さな穴が雑草にうずもれていた。 「おいおい、まさかこのなかに入っていくわけ?」  トラップが首をつっこんだ。 「どう? なにか見えた?」 「うんにゃ。まっくら」 「じゃ、ちょっとようすを見てきてよ。ポータブルカンテラ持ってるでしょ?」 「OK!」  トラップは狭い穴に降りていった。  みんな所在《しょざい》なく腰《こし》を降ろし、服についた草の実を取ったり、空を見あげたりしていた。  空の高い所を黒っぽい鳥が三、四羽飛んでゆく。風景だけは平和そのものなんだけどね。 「お——い」  トラップが穴から首だけ出した。 「どうだった?」 「う——ん、ちょっとぐるっと見て回ったんだけどさ、ずーっと狭いぜ」 「そっか」  わたしたちは、巨人族のノルをじっと見た。  ノルは困った顔で、自分の体と、小さな穴とを見比べた。改めて見比べるまでもなく。これはほとんど無理《むり》なサイズだ。 「う———ん」 「う———むぅ」  みんなうなってしまった。  ファイターのクレイが同行できない、というハンデをしょったわたしたちにとって、|怪力《かいりき》の持ち主、ノルがまた行けなくなったというのは、そうとうの痛手だ。  それに、なんといっても冒険《ぼうけん》をしていて一番いやなのが、こうやってひとり、またひとりとメンバーが減っていってしまうことだ。単に戦力の減少というだけでなく、なんとなく不吉なかんじがしてくるじゃない! 「どうすんだよぉ。行くの? 行かないの? ったくよぉ。うなってたって先進まないぜぇ」  トラップは穴から上半身を乗りだし頬杖《ほおづえ》をついて、そういった。 「そうだね。先に進まなきゃ意味ないもんね。よし、んじゃ、ノル。ゼンばあさんのとこでクレイと待ってて」  しかし、ノルはうしろにしばったわたしの髪《かみ》をひっばった。ふりかえると、なんとも心配そうな顔。 「だいじょうぶだって! ほんと、クレイのいってたとおり、ヤバくなったら、さっさと逃げて帰ってくるから。ね!」  ノルはなにを思ったか、空を見あげ指笛を鳴らした。 「ヒューーィピューーウ」  いったいなにやってんだろ、とみんな同じように空を見あげた。  しばらくすると、さっき飛んでいた黒っぽい鳥が一羽。  一回|頭上《ずじょう》でクルリと円を描いたかと思うまもなく、さっと急降下。ノルの頭の上に止まった。 「ピュッピピピ、チュイチュク」 「ジュイピピピ、チュイ!?」  ノルは頭の上の鳥となにか話しはじめたが、しばらくして話がまとまったらしく、ノルも鳥もこっちを向いた。 「ど、どうかしたの? ノル」 「この鳥がいっしょについていってくれる」  おおお、ノルが声を出すのって、めずらしー。 「でも、鳥って暗いところじゃ見えないんじゃないの?」 「この烏は暗くてもすこしは見える」 「ふーん、でも……」 「なにか困ったことあったら、この烏の足に、そのことを書いて」 「あ、わかった。|伝書鳩《でんしょばと》がわりね!」  ノルは大きくウンウンとうなずいた。 「OK!わかったわ。ありがとう、ノル」 「いちゃい! いちゃい!」  ルーミィが早速《さっそく》、その鳥の尾羽根をひっばったらしく、鳥に手や頭をつっつかれて逃げまわっていた。  あーあ、ほんと。風景だけは平和なんだけどね。        2  ダンジョンのなかはトラップのいってたとおり、まっくらで狭かった。  はって歩くというほどではないけれど、まっすぐ背筋をのばして歩くことは不可能。ちょっとかがんで歩き続けるというのは、けっこう疲れる。背の低いキットンやルーミィは関係ないけど、わたしやトラップは、もう腰《こし》が痛くて痛くて。 「ちょ、ちょっと休憩《きゅうけい》しよ」  わたしはへたりこんだ。 「どしたの? ぱーるぅ。ルーミィ、まだ、ぜんぜん平気だぉ?」 「ああ……ルーミィ。悪いけどさ。そこ、腰のとこトントンたたいてくんない?」 「ここ?」 「そそ、そこそこ……うんうん気持ちいい」  薬草で頭がいっぱいのキットンは、 「ちょっと先を見て来ます」  と奥のほうへ消えたが、すぐまた息を切らしてもどってきた。 「あの、あのですね。はあはあ……こういう箱が置いてありましたが」  キットンは手で大きさをしめした。 「うーん? 箱? どんな?」 「なんか、タテ二五センチ、ヨコ三五センチ、高さ二〇センチくらいのですね。まぁ、|典型《てんけい》的な宝箱のような……」 「なに!? 宝箱!?」  宝と聞いて、|跳《は》ねおきたトラップは天井《てんじょう》でゴチンと頭を打った。 「イテテテ。キットンどこなんだよ」 「あ、先のですね。左のほうにくぼみがですね」  キットンに話を聞くより自分で行ったはうが早いと、トラップは頭をさすりながら走っていった。  わたしたちも「へぇー宝箱ねぇ」と、ずらずらついて行った。  はたして。  古ぼけてボロボロの宝箱があった。すでにトラップがワナがないか点検を始めていた。 「よし。ワナはないようだな。|鍵《かぎ》はずすからさ、ちと手元照らしてくれる?」  わたしがポータブルカンテラでトラップの手元を照らす。鍵はあっけなく開いた。  期待に満ち満ちた顔が並んだが……。 「ちぇぇー」 「なんだぁ」 「は、お金ですね」 「何枚ありゅの?」  数えるのも、あっけない。全部で二一枚。 「さんざん期待させやがってよぉ、たったの二一Gかぁ。けっ!」  まぁ、ないよりあったはうがうれしいのが、お金。わたしはお財布《さいふ》にしまった。  宝箱のあったくぼみから、しばらく行ったところで二つに通が分かれていた。 「どっちだっけ?」 「待って待って」  ゼンばあさんのマップを見ると、 「こっちから入ってきたでしょ? んで……と。わかったわかった。左だ左」  わたしはキッパリ|断言《だんげん》したんだけど、どうもなんかおかしい。 「おいおい、ここさっき通った通じゃないのかぁ?」 「あ、ほんと。これ、このとんがった岩、これ覚えてる」 「さっきのとこ、右じゃないの?」 「ううん、たしかに左だよぉ。それに、また同じ道だなんてはずないし、たぶん似てるだけじゃないかなぁ」  しかし、そうではなかった。実際、ダンジョンの入口にもどってきてしまったじゃないか。 「いったん出てから、マップをもう一回見なおしたほうがいいぜ」 「そうしよっか」  だんだん自信がなくなってきたわたしは、力なくいった。 「ほーらね、やっぱり。ここ、ここが宝箱のあったとこでしょ? で、ここだもん」 「う——む」  マップを広げて、指でたどってみたが、やっぱりさっきので正しい。 「あ、もしかして、ワープポイントではありませんか? わたし、以前そういう場所がダンジョンに隠《かく》されていたという話を聞いたことがあります。あれは、テイルナノールというダンジョンでしたが」 「ワープねぇ」 「まぁ、考えててもしかたない。今度は試《ため》しに右へ行ってみよっか」  結論が出たところで、またダンジョンへと降りた。しかし、ここでまたもや不思議《ふしぎ》なことに出くわした。 「おい、変だぜ。さっきの宝箱がありやがんの。おれ、たしかに投げすてたと思ったけど。|誰《だれ》かまた元のところにもどした?」 「ううん、わたしはそんなことしてない」  他のふたりも同じだった。  トラップは、また宝箱を手に取って点検し、 「おかしいぜ、ほら、また鍵《かぎ》がかかってるしー」  宝箱を開けてみると、今度は三四G入っていた。  さっきの二つに分かれているところに着くと、今度はわざと右に行ってみた。  しかししかし、結果は同じ。またもや入口にともどってしまった。 「こりゃ、なんかトリックがあるんだ」 「こーんな自然のダンジョンにトリックなんてあるの?」 「自然のダンジョンに、あんな取っても取っても出てくる宝箱なんかあるか?」 「自然じゃないって……」  わたしはここで、ぞ——っとしてしまった。  そういえばトラップのいうとおり、たしかにこれはトリックとしか思えない。あの宝箱もなにか変だ。ゼンばあさんやミシュラン老人の話には、そんなことまったくでてこなかったというのもおかしい。  なにかの力が、わたしたちにまやかしを見せているとしか、思えない。 「もう一回だけ行ってみよ。あの宝箱もなんかあやしいし」  しかし、結果は同じだった。  |万事休《ばんじきゅう》す。なさけないことに、最初っから詰《つ》まってしまったようだ。 「う——ん。なんかこうダンジョン攻略本《こうりゃくぼん》みたいなのがありゃぁいいのに」  と、トラップは不謹慎《ふきんしん》なことをいった。 「わかんないなぁ。一度ゼンばあさんに聞きにもどってみる?」 「いえ、ちょっと待ってみてください。今、考えが浮かびそうなんです」 「へぇー、めずらしいじゃん。キットン、どうかしたの?」  そう、なんかキットンたらこのところ目つきがちがうというか。知的なかんじがするのよね。これはキットンに期待して、しばらくわれわれは休むしかないようだ。 「そ、じゃあさ。おれ、あの宝を取れるだけ取ってくるよ。じっとしててもつまんないしさぁ」  こういってトラップはダンジョンへ、ひとりもどっていった。うーむ、|盗賊《とうぞく》の鏡だなぁ。  小一時間もたっただろうか。  わたしもルーミィもすっかり寝てしまった。だって、ポカポカといい天気なんだもん。 「なーに、寝てんだよ!」  トラップの大声で目がさめる。 「あ……トラップ。えっと……あぁ、そうだった。ダンジョンの謎《なぞ》はわかった?」 「さぁね。しかし、二〇回は宝をいただいたぜ。平均二〇Gだとして、ニニンガシと、四〇〇Gだぜ。へっへっへ」 「すごぉい!」 「しゅごぉい!」 「ホワイトドラゴンなんていう物騒《ぶっそう》なもんに会いに行くこたねーぜ。ここで一日かせげば借金どころか大黒字まちがいなしだもんな」 「あのね……」 「へっへっへ。さーてと」  トラップは得意満面《とくいまんめん》の顔で胸元から財布《さいふ》を出そうとして、ぎょっとなった。パタパタと胸をたたいている。 「どうしたの?」 「じ、じょーだんはなしだぜ」  トラップはピラピラの、いかにも軽そうな財布を出した。 「なんだ、なんにも入ってないじゃん」 「こりゃ、ウソだ。ウソに決まってる。おれ、確かに二〇回金を取ってはこのなかに入れたんだぜ!!」 「ちょっと待ってよ。わたしのも調べてみるね」  念のために、わたしも自分の財布を出して確かめてみた。 「あ、やっぱり……。ここに来る前から持ってたぶんしかない」 「げ—————!! あれはイカサマかぁ??」  トラップはショックのあまり、その場にひっくり返ってしまった。  よはど腹が立ったんだろう。そこいらの草をちぎっては捨てちぎっては捨てしている。 「わかったぁぁー!!」  突然キットンが大声をあげたもんだから、みんな三〇センチは飛びあがった。 「わかりました。さぁ、出発しましょう」 「わ、わかったって?」 「トリックがわかったんですよ。とにかく行ってみればわかることです」  なにがなにやらわからないわたしとルーミィは、ブーブー文句をいい続けるトラップを引きずってダンジョンへもどった。  やっぱり宝箱がチョコナンと置いてあり、それを見るやトラップは思いっきりけっとばそうとした。 「だめ! だめです。それにふれては」  キットンの大声がダンジョンに響きわたる。 「たぶん、わたしの勘《かん》にまちがいがなければ、この宝箱がトリックなんです」 「あ、そっかぁ。これにさわるとダメなんだ。先に行けないんだね!?」 「そうだと思います」        3  キットンの説は大正解。宝箱にふれずに左に曲がると、今までは見た覚えのない一本道に出た。ゼンばあさんのくれたマップのとおりだ。 「ちぇ、早くそれをいえよなぁ」  トラップはまだブーブーいっている。 「あ、あっちのほうが明りゅくなってゆよぉ!」  ルーミィが叫んだ。  ほんと、先のほうに明るい光が見えた。  わたしたちが走っていくと、|天井《てんじょう》に穴があいていて、そこからさしこんでいた。  その明りでマップを見ると、薬草のある場所はここよりも上。 「ここを登ったほうがいいみたいよ。トラップ、ちょっとのぞいてみてよ」  トラップは返事をするより先に、ひょいっと穴に手をかけ、下半身だけを残して穴に消えた。 「どう?」 「あ—————すげぇー!!」 「どしたの? なにがあるの?」 「にゃにが、ありゅの?」 「ちょっとぉ、もったいぶらないでよ!!」 「ルーミィも見ちゃいよぉ」  えぇーい、じれったい! わたしたちは、|好奇心《こうきしん》でバタバタした。 「すげ———広いぜ。広くて天井《てんじょう》も高いし。それに、輝いてる」 「輝いてる?」 「そそそ。なんか光ゴケみたいなんが、びっしり生えてるぜ」 「危険はなさそう?」 「う——ん、別になにもいないようだけど……あれ? これ、なんだぁ?」 「なになに? なにがあったの?」 「…………」  トラップが黙《だま》ってしまった。ということは、またなにか宝箱でも見つけたのかな。 「ちょっと! いったいどしたのよぉ」  わたしがトラップの足をつかもうとした、それより一瞬《いっしゅん》早く。信じられないスピードで、トラップの下半身が上ヘピュゥッと引きぬかれた。 「ぎゃぁぁぁぁぁ—————!!!!」  ものすごい悲鳴《ひめい》。  なんだなんだ。いったいなにがあったんだ。  わたしもルーミィもキットンも、こりゃただごとじゃい! と不安でいっぱいになったが顔を見あわせるばかり。 「ね——— 、トラップ。どうしたのぉ?」 「タスケテクレェ……」  トラップの叫び声が遠くから聞こえてくる。  しかたない。ちょっと見てみよう。  穴に手をかけて、恐る恐る、顔を穴から上に出してみた。 「うわわわ……」  わたしは、あんまり驚いたので、すってんと尻《しり》もちをついてしまった。 「とりゃっぷ、どしてたのぉ?」  ルーミィが心配そうにわたしをのぞきこむ。 「あ、あ、あのね。|壁《かべ》がトラップをひきずっていってた」 「壁が、ですか?」 「そう。そういうモンスターかなんか知らない? キットン」 「さぁ、ちょっと調べてみましょう」  そういうと、キットンはモンスターポケットミニ図鑑《ずかん》を広げた。  しかし、そう落ちついてもいられない。 「よし、ルーミィとキットンはここにいてね。動いちゃだめよ。わかった? ルーミィ」  心細い顔で、大きなブルーアイをもっと大きくして、ルーミィはコックンとうなずいた。  わたしはクレイに借りたショートソードを握《にぎ》りしめ(クレイ! 力を貸して!)と心のなかで念じ、穴の上に向かった。  穴の上はさっきトラップが言ってたとおり、|天井《てんじょう》も高く広々とした空間だった。それにそこいらじゅうがキラキラ輝いていてまぶしいくらいだ。まっくらななかにいたから、よけいにそう思えるのかもしれない。 「なにしてんだよぉ」  トラップの声だ! 目を細めて、声のするほうを見わたした。  いやはや。あれはいったいなんの冗談《じょうだん》だ。  横五メートル縦四メートルはあるかな? とにかくトラップを十の字に張りつけにしたかこうで捕《つか》まえ、モソモソと後退する、ソレは、どう見ても壁《かべ》にしか見えなかった。  その壁にもやっばり光る草か苔《こけ》のようなものがピッシリ生えていて、足にあたる部分だけが根っこのように長い。表面に生えている苔が一部だけ触手《しょくしゅ》のように伸びて、トラップをはがいじめにしているようだった。 「だ、だいじょーぶぅー?」 「ばかやろぉ——!! これがだいじょうぶに見えるかぁー! くそっ離せ! こぬやろ」  たしかにだいじょうぶなわきゃないよな。  トラップは全身をめちゃくちゃに動かして、逃げようとしているみたいだったが、とても歯のたつ相手にはみえない。  ここで深く思案《しあん》しているゆとりもない。とりあえず、弓で一発|射《う》ってみようと、思いついた。これなら近づく必要もない。  しかし、わたしが狙《ねら》いを定めるのを見た瞬間《しゅんかん》、トラップが悲壮《ひそう》な叫び声をあげた。 「てめー!! おれを殺す気かぁぁ」 「あら、失礼な。ちゃんと外して射るわよぉ」 「だ、だめだ。頼む。おめぇ、まだまともに当たった例《ため》しねーんだからよぉ」 「あのねー。こ——んなに大きな的《まと》をはずすわきゃないでしょーが」 「たしかに的はでかい。でも、おれもそこに張りついてんだぜ」 「だいじょぶだってば」 「いや、万が一ってこともある。とにかく、それだけは勘弁《かんべん》してくれよぉ」 「だ——って、じゃあどうしろっていうの?」 「はら、そのショートソード。それでツンツンやってみれば?」 「やぁよぉ。近づかなきゃなんないもん」  わたしたちが言いあいをしているあいだにも、どんどん壁のほうは後退を続けている。  いったい、トラップをどこに運ぼうというんだろう。 「しょーがないなぁ」  わたしは大きくため息をついて決心し、ショートソードを抜きはなった。 「でやあぁぁぁぁ——!!」  ショートソードを両手でしっかり握《にぎ》りしめ、|壁《かべ》めがけて突進しようとしたとき、 「あのぉ——」  うしろでキットンの、のんびりした声がしたもんだから拍子抜《ひょうしぬ》けもいいとこだ。 「なんなのぉ?」 「あ——、見つかりました。このモンスター」 「あら、まあまあ! ちょっと見せて見せて」  キットンの開いたページを見て大いに納得《なっとく》。  このカベみたいな奴《やつ》、名前はヌルヌラ。こういうダンジョンのなかに住んでいるんだそうで、ふだんは壁と一体化しているからわからないんだそうだ。  どれどれ……。ヌルヌラは光るものが好きで、そのコレクションを奪《うば》おうとした者は、反対にコレクションにされてしまう??  あ、そういえば——。 「トラ——ップ!」 「あんだよ」 「あなた、さっきなんか見つけたって騒《さわ》いでたわね。その右手になに持ってるのよ」 「へ? あ——この宝石? そこの穴のとこに落ちてたんだ」 「だぁぁ————!! それよぉ、それそれ」 「はぁ?」 「それはねー、そのモンスターのコレクションなのよ。返さなくちゃ」 「ちぇっ、これルビーかもしんないぜぇ?」 「おばかぁ! 自分の命とどっちが大切なのよ!」 「わぁったよ! ほれっ」  しぶしぶトラップが赤く光る小さな石を放り投げると。  ヌルヌラはべっと吐き出したようにトラップを離し、宝石の落ちたほうへドタドタと走って行った。  壁が走るのを見たのは、当然ながら初めてだ。  しかし。全方向の壁が動き始めたのを見たときには!!  なんと今までビクとも動かなかった壁すべてがヌルヌラだったのだ。宝石めがけて、その全員(全員というか、なんというか)がドタドタ走り寄ってきたからたまらない。  わたしたちは命からがら、穴にもぐった。        4 「いてぇ!」 「ぎゃぁ!」 「うわぁっ!」  こういうときはすばしっこいほうが損をする。先に降りたトラップの上に、わたし、キットンの順で落ちたのだから。 「ってててて。早くどけよぉ」 「なにいってるのよぉ! トラップがあんなもんに目がくらんだから、こんなことになったんでしょ——?」  まったく災難《さいなん》続きだ。  したたか打ったらしい腰《こし》をさすり、あたりを見まわした。  なんか変だ。なんかこう足りない。 「あれ? ルーミィは?」  そうだそうそう。いつもだったら、こんなときすぐかけよって、あーだこーだうるさいルーミィがいないじゃない! 「ルーミィ……ねぇ、キットン、ルーミィはどこに行ったの?」 「は? いえ。わたしが上に登ったときには、いましたけど」 「そんなぁ……」 「どーせ、そこらで遊んでるか寝てるんじゃねーの?」 「まさかぁ、こんなときに。ル——ミィィ—————!!」  わたしは両手を頬《ほお》にあて、大声で呼んでみた。しかし、返ってくるのは、自分のエコーバックだけ。  急に胸がドキドキしはじめる。  どんなにこわいモンスターに追いつめられても感じたことがない恐怖《きょうふ》。  そして、|焦《あせ》りで頭がガンガンしてきた。 「ど、どうしよぉ……」  こんなときにと、がまんしようとしたが、涙が勝手に出てきてしまう。  ぐずぐずいいながらトラップの腕をゆすった。 「とにかく、|捜《さが》すしかないぜ。キットン、おめールーミィがもどってくるとわりいから、ここで待っててくれよな」  キットンは神妙《しんみょう》にうなずいた。 「よおし。じゃ、とにかく奥に行ってみようぜ。ルーミィの性格からいうと、後もどりしたとは、思えねーからな」  そういうと、トラップはわたしの背中をポンポンとたたいてくれた。  人間なにかしなくてはいけないことがあるときは、少しは落ち着くようで、涙も止まった。  そうだ、泣いてる場合じゃあない! 「ル——ミィ——!」 「お———い、ちびぃ——! ちびすけ! ちびたぬきい——!!」  ポータブルカンテラだけを頼りに、まっすぐ歩いていく。  横道のない一本道だから救われる。これが、|縦横無尽《じゅうおうむじん》に張り巡《めぐ》らされた、マッパー泣かせの意地悪いダンジョンだったら。思っただけでゾッとする。  しばらく歩いたところで、トラップが地面に膝《ひざ》をついた。 「どうかした?」 「あ? あぁ。なんかさぁ、この道。ヌメヌメしてないか?」 「う、うん。そういえば」 「ちと、そっちからも照らしてくれる?」  ポータブルカンテラで照らした地面を、トラップはこすったり叩いたりした。 「おいおい。|勘弁《かんべん》してくれよぉ」 「なに?」 「これ、ウロコかなんかじゃねーの?」  わたしも、はいつくばって見てみた。  なるほど。トラップのいうとおり、地面というよりは、ウロコみたいなものがビッシリ規則正しく生えている。しかも、そのウロコがごくごくわずかではあるけど、動いているじゃない! まるで、生き物の腸《ちょう》のゼンドウ運動のように。 「やだっ! 気持ちわるい」  とはいっても、その気味のわるい部分にしか立っていられないんだから困る。 「ほら、ほんのちょっとだけどさぁ、歩かなくても動いてるぜ」  トラップがおどけて一本足で立って見せた。  |壁《かべ》を見て初めてわかる程度だが、たしかに奥へ奥へと進んでいる。 「へへ。歩く歩道、なんちゃってね」  トラップったら今度はムーンウォークなんかしてる。この人、いったいどういう神経してるんだろ。 「どうする? このままさがす?」  トラップはわたしの問いに答えず、じっと奥を見つめていたが、やがてクルッとふりかえり、わたしの肩《かた》をポンッと叩《たた》いた。 「ちょっくら、ようすを見てくるわ。おめぇ、キットンとこにもどって待ってな」 「え? ダメよぉ、ダメダメ。またはぐれちゃうじやない。行くんだったらわたしも行く」  わたしはトラップの腕にしっかりしがみついた。  これ以上|誰《だれ》かいなくなったら……と思ったら、今度はキットンのことが無性《むしょう》に気になりはじめた。また動惇《どうき》がドクッドクッと激《はげ》しくなる。 「ちょっと、キットンのとこにいったんもどろう。彼ならいい知恵がうかぶかも」 「そだな。最近|冴《さ》えてるしな」        5  しかし、わたしの予感は当たってしまった。  大急ぎでもどってみたが、穴の下には誰《だれ》もいない。穴の上を見てもやはり無駄《むだ》。まだヌルヌラたちがドタドタ動きまわっているだけだった。 「キットン……どうして……」  わたしはヘタヘタと座りこんでしまった。 「どうして、ここにいないのよぉ!! なんで動くの?」  トラップがわたしの頭の上に手を置いた。 「泣いてたって、ラチあかねぇぜ。ここは一本道だ。もどるときには出会わなかったんだし、こっちか、こっちしかねーわけだ」  と、親指で上とうしろを指す。 「いったん、外に出てみようぜ。ちゃっかりひなたぼっこしてるかもしれねーし」  とてもそんなことは信じられなかったが、とりあえずもどってみて確かめるというのも、わるくない。 「ちょっと待って。ここにメモを残しておくわ」  わたしは鞄《かばん》からノートとペンを出した。 「ルーミィ&キットンヘ。もし、ここにもどったら、ここから動かないでください。わたしたちもすぐもどります。トラップ&パステルより」  ノートを引きちぎると、風に飛ばされないよう、石を上に置いた。 「これを読んでくれるといいけど……」 「あー……しかし、ルーミィって字が読めたっけ?」 「あ、そっか……。そだ! わたしとあなたの似顔絵を描いておけばわかるよ。きっと」  わたしがまたペンを取り直したとき。  ひゅるるるるる……という、なんとも気味の悪い、まるで長年わずらった喘息《ぜんそく》みたいな音がした。  トラップと顔を見あわせるより先に、今度は耳が聞こえなくなった。  目も開けていられない。  今度は胴《どう》が浮く。 「ヒャアアア……」  かすかにトラップの声が聞こえたようだった。  |突如《とつじょ》わたしたちは一本道の奥へと、ものすごい勢いで吸引されてしまったのだ。  このままどこかの壁《かべ》に打ちつけられたら、痛いだろうなぁ……そうなったらいやだなぁ……と思った。  でも、なるようにしかならないなぁ……とも思った。  せめて目だけでも見えればいいのだけど……。  しかし、なんともふんわり、落ちていったような気がする。  |夢《ゆめ》をみていた。  とても不思議《ふしぎ》な緑色がかすんで、目の前をベールのようにおおっていた。  そこは、とてもなつかしい……わたしの部屋《へや》。  ルーミィたちと冒険《ぼうけん》をするようになるより、少し前の。  夢のなかで、わたしは自分を見おろしていた。  古ぼけて表紙が取れそうになっている本、テカテカになったぬいぐるみ、わたし自身が書きためた小説、青い線が入っているところ以外はなんの興味もひかない小石、小さな木箱に詰めた大小の木の実、父にもらった孔雀《くじゃく》の羽、ちびた鉛筆《えんぴつ》、子供のころ大好きだったブラウス……。  そんな思い出深い品々をひとつひとつ手に取っては、胸に押しいだき、|天井《てんじょう》を見あげては首を軽くふって、その品々を箱に詰《つ》めていた。  わたしは、この光景を知っている。  両親の告別式《こくべつしき》が終わって、たったひとりになってしまったあとのこと。 「おばあさまの家に行きなさい」  と、いわれた。  父の母にあたる、そのおばあさまは、とても厳格《げんかく》でこの世の中のロマンティックなものすべてがムダだと信じているような人だった。  |想像《そうぞう》のなかで出会う妖精《ようせい》たちとの会話を楽しむような娘は、|嫌《きら》いなんだろうと思った。事実、わたしは一度として、その灰色のショールにおおわれた胸に抱かれたこともなければ、声をかけてもらったことすらない。  わたしがただひとりの肉親である祖母の元へ行かず、|冒険者《ぼうけんしゃ》などという道を選んだのも、そんな祖母の冷たい視線に、これまではぐくんできた、たいせつなあたたかいものを凍《い》てつかせたくなかったからだ。  そのあたたかさは、イコール父であり母だ。  そのあたたかさがいっぱいに詰まった、小さな品々をわたしは冒険に持ち歩くことをあきらめるよりしかたなかった。  ひとつひとつ、手に取る。  そのひとつひとつが、いろんなことを語りかけてくる。 「わたしを忘れないで」  そういったのは、小さな品々ではなく、わたしのほうだ。  あなたたち、わたしのことをどうか忘れないで、と。  わたしは、夢のなかのわたしから窓の外へと視線を移した。  風が、窓の外から見える木の黄色の葉を惜しげもなく落としていた。  そうだった。  わたしが冒険《ぼうけん》に出発したのは、もう肌寒《はださむ》い秋の朝のことだった。  ゆっくり目を開けてみる。  まだ、耳は聞こえないようだ。  頬に手をやると、わたしは泣いていた。  いったい、どうしてあんな夢を見たんだろう。  わたしは首をふって、|感傷《かんしょう》を払いおとした。いまは、現実の心配をしなくてはいけない。  そこは、さっきのヌルヌラのいた広間と同じく、光輝く苔《こけ》が生えた小さな穴で、下は羽《う》|毛《もう》|布《ぶ》|団《とん》のような植物が生い茂《しげ》っていた。  この植物がわたしをふんわり受けとめてくれたのだ。  立ち上がって、まわりを見わたす。二か所出口があるようだった。  とりあえず、右の出口へ行ってみることにしたが、奥が暗くてよく見えない。  あぁーしまった。さっきポータブルカンテラを落としちゃったんだ。 (だから、かっこわるいとかいってないで腰《こし》にシッカリ|縛《しば》っとけっていったろ?)  というクレイの声が頭のなかで聞こえた。  まぁしかたない、と手探《てさぐ》りで進もうとしたら、うしろで声がした。 「そこ、ボクの貯蔵庫デシ」  ぎょっとして、ふりかえる。  さっきわたしが落ちたフワフワの植物のなかから、首だけだした小さな生きもの。 「あ、あなたは……誰《だれ》?」 「ボク? ボクはね。ホワイトドラゴンデシ。名前は……名前はあったんだけど……忘れちゃったデシ」  こ、これが? この小犬くらいしかない、この子がわたしたちの仇敵《きゅうてき》なわけ? 「あ、あのね。ボクのおかあさんとか、おとうさんとかは?」  ホワイトドラゴンは小首をかしげる。 「もっと大きなドラゴンはいないの?」 「あぁ、ボクも大きくなろうと思ったら、なれるデシ。見たいデシか?」 「ううん! いえいえ、けっこう。いーのいーの」 そうか。サイズは自由自在なんだな。  しかし、なんかぜんぜん悪者ってイメージから、ほどとおいじゃない。かわいいし、性格もよさそうだし。  しかし、ずいぶん変なしゃべりかた。 「ここ、あなたのおうち?」 「そうデシ。ボクのベッドデシ。ボクさっき起きたとこなのデシ」 「ふうん。そう。わたしが起こしちゃったのかな?」  なんか、この子と話していると保母さんにでもなった気分がしてくる。 「ううん。そんなことないデシ。えーっと前に起きたのが、七日前だから……」 「えぇー? そんなに長く寝てるの?」 「はいデシ。寝る子は育つデシ」  本当にこの子がヒールニントの温泉《おんせん》を止めているんだろうか。  今はこんなに小さいからして、こんなあどけないかんじだけど、いったん巨大になると性格も一変するとかあるんだろうか。  わたしがアレコレ考えていると、ホワイトドラゴンは横にチョコナンと座ってわたしの顔をのぞきこんだ。 「あのね、ボクね。ここで誰かとお話しするの、初めてなのデシ」 「へぇーそう」 「はいデシ。みんな話せない奴《やつ》らばっかなんデシもん」  そうだろうなぁ……。あんなヌルヌラなんかばっかじゃあね。 「おねーしゃんは、ひとりで来たデシか?」  ホワイトドラゴンに、そう聞かれて、トラップとも別れ別れになってしまったのに気がついた。とうとうひとりになったのか……。  まず、ルーミィが行方不明《ゆくえふめい》。次にキットン。こんなふうにひとり、またひとりといなくなるってイヤなかんじだ。  ノルが来れなくなったときに感じた恐怖《きようふ》を、また思いだした。  いや、最初にクレイ。一番の戦力、ファイターのクレイが怪我《けが》をして参加できなくなった、そこから考えると……。  ダンジョンの入口が狭くて入れなかった力持ちのノル、そして唯一《ゆいいつ》の魔法使いルーミィ……薬草なんかにくわしいキットン……なんだかんだといって、やっぱりたよりにはなるトラップ。  もしかしたら、これはまさしく「計画どおり」ってことじゃないだろうか。  わたしたちみたいなヒヨッコパーティでも、団体でいればなんとかなるかもしれない。まずはバラバラにして……。  ここまで考えると、ますます見えないワナの存在が本当にあるように思えてきた。    STAGE 5        1  わたしはとりあえず、このホワイトドラゴンの寝室から出て、まわりを探索《たんさく》してみることにした。  いっしょに飛ばされてしまったトラップがどこかで伸びているかもしれない。 「あなた、ついてきてくれる?」  こんな小さなドラゴンでも、|誇《ほこ》り高いドラゴン族であることにほ変わりない。ちょっと、おっかなびっくり聞いてみた。  しかし、人なつっこい目でわたしを見あげ、あたりまえのことをなぜ聞くんだろうという表情。 「この先は暗いデシ。ボク、照らしてあげるデシ」  と、先に立ってトットコ歩きだした。  照らしてくれるというのは、つまり彼がボォーッと火を吹いてくれるということなんだけど。あんまり低いところを照らしてくれても、役に立たないので、彼を肩《かた》にのせて行くことにした。  |驚《おどろ》いたことに、彼の吹く火は明るいが熱くはなかった。  聞いたところによると、|調整《ちょうせい》ができるんだそうで、今吹いている火は相手を焼き焦《こ》がすという目的で吹く火ではなく、まぶしくさせて一瞬《いっしゅん》ひるませるための炎なんだそうだ。  いつまでも、ホワイトドラゴン君…とか、ボク…とかって呼ぶのも変なので、仮に「シロちゃん」と呼ぶことにしたが、彼はいたくそれが気にいったようだった。  ここで、シロちゃんの風貌《ふうぼう》を紹介したい。  彼の表皮はウロコでもなんでもなく、白くやわらかな長い毛でおおわれていた。目はまっ黒で、まんまる。鼻の頭も黒く、尾は長く、やはりふわふわしていた。額《ひたい》に生えた小さな角《つの》と背中にたたまれた羽がなければ、マルチーズかなにかにまちがえそうなかんじだ。  さっきわたしは誤解《ごかい》したんだけど、よく聞いてみると、サイズは自由自在なんではないそうだ。今のサイズか、あるいは体長一〇メートル…というから、三階建てのビルくらいの大きさか。この二つのうちどちらか、なんだそうだ。当然、こんなに狭いダンジョンのなかでは、とても体長一〇メートルではいられない。それにしても、不便な話だよね。  そのうえ、あんまり長いあいだ大きくなってはいられないそうだ。けっこう体力を消耗《しょうもう》するみたいね。  でも、体長一〇メートルという大きさで優雅《ゆうが》に空を駆《か》るシロちゃんの姿を想像《そうぞう》すると、ちょっとうっとりする。いや、かなりするなぁ。以前読んだミヒャエル・エンデという人の「果てしない物語」の大きな白い幸いの竜《りゅう》を思いだした。あぁ、だけど、あの幸いの竜は翼《つばさ》なしで飛んだんだっけ。  そして、シロちゃんは二本足で歩く。さすがに手足の爪《つめ》はゴッツクて立派。あんぐと開けた口には、|鋭《するど》そうな牙《きば》が生えていた。  しかし、シロちゃんはまだ赤ちゃんといっていいくらいのドラゴン。  大人のドラゴンともなると、いったいどれくらいの大きさになるんだろうか。わたしは子供のころに読んだ数々の冒険《ぼうけん》小説に出てきたドラゴンたちを思いだした。  それにしても感動だよね。本物のドラゴンに会えるだなんて! しかもいっしょに歩いてるんだよ、実際。        2  シロちゃんのいたところから、ちょっと先がT字路になっていた。  はたして、いまどこにいるのかわかっていない。まして、あのゼンばあさんのくれたマップに記載されている場所なのかどうかもわからない。  とりあえず、マップを見てはみたもののどれがこのT字路なのか、さっぱり見当もつかなかった。 「この道って、どこにつながっているのか、シロちゃん知らない?」  「どっちデシ?」  「こっちと、あっち」  わたしが右と左をそれぞれ指さすと、右を見て、 「こっち、変なにおいするデシ。ボクね、きらいデシ、このにおい」  そして、左を見て、 「で、こっちはね。おいしいにおいするデシ」  におい? わたしにはどっちも変わらない。ダンジョン特有のジメジメした岩くささ(?)しかしなかったけれど、ドラゴンは喚覚《きゅうかく》も鋭《するど》いのかもしれない。 「変なのと、おいしいのじゃ、やっぱりおいしいほうだな」  どっちに進んでもわからないから、とりあえず左に進んでみることにした。  しかし、シロちゃんが照らしてくれているとはいえ、手をのばした先はまったくの暗闇《くらやみ》。  ふっとふりかえると、まっ暗ななかからなにかがこっちに、ジリジリと迫ってくるような圧迫感《あっぱくかん》があった。とにかく、落し穴でもあったらたいへん。 (こら! 注意して行けよ。急がばまわれっていうだろ)  |慎重派《しんちょうは》のクレイの声が聞こえてくるようだった。  ずいぶん長いあいだ、歩いて歩いて…そして歩いた。  こんな風景をどこかで見た覚えがある。  たしか…そうそう! あれは、あの「|様見《さまみ》の泉」。  暗いところでウロウロと不安そうに歩く自分が映っていたっけ。あれは、このことだったんだ。そんなことわかってみても、なんの役にもたたない。  そう思ったら、またどっと疲れてきた。 「もうヘトヘト…ちょっとひと休みしよ。シロちゃんも疲れたでしょ、ずっとブレスをはきっぱなしじゃ」 「だいじょぶデシ。アゴがちょっともどらないだけデシ」  あらあら、かわいそうに。ほんと口があいたまんまだ。わたしが口をしめてあげると、 「ありがとうデシ」  と、まばたきした。かわいいやつだなー。  岩に腰《こし》を降ろすと、何度ついたかわからない、ため息《いき》をついた。  行けど行けど、変わらない風景というのは人を退屈《たいくつ》にさせる以上に、不安にさせる。さっきの「右か左か」の選択《せんたく》が万一|誤《あやま》りであったら、この苦労はすべてムダに終わるわけで。歩けば歩くはど、そのムダは大きくなっていくのだ。こんなダンジョンのなかじゃ、それは時に命取りにもなる。|報《むく》われる苦労は、次の難関《なんかん》への活力になるけれど、むくわれなかった苦労は、足と気持ちを鉛《なまり》にするだけだ。  それも、仲間がいれば分かちあうこともできる。でも、いまは……。 (ルーミィ…だいじょうぶかなぁ……)  キットンやトラップは、なんとかひとりでもだいじょうぶそうだ。でも、あんなちっちゃなエルフのルーミィは。ひとりで泣いてなきゃいいけど……。  わたしはふくれあがる不安感を落ちつかせるために、ちょっと甘いものを食べることにした。疲労をとるには、この薬草入りチョコレートが一番だ。  これは、どんな村にも売っているという、|冒険者《ぼうけんしゃ》にはもっともポピュラーなチョコレート。ヒトカケ食べただけで、一日はなんとかしのげるという貴重なアイテムだ。だからこのチョコレートは、全員持つようにしている。おなかがすいて行きだおれってのは、まずまだ心配しなくてもいいだろう。 「シロちゃんも食べる?」  チョコをナイフで削《けず》って、シロちゃんにさしだした。 「いらないデシ。ボクあんまり好きなにおいじゃないデシ」  シロちゃんはクンクンにおいをかいだだけで、そういった。 「こんないいにおいなのに?」  そういった瞬間《しゅんかん》、いやぁな予感がした。  ドラゴンの好きなにおいと人間の好きなにおいはちがうんじゃないかって。さっきシロちゃんは「おいしいにおい」といったけど……。それって……!!! 「あっ、おねーしゃん。なにかこっちくるデシ!」 「え?」  見ると、チカチカ光るものがあった。その光は、2メートルくらいの人型だった。 「シロちゃん、気をつけて」  モンスターかもしれない。わたしはチョコをポケットにしまい、背中から矢を出し、弓につがえた。  光るものは、ゆっくりとまるで踊るように近づいてきた……。いや、実際、踊っていた。なんとなんと! 顔はオレンジ色、体は青と緑と黄色のダンダラ。長いダチョウのような足。頭にジャラジャラと光るものをぶらさげて。まるで大道芸人《だいどうげいにん》のような風体《ふうてい》の、それほどう見ても大きな烏だった。  頭と首、それから胸と膝《ひざ》っこぞうに、チカチカまたたく発光性の岩かなんかをつけて、ユラユラ踊り歩いてくる。どう見ても凶悪《きょうあく》なモンスターではなさそうだったけれど、かといってマトモな奴《やつ》にも見えなかった。  それに、なんだろ! このにおい。くさいっていったらない。まるで、生ゴミのなかにジャムとブルーチーズをぶちまけて、根気よく焼いたようなにおい。 「わぁ! おいしいにおいデシ。ね? いったとおりデシ?」 「…………」  シロちゃんはユコニコしてこっちを見るが、とてもうなずく気にはなれなかった。 「あ、あなたはだれ?」  思いきって声をかけてみたら、初めて気がついたようにこっちを見た。 「ワワワワ、ワワワワッツセイ? ワッツセイ」 「はぁ?」 「オレかい?」 「え?」 「キミかい? オオオオ、オオオオ、オレタチかい?」  わわわわ! 首がぴょこっとふえた! 「オレタチかい?」  また、ふえた! 「ちがうさ、オレだよ。キミだよ、キミさ」  な、なんなんだぁ。この連中!! 一羽だと思ってたのに、なにかいう(というより歌う?)たびに、ピョコッキョコッと首がふえて……。  あ——なんなのこれ。合計七羽のおんなじ鳥に分裂《ぷんれつ》しちゃった! 「ほっほぉー?」 「ほっほぉぉぉ」 「オーライッ?」 「ザッツライッ!」  あっというまに、わたしとシロちゃんはとりかこまれてしまったじゃないか。 「オレタチだれかと、たずねてくれたし。こいつはやっばり答えてやらなきゃ」 「おとちゃんおかちゃん嘆《なげ》くよ、嘆くさ」 「ナナナナ、ナナナナ、嘆きの嘆きの」 「嘆きの嘆きの?」 「インディ、インディ、インディ——イイ……ヘイ!!」  この気ちがいみたいに陽気な鳥たちは歌いながら(あーいや、これはラップだな)、胸をたたいたり、足をふみならしたり、くるっと宙返《ちゅうがえ》りをしたりと、うるさいうるさい。  シロちゃんなんか大喜びしちゃって、いっしょになって体を左右にふってよろこんでる。  あ——、それにしても頭がズキズキしてくるよ、このにおい。 「ねぇ、この人たち、いったい何ものなの?」  シロちゃんに大声で聞くと、 「ラップバードっていうデシ。別にわるい奴《やつ》じゃないデシ。おいしいにおいだけど、そんなにおいしくないデシけどね」  お、おいしくないって…あのねぇ……。 「あ——あのぉーみなさ——ん。ちょっとおたずねしたいんですが——」  わたしがそういっても、ぜんぜんおかまいなしにわけのわからないことを、しゃべりまくって聞いてくれない。しばらくはがまんしていたけど、がまんにも限界がある。 「ワァアアアアアアアアア————!!!」  わたしは、ありったけの力をふりしぼってそう叫ぶと、ハァハァうずくまってしまった。  と、突然の沈黙。急に全員がピタッと黙《だま》り、そしてギョロッとした目でこっちを見た。 「ハァハァ…あのですね、わたしたち、いま仲間をさがしているんだけど。あなたたち、これこれしかじかな人を見かけなかった?」  わたしはトラップ、キットン、そしてルーミィのことを話した。  ラップバードたちは、鳥らしく小刻《こきざ》みに小首をかしげていたかと思うと、全員で奥のほうに引っこみ、丸く輪を作ってゴショゴショ相談をはじめた。  しばらくして、全員がイヤァなニヤニヤ笑いをしながら帰ってきた。またわたしたちをとりかこんだかと思うと、ドンドンと床《ゆか》を踏みならしはじめた。  い、いったいなにがおっぱじまるんだよぉ……。 「ヘイユー!」 「ヘイユー!」  そういいながら、わたしを羽で指さす。 「は、はい?」 「おたずねしたらば、はい左様。はいはい左様はい左様」 「はいはいはいはい、はいさおじさん」 「こちらもおたずね、ちとしたい」 「こっちのナゾナゾ答えてくれれば、そっちのおたずね答えてあげても」 「いいかもしれない。いいかもいいかも」 「かもかもかもかも、カモン、ベイビー」 「いいかい?」 「もちろん!」 「いいかい?」 「もちろん!」 ラップバードたちは、勝手に聞いては勝手に答えた。 「いいかい?」 と、今度は急にわたしを指さした。 「も、もちろん!!」 あ、っちゃぁー……。つい口を滑《すべ》らせてしまったあ。 「そうと決まれば、こうと決まれは」 「ナゾナゾ、ナゾナゾ。ララララ、ラップバードのナゾナゾタイムだ」 「ちっとかなり、むずかしいよ」 「いんやぜんぜん、簡単さ」 「おもしろいけど」 「つまらないさ」  早いとこ、出せよぉ。ナゾナゾ。 「よぉっくお聞きよ。第一間」  えぇー? 第一問って……。いくつもあるわけぇ? 「と、いっても一個しかない。一個で二回楽しめる」  あぁ…よかった。 「まっくろ、黒くて、ドロンドロン」 「黒じゃないよ、茶色だよ」 「茶色じゃないよ、ミルク色だよ」 「イロんな色だよ、ドロドロしてて」 「そうじゃないよ、カッチンコッチン」  おいおい、出題するほうが分裂《ぷんれつ》してるうぅ。どれがいったい本当なんだあ。 「すっごくおいしい」 「ちょっぴり苦い」 「いったい、なんだろ。なななな、なんだい?」 「なんだい、だいだい、だいくのとーりょー!」  なんなんだ? 黒くて茶色で? ミルク色で? ドロドロしててカチンコチン?  わたしが考えている間もラップバードたちは、まるでお祭り騒《さわ》ぎ。「トーリョートーリョー、ダダダダ、ダダダダ、ダイトーリョー」とか、叫びまくっている。  あれ? でも。なんか変だな。ポッケ……。みんなわたしのポケットをチラチラ見ては、クスクス笑ってる。  ポケットをさぐってみると、さっき食べかけたチョコレートがあった。 「あ—————————! わかったー!!」  ピタッと歌が止まって、みんなうれしそうにこっちを見た。 「これでしょ、チョコレートでしょー?」  そうなんです。なんのことはない。よおく考えれば大した問題でもなかった。  あったかいとこだとドロドロだし、寒いとこだとカチンコチン。黒いのはブラックチョコレート。茶色のはふつうの。ミルク色ってのは、ホワイトチョコだね。  わたしが簡単に当ててしまったのに、全員ジャイアントビーの巣をつっついたようなはしゃぎよう。それもそのはず。結局彼らの目的は、このチョコレートにあったんだからね。 「でも、困ったなぁ。そんな七つも持ってないもの」  わたしがそういうと、さささーっと七羽が一羽にもどってしまった。 「一個で充分《じゅうぷん》。一個ちょうだい」  まぁ、後三つはカバンに入ってるし。一個くらいなら分けてあげてもいいだろう。  そのチカチカ光る手に渡すと、またまた七羽に分裂《ぶんれつ》してしまった。  と、どうだろう! それぞれの手に一個ずつチョコレートがあるじゃない。一個しかなかっ たチョコが七個に増えてしまった。  彼らはチョコを口に頬《ほお》ぼると、またまた一羽にもどった。よくわかんない奴。 「で? わたしの友達は? 見たの?」 「…見た。…コッチ……」  ありや、急に無口になっちゃった。どうもお腹がいっぱいになると無口になるらしい。まぁ、そのほうが疲れないでいいけどね……。        3  急に静かになったラップバードが案内してくれたのは、五つに分かれた分かれ道。 「ど、どっちを行けはいいの?」  ラップバードは、だるそうに左から二番目の道を指さした。 「ここを行って、そのあとは?」 「……行けばわかる。オレ、眠い。バイバイ」 「あ、どうもありがとう」  ラップバードは、ゆらゆらとゆれるように、歩いて行ってしまった。  なんなんだろうねー。 「あ、明るいデシ。こっちこっち」  シロちゃんは話しながら炎を吹けるほど器用じゃない。だから、彼が話し始めると一瞬《いっしゅん》まっくらになってしまうんだけど、たしかにちょっぴり明るい。  ラップバードに教えてもらった小道を入って、一〇〇メートルくらい行ったところだった。 「クンクン、におうデシ。これ、人間のにおいデシ」  ピョンとわたしの肩《かた》から降りたシロちゃんが、トットコ奥へ走って行った。わたしもあわてて追いかける。 「トラップ!!」  うつぶせに倒れていたけど、見覚えのある緑のタイツといい、たしかにトラップだ。足もとにはカンテラが小さくともっていた。  まさか、死んで…いや、そんなことないよね?  大急ぎで、抱きおこすと…彼はなんとも平和そうな寝顔で熟睡《じゅくすい》していた。 「ったくぅ……。心配させてからに」  そうそう、そういや様見の泉で彼が見たときはぐっすり寝てる姿だったっていってたっけ。  でも、ほんと。よかったよかった。 「トラップ! こら、起きなさいって」  こんな不気味《ぶきみ》なダンジョンのなかで、よくもまぁ平気で寝てられるよなぁ。しかたない。ここは一発……。 「あ、こんなとこに宝箱が!」  わたしが大声でそう叫ぶと、トラップはパッチリ目を開き、 「ど、どこどこ!?」  と、起きあがった。でも、わたしの顔を見て、 「またやったなぁ!?」 「あはははは、何度やっても引っかかるんだもん」 「おい、そのワンコロ、なんだ。どこで拾ったんだ?」  トラップが顎《あご》で指したのは、いうまでもなくシロちゃん。シロちゃんはワンコロの意味がわかんなかったらしい。ニコニコとこっちを見ている。 「あのね…この子は、シロちゃん。あ、そうじやなくって、それはわたしが勝手につけた名前なんだけどね。ほら、例のホワイトドラゴンなの」 「だまされねーぜ。ったくよぉ。こんなチビが、んなわきゃねーだろーが」 「ううん、それがほんとにほんと。わたしも最初は信じられなかったんだけどね……」  これまでのことをトラップに説明し、彼は彼でそれまでのことを話してくれた。  あの正体不明の強風に吹き飛ばされたあと、トラップがついたのは、さっき五つに分かれてたあたりだったそうだ。で、一応端から順に調べるだけ調べているうち、疲れはてて、ここで寝てたんだそうだ。  聞けば、わたしとシロちゃんが歩いてきた道以外は、すべて行き止まり。つまりここは、|複雑《ふくざつ》に分岐《ぶんき》してはいるけど大きなひとつの行き止まりだったわけで、どうやら引きかえすしかないようだ。 「それじゃ、大変だったね。けっこう複雑だったんでしょ?」 「うーん、複雑だったのは二つだけだな。あとのは一本道だから。それに、ほら!」  あらまあ、なんと。ちょっとサビついてたりほするけど、まだまだ使えそうなショートソードが二本でしょ。それに、銅貨が三枚。|結婚指輪《けっこんゆびわ》みたいな…これは銀かな? そういうリングが一個。 「どうしたの? これ。また宝箱でもみっけたの?」 「いんや。一番右の道を入ったとこにさ、死体があったんだよ」 「死体!? どんな?」 「さぁ、格好《かっこう》からするとたぶん傭兵《ようへい》だろうな。たいしたもん持ってなかったし」 「じゃ、死体からはぎとってきたわけ?」  わたしは持っていた物をバッと落とした。 「え? だって、死んでるもなにも。顔もわかんねー白骨だぜ」 「だけど、死者をけがすことになるんじゃ……」 「はははは、なんねーって! |奴《やつ》だって、自分じゃもう使うことできねーんだし、|他《ほか》の人に有効利用されたはうがいいに決まってるよ」  トラップの論理でいくとこうなるんだろうな。ま、深くは追求しないことにした。  運よくトラップと再会でき、シロちゃんとも出会うことができ……。あとはルーミィとキットンをさがす、まずはそれが先決だ。  ドラゴンがわるさをしていたという線も消えたわけだし、みんながそろったらとりあえずゼンばあさんのところに帰ったほうがいいだろう。|温泉《おんせん》が止まったり冒険者《ぼうけんしゃ》が気が狂って村人を襲《おそ》ったっていうのには、なにか別のわけがあるんだろうから。  こっちの道は結局行き止まりだった。んなら、あのT字路を反対のほうへ行けばいいだろうということになった。  そうそう、シロちゃんが「変なにおいがする」といった道だ。  ラップバードのあ——んな気持ち悪いにおいが「おいしいにおい」なんだったら、シロちゃんのいう「変なにおい」 って期待できそうじゃない? 「そんでさ、あの温泉が止まったっていうの、ほんとにそいつのせいじゃないのか?」 「だって、こんな子にできるわけないじゃん」 「あまい! あまいあまいあまいあまい!」  トラップは人指し指をつきつけ、「あまい連呼攻撃《れんここうげき》」をかけてきた。 「そーんな大声あげなくてもいいじゃない!」 「ちゃんと確かめもしないで、んないいかげんなこといっても、あの根性《こんじょう》ねじまがった村長に通じるわきゃねーじゃん。こいつ連れて帰ってもなぶり殺しにされっのがオチだぜ。へたすりゃ、おれたちだってあぶねー」  たしかにトラップのいうとおりだ。シロちゃんを見ると、なにもわかってないようすで目をパチクリした。 「シロちゃん。ここにはあなたの他《ほか》にはドラゴン、いないっていってたわよね」 「うん、いないデシ」 「そう…実はね、わたしたち、ふもとの村の人たちにたのまれてここに来たの。村の温泉が出なくなってしまって、それがこのダンジョンにいるホワイトドラゴンのせいだって聞いたからなのね」 「温泉? それってなんデシ?」 「あったかいお湯」 「つめてーお湯なんかねーぞ」 「…あのね、トラップ」 「あーもしかすると、あれかな? 白いけむりじゃないデシか?」 「白いけむり?」 「そうデシ。あつくて近よれないデシ。変なにおいするデシ」 「蒸気じゃねーのか?」 「あ! そうかそうか。そうよ、シロちゃん。それってどこなの? その白いけむりが出ている場所は」 「それね、このまままっすぐ行くとあるデシ」        4  さっきわたしとシロちゃんがえんえん歩いた道を、またえんえん後もどりながらシロちゃんのことを聞いてみた。 「どこで生まれたの? ここ?」 「そうデシ」 「家族は?」 「家族って、なんデシか?」 「うーんとね、おとうさんとか、おかあさんとか。それから兄弟とかね」 「おとうさんは知らないデシ。でも、おかあさんは覚えてるデシ」 「ふうん」 「ボクが生まれてしばらくのあいだは、いっしょにいたんデシ」 「どっかに行っちゃったんだ」 「それがうちのシキタリなんデシ。兄弟はいるのかもしれないデシが、みんないろんなダンジョンにひとりでいるデシ。でも、なにか大切なことがおきたときは、あつまるデシ」 「へぇ。じゃ、みんなに会えるのね。大切なことってなんなんだろうね」 「わからないデシ」 「だれかが知らせてくれるのかな」 「ドラゴンのホーギョクが教えてくれるデシ」 「ドラゴンの宝玉? なんだ、それ」  それまで前をだまって歩いていたトラップがいきなりシロちゃんに詰めよった。 「それ、今から行くとこにあるデシ」 「そうかそうか! お宝があるってわけだな」  トラップは急に元気づいたみたいだ。 「なにを期待してんのよ。だめよ、それはシロちゃんの大切なものなんだから」 「なにも盗《と》るなんていってねーだろ? 人聞きのわるい……おれをなんだと思ってるんだ!」 「|盗賊《とうぞく》……」  語るに落ちたとは、このことだな。  そしてやっとこさシロちゃんの光ゴケのベッドがある場所の近くについたときだ。急にシロちゃんが変なうなり声をあげはじめた。 「どうしたの?」  |肩《かた》から降ろしてみると……シロちゃんの黒くてまんまるだった目が緑色に変わっていた。深くてあざやかな緑で、母の形見であるエメラルドのリングのようだ。 「シロちゃん……いったい、どうかしたの?」  でも、なんにもいわず、ただまっくらな道の先をにらむはかり。  わたしはトラップを(どうしたもんだろう)という目で見た。  彼も異常さに気がついたようで、 「よし、ちょっくら先に行って調べてくるか。おめーら、ここにいろよ」  そういうなり、足音もたてずに走り去ってしまった。 「シロちゃん、ほんとうにどうかしたの?」  わたしがもう一度聞くと、押し殺したような声で答えた。 「危険が、あぶないデシ……」 「え? 危険?」  シロちゃんの緑に変わった目がどんどんあざやかさを増してくる。  ダンジョンに入って、あのヌルヌラとかいう壁《かべ》のようなモンスターに会ったっきり幸いにも他の敵には会ってこなかったけれど。  わたしが弓矢に手をかけたとき、トラップが信じられないといった表情で帰ってきた。 「信じらんねぇ……」 「どうかしたの? なにがあったの?」 「ルーミィがいたよ」 「え? ルーミィ?? ルーミィがいたの?」  ……でも、たんにルーミィがいただけなんだったらトラップがこんな表情をしているはずもない。やな感じだ。 「ねぇ、ルーミィがどうかしたの? なにかにつかまえられてた……とか」 「いや。ひとりでこっちに向かってくる」 「なんだ、どうして声をかけないの! わたし、行ってくるわ」  しかし、ぐいと引きもどされてしまった。 「だめだ。あれはいつものルーミィなんかじゃないぜ。なんか変なもんにとりつかれたみてぇな顔してた。こうしちゃいられねえ。早くどっかにかくれねーと」  わけのわからないまま、シロちゃんのベッドのあるほうにちょっと入った、岩のすきまに身をかくした。  息を殺して、さっきの道(といってもまっくらなんだけど)を見つめていると、ぼっとうすく光る小さな人がむこうからあらわれた。  「ルー……ウグググ」  わたしは思わず声をかけそうになったが、トラップに口を手で押さえられた。  その声に気がついたのか、ルーミィはフワリとシルバーブロンドをゆらして、こっちを見た。  なんなの!? あの顔。  いったい……これはなんの冗談なの?  あんなの、ルーミィなんかじゃない!  つやつやしたバラ色のほっペ、ついつっつきたくなる、あのほっぺがいまやロウのように青く生気がないし。それにわたしの大好きだったブルーアイが見えない。そこには穴しかない!まるくえぐられた穴の底で、チカチカとなにかが不気味《ぶきみ》に光っていた。体つきだって変だ。いびつにまるめた背中。ゆがんだ指。  そう、あれは…物語でしか見たことがない小さい悪魔《あくま》。インプだ。  ルーミィはあたりをうかがっていたが、ゆっくりこっちに近づいてきた。  あたりをうかがうように、一歩一歩。  あぁ……息ができないというのは、こういうことだ。  わたしも、わたしの口を押さえたまんまのトラップも、わけのわからないシロちゃんもおたがいの心臓の音がはっきり聞こえるはど緊張《きんちょう》していた。  しかし、わたしたちのほんの手前まで来ていたルーミィは、くるっと後ろを向いてさっきの道のほうへ走って行ってしまった。  どっと出るため息。  ほんの一分か二分のことなのに、こんなときは、なんて時間が長く感じられるんだろう。 「いったい……ルーミィはどうなっちゃったの?」 「知らねーよ。んなの」 「それに、それに……あれはほんとにルーミィなのかしら。あんな気持ちの悪い……まるで、あれはインプのようだったわ」 「あれじゃーねーのか?」 「え?」 「ほら、ここに入った冒険者《ぼうけんしゃ》たちが悪の化身《けしん》になって……ってあれ」 「そ、そんなぁ。とにかく後を追わないと」 「じゃ、おめーたちここで待ってろよ。あぶないかもしれねーからな」 「だめよ! また、離れ離れになってしまうかも……」  わたしはトラップの腕にしがみついた。 「ぱぁーるぅー! ぱぁーるぅー!」  わたしたちがもめていると、ルーミィの声がした。いつも聞きなれた声だ。 「あれは、ほんもののルーミィだわ!」 「おい、待てよ!」  トラップの手からポータブルカンテラをもぎとると、さっきの道に走った。 「ルーミィ! どこなの? ルーミィ」 「ぱーるなの? ルーミィここだよ!」  五〇メートルくらい奥のほうから、かわいくてちょっとまのぬけた声がした。  さっとそこを照らすと、うかびあがったのはさっきのイヤらしいインプなんかじゃない、わたしたちの知ってるルーミィだった。 「ルーミィ!」  彼女もわたしに気がついて「ぱーるぅ!」と、ころがるように走ってきた。  抱きしめようと手をのばしたとき、トラップがわたしを突きとばした。 「なにするの! あれはほんもののルーミィよ」 「よっく見ろよ。このバカ!」 「え?」  もう一度ルーミィを照らし…わたしは恐ろしさで凍《こお》りついてしまった。  ゆっくりこっちに近づこうとしていたルーミィ。その顔はあどけないいつもの顔なんだけど。目が変だ。  そして首が、まるでデク人形のようにカッタンカタンとゆれはじめ、どんどん顔が変形していく。  さっきまであどけなく見開いていた目がポッカリへこみ、チカチカと光った。|残忍《ざんにん》そうにニタニタ笑う口が、大きく裂《さ》け始めたときは思わず悲鳴《ひめい》をあげそうになった。  突然、重力を無視《むし》したようにフワリと浮きあがり、 「ドゥルミィルファイルゥンエセンバサンガイラァ」  その化物《ばけもの》と化したルーミィはニタニタと笑いながら右手に持った杖《つえ》をかざし、|呪文《じゅもん》を唱《とな》えだした。 「やべぇ! ふせろ!」  トラップがわたしとシロちゃんの前に踊りでて、わたしたちを地面に押えつけた、直後。 「デス・マス・ファイヤ——!」  ルーミィの杖からゴオ———ッと、ものすごい炎が出た。  わたしやシロちゃんをかばったトラップの髪《かみ》が焼けるにおいがした。 炎がおさまってから、顔をあげると…ルーミィはもう一度杖をふりかざそうと近づいてきた。  もうその顔にはルーミィの面影《おもかげ》はまったくなかった。  黒くえぐれた目の底に、遠くからではわからなかった「目」を見たとき、はっきりとした悪意を見てとった。  トラップは、さっきの炎に半身を焼きこがされて気を失ってしまっている。  弓を出すひまもなく、クレイに借りたショートソードを抜いた。  しかし、抜いてはみたものの、たとえ化物《ばけもの》に見えても…やはりこの子はルーミィ。なにか…ドッペンルゲンガーのようなものがルーミィのふりをしているのならいいが、ほんとうのルーミィだったら、どうするんだ。  わたしがショートソードを持ったままどうすることもできずにいると、シロちゃんがトコトコと前に出てきた。そして大きく息を吸いこんだ。 「あ、だめ! だめよ。シロちゃん! 炎を吹いてはだめ。ルーミィが死んでしまう」  しかし、目をあざやかな緑にしたシロちゃんにはわたしの声はとどかなかった。  さっきルーミィが放ったより何十倍もすさまじい炎を吐いた。  何万個のフラッシュを一度にたいたような、|閃光《せんこう》。  目がくらんでルーミィもシロちゃんも見えなかった。  ただ、手にふれた感触《かんしょく》がシロちゃんであるとわかると、彼をバシバシ叩《たた》いた。 「だめっていったじゃない! ルーミィ、死んじゃう」 「死んじゃう」といったけれど、あの猛火《もうか》にやられたんだ……。  見えなくなってしまった目が涙でかすんだ。  ルーミィを、あんなにあどけないルーミィを変えてしまったのは、いったいなんなんだ。  目をこすっているうちに、だんだん視力がもどってきた。  手探りでポータブルカンテラを捜《さが》すと、急いで照らしてみた。  でも、ルーミィの姿がどこにもない。 「ルーミィ! ルーミィ」  立ちあがって、呼んでみた。 「さっきの人……そこの壁《かべ》に消えちゃったデシよ」  シロちゃんがうしろからそういった。 「壁に消えた? そんなバカな。それより…あんな火に焼かれたのに、なんともなかったの」 「だから、おねーしゃん。ボク、あつい火とまぶしい火と使い分けられるっていったデシ? さっきのはまぶしいだけで、あつくないデシ」 「そ、そうなの」 「だって、さっきのこわい人、おねーしゃんたちの友達なんデシ?」 「…………」  そうだったんだ。なのに、なんにも知らないで、バシバシ叩いたりして。 「ごめん、シロちゃん……」 「いいんデシ。それよりトラップあんちゃんのほうが心配デシ」  そうなんだ。トラップは、背中をこがされて倒れたまんま。息はしているけれど、このダメージはそうとうに大きそうだった。  薬草のたぐいはキットンが持っている。わたしたちが持っているのは、栄養剤とキズ薬くらいなもの。  とりあえず、トラップをどこか安全なところに避難《ひなん》させなくっちゃ。 「そうだ、シロちゃん。あなたのベッドを貸してくれる?」 「それはいいデシけど、それよりボクのシッポをちょっとだけ切ってくださいデシ」 「シッポを?」 「そうデシ。ホワイトドラゴンの血は傷薬には最高デシ」 「で、でも。シッポ切っちゃったら、困るでしょ。だいち痛いもん」 「おねーしゃん、お水持ってるデシか?」 「持ってるよ」 「じゃ、コップにつぐデシ」  よくわかんないまま、わたしは水筒《すいとう》を出して水をついだ。 「ボク、目をつぶってマシからシッポの先をちょっと切って、血を水にたらすデシ」 「ちょっとでいいのね。ほんと、だいじょぶ?」 「だいじょぶデシ。ひとおもいにやってくださいデシ」  しかたない。ここまでいってくれてるんだ……。  さっき抜いたショートソードを持って、シロちゃんのシッポをつかんだ。  シロちゃんは、|予防接種《よぽうせっしゅ》をうける子供のように、目をギュッとつぶっている。  切り過ぎないように注意して、ほんの何ミリか切ると、赤い血がにじんできた。急いでコップにたらす。 「終わったわ」 「え? もうデシか? ボク痛くなかったデシ」 「よかったぁ」 「じゃ、それをトラップあんちゃんに飲ませてあげるデシ」  そうか。これはぬり薬ではなくて飲み薬なのね。  トラップをかかえ起こすと、鼻をつまんで飲ませた。        5 「いてててて……」 「そりゃ、痛いだろうけど…とにかく、もうすこしの辛抱《しんぼう》だからね。シロちゃんのベッドで休もう」 「へ? 休む? なにいってんだい。早いとこ、そのお宝のあるとこ行こうぜ」  さすがにホワイトドラゴンの血はよく効《き》くみたい。  しばらくすると、ちょっとヨロヨロはしているけど、すっかり元気になって悪態《あくたい》がつけるようになった。 「ほんと、ありがとう。トラップもお礼いわなきゃ」 「あぁ、世話になったな。しかし、おめーが一番いけねーんだぜ。|後先《あとさき》考えねーで、ルーミィルーミィってよ」 「だって……」 「そういや、あの化《ば》けもんルーミィはどうしたんだ」  そう、そうなんだ。シロちゃんの話によると(彼は暗いところでも、反対に明るいところでも視界がきくんだそうだ)あの恐ろしく変形したルーミィは、シロちゃんのまぶしいブレスに、目をやられたようで、しばらくフラフラしていたんだそうだ。そして、やはりフラフラと壁《かべ》ヘスッと消えてしまった…という。 「消えた?…んじゃ、やっぱりありゃ本物じゃねーな」 「でしょうね」 「本物のルーミィはどうしちゃったんだろ」 「考えてても、ラチあかねーしよ。とりあえず、その温泉《おんせん》の蒸気が出てるってとこに行こうぜ」  考えててもラチあかない。  今回ばかりは、そんなひとことでかたづけられやしない。  わたしの頭のなかは、ルーミィのことでいっぱいになっていた。    STAGE 6        1  たしかにシロちゃんのいうとおり、これはあんまりいいにおいじゃない。そう、温泉の成分であるイオウのにおい。これって卵のくさったみたいな独特のにおいなのよね。 「くっせー!」 「ほんと、たまんない」 「ボクも、たまらないデシ」  あのT字路を左ではなく、右にずんずん行くと、今度はまがりくねった一本道になっていて。そこをとにかくひたすら歩いていったら、このにおいだ。 「あそこデシ。ほら、明るいデシ?」 「わぁあ——お!」 「ひょぉーえー、広い」  そこは、|天井《てんじょう》が……たぶん七階建てくらいの、吹きぬけになっている大広間。一番上から光が差しこんできているんだろう。岩の表面はゴツゴツしていて、岩登りの名人なら楽々上まで登っていけそうだ。  あれ? ということは、まだ昼間なの? もう夜になっていてもおかしくないくらい、たっぷりいろんなことがあったけど。 「ねぇ、あんなにいろんなことあったのに、まだ三、四時間くらいしかたってないみたいね」 「ぶわぁーか。たっぷり一日たってらい!」 「え? じゃ、わたし……あの風に飛ばされてから、そんなに寝てしまったの?」  なんてことだ。時間の感覚がぜんぜんなくなってしまってた。 「あったけぇー」 「ほんと。あったかいっていうより、暑いくらいね」  岩のすきまから、シューシューと白い蒸気が噴《ふ》きだしている。 地面はイオウのせいか変色していたが、ほとんどが不思議《ふしぎ》な草でおおわれていた。  不思議な草?  わたしはあることを思いついて、急いでゼンばあさんにもらったマップを広げてみた。 「やっぱり……。ねえねえ! ここ、ここよ」 「なんだぁ? また、いきなり話し始めるなよ」 「ほら!」  トラップにマップを見せた。 「ここ、ここなんじゃない? 例のクレイに効《き》く薬草のあるところって」 「そういわれてみれば、地形が似てるなぁ。このクネクネした道」 「そうそう、きっとそうよ。ほら、この草」  あたり一面に生えている草を一本だけむしった。 「ね、変わってるでしょ。こんな草、わたし見たことないもん」  ほんと、変わった草だった。葉っぱは緑に黄色の斑点《はんてん》がついている、一見ヨモギみたいなやつなんだけど、|茎《くき》が毒々《どくどく》しい赤。 「ゼンばあさんがいってたのに似てるもの。つんでおかなくちゃ」 「んじゃ、そっちはまかせた。おれは……」 「ドラゴンの宝玉でしょ」 「へっへっへ」 「何度もいうようだけど・…‥」  でも、トラップは顔の前で手をふり、 「わかってるって。ちょっくら拝《おが》ませてもらうだけだって。おい! シロ」  いつのまにシロちゃんを手なずけてしまったんだろうか。  シロちゃん、とっくに中央のほうにある大きな岩山の上にいて、 「トラップあんちゃん、こっちこっち」  とかいってる。  わたしだって興味《きょうみ》はあるけど、とりあえずこの薬草をつんでおかないと。  これ、葉っぱだけでいいんだろか。  それとも、根っこまで必要なんだろうか。        2 「だめ! そこを通ってはいけません!」  どっからともなく、なつかしい声がした。 「その鏡の前を横切ってはダメです! トラップ!」  薬草のなかからキットンの顔だけがピョコンと出た。 「キットン!」  わたしが走り寄ろうとすると、 「パステル、その薬草をふんではダメです!」  と、こっちにも叫んだ。そのバカでかい声。 「なんだぁ?」  シロちゃんがいる中央の岩山の手前でトラップがふりむいた。 「おっ、キットンじゃねーか!」 「あ、あ、あ、あ」 「なにが、あ、あ、あだよ。心配させやがって。鏡がどうかしたって?」 「……ダメです。もう手遅れです。そのうしろの岩が鏡なんですよ」 「ヘ?」  クルッと回れ右するトラップ。 「ほんとだ。よく見ると…映ってる」  と、たぶんそんなことをいったんだろうけど、ブゥゥ————ンという、うなり声でかき消されてしまった。  見ると、今まで蒸気の出ていた穴という穴から黒っぽい雲のようなものがわいて出てきた。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。 「きゃぁ——!!」 「なんだーこれはー」  黒い雲は上のほうでひとかたまりになった。  くるりと旋回《せんかい》し三方に分かれ、わたしたちのほうに急降下してきた。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。 「耳をふさぐんです——! こいつを耳に入れてはダメです——!」  キットンが…最大の声をふりしぼってどなった。  黒い雲は、その大音量に一瞬《いっしゅん》たじろいだようだが、また襲《おそ》いかかってきた。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わたしは耳を両手でシッカリ押え、目も閉じてうずくまった。  黒い雲がわたしをスッポリつつみこんでいるのがわかる。  耳をふさいでも聞こえてくるんだから……。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  わぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁんわぁん。  いつまで続くのか……。ほとんど気が狂いそうになってきたとき。  急にそのうなり声が分散した。  おそるおそるうす目を開けてみると……。 「どわわわわぁぁぁ——!!」  巨大なドラゴンが中央に立ちはだかり…その黒い雲をバクバク食べ? そう、食べているじゃないか!  わたしはあんまり驚《おどろ》いたもんで、ロをポカンと開けていた。  まっ白の巨大なドラゴンが首をゆっくりとふり、雲を追いかけている。  正体不明の黒い雲がまたたく間に小さくなっていく。  バクッと食べると、その部分の雲だけがなくなり、あとは八方に散った。  あれは…もしかして、シロちゃん?  しばらくのあいだ、その壮観《そうかん》な図に見ほれていると、残っていた黒い雲もそれぞれの穴にもどっていった。  わたしはポカンと開けていた口をしめた。 「ゲッ…」  なにか舌にはりついてた。舌を出して、手でつまんだ。 「…………………!」  それは、小さな小さな蜘蛛《くも》。蜘蛛に小さな蝶《ちょう》の羽がはえたやつ。  さっきの黒い雲は、この羽のはえた蜘蛛だったんだ。  あのうるさかった、うなり声は羽音なのか。  ゲッ! よぉく見ると、その蜘蛛。顔だけしわくちゃの老人の顔してる! 「シロ、おめーやるじゃねーかー」  トラップが叫んだ。 「へへへ……」  シロちゃんは巨大な姿のまま、頭をかいて照れた。 「シロちゃん、あんなもの食べてだいじょぶなの?」 「おなかいっぱいデシ。もう当分は食べなくてもだいじょぶデシ」  おなかをポンポン叩《たた》きながらスルスルとまた元の小さな姿にもどった。 「みなさん、頭のなかが妙にモヤモヤしてませんね?」  そうだ! キットン。  わたしもトラップもキットンのほうへ走っていこうとした。 「これは貴重な薬草なんですから、ふみ荒さないでください。わたしがそちらに行きます」        3 「どうしてたんだよぉ。あれからもどってみてもいねーしよぉ」  わたしたちは、中央の岩山の下に集合した。  みんな聞きたいことでいっぱいだ。 「でへへへ……。いやその…ルーミィの声がしたんですよ」 「どっから?」 「上からです。ほら、トラップがヌルヌラに追いかけられたとこね」 「そんで?」 「まぁ、一応調べてみようと思いまして。ロープを使って上まで登ったんですよ。いやはや、苦労しました」  なぁーにが苦労しました、よ。こっちがどれくらい心配したと思ってるの! 「幸い、ヌルヌラたちは運動会を終了していまして。よく見るとあの部屋の奥に小さな穴がありまして。どうもそこからルーミィの声がするんですよ」 「んで?」 「ですから、わたし思い切って穴を降りてみたんです。そうしたら、これがたいへん!」 「さっさとさぁ、要点かいつまんでしゃべろーぜぇー」 「いやはや、その穴がですね、ちょうどすべり台のようになってまして。あれよあれよというまに…ほら、あそこです」  キットンが指さした先。|壁《かベ》にポッカリ穴があいていた。 「あそこから、下にまっさかさま。おしりを打って気絶《きぜつ》してしまったようでした」 「そうなの。じゃ、あそこを逆にたどると出口のはうにまっすぐ行けるのね」 「それはそうですが…たぶん無理《むり》じゃないでしょうか。なにせ、つかまるところがまったくない、ツルツルの筒ですからね。いいかえると」 「わかったわ。それで? |肝心《かんじん》のルーミィはどうしちゃったの? あの子もここに落ちたんでしょ?」 「それが…その、なにぶん気絶しておりましたし…はい」 「う——む」  結局わからないか。 「そんでよ、さっきのあの蝶《ちょう》みてーな蜘蛛《くも》。あれ、なんなんだよ」 「あ——、やっぱりトラップも口のなかに入った? わたしもなの。気持ち悪かったよね——」 「口のなかぁ? おめー、あんなもん口に入れたのかよ。おれは手でつかんだぜ。あんなもん、よく口になんか入れられるよな。シロじゃあるまいし」 「…………………」  |正真正銘《しょうしんしょうめい》、トラップはイジワルだ。 「これですよ」  キットンがモンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》を開いて見せた。 「きゃっ!」  わたしは思わずとびのいた。  だって、あの気持ち悪い蜘蛛《くも》を標本《ひょうほん》のように、その頁《ページ》にはっつけてるんだもん。 「モウンってのか」 「そう、あれはふつうのモンスターではありません」 「ふつうじゃないって?」 「ですから、自然に繁殖《はんしょく》しているものではないということです」 「人工的に作られたということね」 「はい。人工的といっても…作ったのはふつうの人間ではないでしょう」  わたしとトラップは思わず顔を見合わせた。 「たぶん、ダークサイドの…それもかなり力のある、悪魔《あくま》の召還《しょうかん》できるくらいの魔道師《まどうし》。彼らがなにかを守らせるためにしかけたブービートラップですね。ただし、今回のものは、なにかを守らせると同時に、|犠牲者《ぎせいしゃ》の魂《たましい》をぬきとるのが目的なのかもしれません」 「魂を抜きとるって!!??」  わたしは悪い予感で胸がドキドキしてきた。 「はい……。実はですね。あのモウンのもっともタチの悪いところが、それなんですよ。耳のなかに進入して犠牲者の魂をコントロールするのです。彼らを作った者のいうことしか聞かなくなるように。わたし思いますに、このダンジョンに入った冒険者《ぼうけんしゃ》がみんな反対に狂って村を襲《おそ》ったというのはですね、このモウンのせいではないでしょうか。ですから、ドラゴンのせいというのはちがうんじゃないでしょうかね。あ、そういえば……さっきのホワイトドラゴン、どうしたんですか?」  トラップがシロちゃんをキットンに紹介した。  わたしは…わたしは、もうそれどころじゃなかったから。  だって、キットンのいうことが本当なら、あの気が狂った化物《ばけもの》のようなルーミィの説明がつくではないか! 「ほぉ…口を開けてみてください」  キットンはシロちゃんのロのなかなんかのぞきこんでたりする。 「ほうほう。これがブレスを吐くためのパイプかな?」 「あのさ、実はルーミィに会ったんだよ。おれたち……。だけどさ」  トラップも同じことを考えているらしかった。ルーミィの一件を説明した。  キットンはうんうんうなり始めた。  特に、ルーミィがシロちゃんの放った光のブレスに逃げていったこと、しかもスゥーッと岩のなかに溶《と》けるように消えていったことに、かなり興味《きょうみ》をもったみたいだった。 「ねぇ、それで。その状態から…|魂《たましい》をコントロールされている状態からどうやったら助けだせるの?」 「モウン自体を倒すことはできるとあります。聖なる剣で倒したという言い伝えがありますからね。たぶん、このホワイトドラゴンも聖なるものなんでしょう」  シロちゃんはキョトンとした顔をしている。キットンが続けた。 「しかし…いったん、魂を奪《うば》われたものを救う方法となると…わかりません」 「わからないって。書いてないの?」 「たぶん、助けることができたケースがないんだと思います」        4 「なんとかなるよ! これまでだってなんとかしてきたんだしさ」  トラップが立ちあがり、重々しい空気をなぎはらった。  それを待っていたかのように、シロちゃんがころげるように走ってきた。 「おねーしゃん、トラップあんちゃん」 「おう、どした、シロ」 「困ったデシ。困ってしまったデシ! ボク、ボク……」  そういうなり、シロちゃんはその場でわっと泣き出してしまった。 「どうしたの!」 「あ、あの…ヒック…ホウギョクが…ヒック…ホウギョクが、なくなってるデシ」 「お宝が盗まれたぁ?」 「あ、あれが…ヒック…ないと、おかあさんに、会えないデシ……」 「それ、どこに置いといたんだよ」 「そ、そこの…岩山の…穴のなかデシ」  岩山には、さっきのモウンを誘発《ゆうはつ》する鏡があるとキットンがいってたっけ。 「あの鏡はどうしたの」 「鏡? そんなの……ヒック…知らないデシ」 「あまい! あまいあまいあまいあまい!」  トラップは得意の「あまい連呼攻撃《れんここうけき》」を、こともあろうに泣いているシロちゃんにした。 「おめぇ、んな大切なもんをだなぁ、んなとこにかくしてるってことじたいあまいんだぜ。だってよ、こんなとこのまんなかにある岩山ってったら、ふつうチェックするもんだぜ」 「トラップ、そんなこと、こんな子供にいったってしかたないじゃん」 「いんや。子供のうちから世間のきびしさは教えとかねーとな」  トラップは、たぶん盗賊《とうぞく》の頭領《とうりょう》だった親父《おやじ》さんや他のモサ連中から、たっぷりその「世間のきびしさ」というのを教えられてきたんだろう。 「うーむ…これは。このブービートラップの謎《なぞ》がわかりましたよ」  キットンが例の岩山の前にしゃがみこんで、そういった。 「この部分だけ色がちがってるでしょう?」  岩山の片側が大きな黒い鏡みたいになっているんだけど、その前の地面。  たしかに、ほんのすこしだけ黄色くなっているような……。 「この部分に立つと、あのモウンが出てくるしかけになっているようですね」 「ふむふむ」 「あ!」  わたしは、ポン! と手を叩《たた》いた。 「な、なんなんです?」 「思いだしたんだけど。トラップ、アレよ、アレ」 「アレってナニさ」 「ホラ、アレ……。ルーミィをさがしに行ったときにさ。地面が変だったじゃない?」 「あぁ…なんかウロコみたいだったっけな。動いてたし」 「そうそう、あれもなにかのしかけなんじゃない?」 「地面がウロコのようになっていて、動いていた?」 「ええ、そう。気持ちわるかったの……。だってほら、よく冒険《ぼうけん》小説なんかで出てくるでしょ? 大きな島だと思っていたのが実は大きな海亀《うみがめ》だったとか。大きな洞穴《ほらあな》だと思ってたのに、実は怪獣《かいじゅう》の口のなかだった! なんてさ。あのたぐいかと思って、ぞっとしちゃったのよ」 「ヘー。そんなこと今までいわなかったくせに」 「忘れてたのよ」  キットンは、モンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》をアレコレ見て、 「たしか…そういうのがあったような」  などといいながらさがしていた。 「おい、んなことよかシロの宝玉よ。さがしてやろうぜ」 「そうね! それに、ルーミィのこともあるし」 「この鏡が怪しいんじゃないか? シロのやつも知らねーっていってることだしよ」  シロちゃん、まだグスグス鼻をいわせている。  顔のまわりが涙でグショグショだ。 「鏡ねぇ…そういや、ゼンばあさんにキットン、手鏡をもらってたよね。どう? もう使い方わかった?」 「ああ…これですか」  キットンはゴソゴソかばんから汚《さたな》い手鏡を出した。  みんなでのぞきこんだけど、みんなの顔しか映らなかった。しかも古ぼけた手鏡だからボンヤリとしか映らない。  と、そのときだ。  天井に開いた穴から差しこんだ陽光が、ちょうど手鏡に反射し。  キットンのオデコを照らした。 「おい!」 「キットン……ど、どうかした?」  わたしたちはあっけにとられた。  だってだってキットンたら、すっくと立ちあがったまま放心状態なんだもの。  すると、だしぬけに『声』が響《ひび》いた。 「キットンよ。おまえは誇《ほこ》り高きキットン族。思い出すときが来たのじゃ」  え? え? え? どこから声がしているの? 「魔法などにたよることなく、知恵と技術で己の道を歩むがよい。頭のなかを聡明《そうめい》にせよ。雑念《ざつねん》を生かせ。日々のなかにこそ、真実の扉《とびら》が開かれん。そして、なによりおまえがキットン族としての自覚を持つことじゃ」  そして、『声』はしなくなった。  しばしの沈黙。みんなキットンを見つめた。  キットンは、まるで雷《かみなり》にでも打たれたようにぶるぶると震《ふる》えていた。 「な、なんなんだよ。ありゃ!」 「キットン族ってなんなの?」 「キットン族なのだ。わたしは、ただのキットンなんかじゃない」  キットンは静かな声でいった。 「ドワーフじゃねーの? おめー」  トラップがおそるおそるいった。 「ドワーフのように見えてもちがうのだ。わたしは、わたしはキットン族なのだ」  なんかいつものへラヘラしたキットンじゃなくなってる。  だいたい、話しかたからしてちがうもの。 「わぁーった。わぁーった。キットン族でもなんでもいいからよ、その思いだしたところで、なんとかしてくれや」  捨てばちないいかたをするトラップの鼻に、キットンがさっと指をつきつけた。 「わぁ!…たたた、な、なんだよ」  トラップはあわてて飛びすさった。  でも、キットンはあわてずさわがず、指をポキポキっと鳴らした。 「オッケー。なんとかしましょう」  わたしたちはキットンの迫力に圧倒されまくっていた。        5  手鏡をいろんな方向にかざしたり、のぞきこんだりしているキットンを置いて、わたしたちは遅い昼ご飯にした。  そう……。チョコをヒトカケ食べたっきりだったもの。おなかのほうがさわぎだしたのだ。  メニューといっても、こんなダンジョンのなか。簡単な保存食とジュースだけだったけれど、なんとなく落ちついてきた。 「しかしさ、さっきの声。どっかで聞いたことあんだよな」  トラップがクラッカーをほおばりながらいった。 「あ、やっぱり? わたしもそうなの」 「どーも…まぁ、どっちみち変なことが多いぜ、まったくよ。おれみたいな常識人にゃ、ついてけねーぜ」 「ブッ!」  わたしは、飲んでいたジュースをふいてしまった。 「き、きったねー!」  トラップはピョンと飛んで逃げた。 「げほげほげほ…だって、げほ…常識…げほ人だなんて……」 「おねーしゃん、だいじょぶデシか?」  シロちゃんがわたしの背中をさすってくれてる。 「げほ…ん、だいじょぶ…さんきゅ」 「失礼な奴だなぁ。おれ、いっとくけど、このパーティのなかじゃ、一番の常識人だぜ」 「わたしが、とはいわないけどさ。それ、いうんだったらクレイなんじゃない?」 「クレイ!?」  トラップはおおげさに手をふりながらもどってきた。 「ありゃぁ、古いっていうんだよ。古くからのシキタリや因習《いんしゅう》や…|血統《けっとう》やらにしばられてさ。はやんねーんだよな、あーゆうの。これからはニューウェーブよ」 「はぁ?」 「このサイバースペースにおいては、だな。ピュア&フレッシュ! そして、ニューウェーブ」 「トラップ、あなた鼻の頭赤いわよ」 「あぁ? あ…これ、ジュースじゃなくてビールだった…ゲフ」  すっかりおなかもいっぱいになって、ちょっと緊張感《きんちょうかん》がゆるんでしまったせいか、みんな、うたた寝モードになってしまった。  トラップの背中にもたれてシロちゃんもウトウト始めた。  わたしはというと、ルーミィのことが心配で寝られなかった…というのはウソで。  やっぱりウツラウツラしてしまったようだ。  ごめんね…ルーミィ……。 「わかったぞぉぉぉぉー!」  キットンが吠《ほ》えた。  吠えたというのが一番ピッタリくる。  わたしたちは、はじかれたように飛びおきた。 「わ、わかったって?」 「なにが?」 「鏡と鏡が出会うとき。真実の扉《とびら》が開かれん!」  キットンは自信に満ちた顔で、わたしたちをぐるっと見わたした。 「ようするに、合わせ鏡のことです。さっきの予言に『|雑念《ざつねん》を生かせ。日々のなかにこそ真実の扉が開かれん』というフレーズがありましたよね」 「ふむふむ」 「雑念を捨てよってのは、よく聞くけどね」 「いえ、そこがわれわれキットン族の教えのすばらしいところです。雑念のなかにこそ、いいかえれば日々わたしたちが思いわずらう、そういう種々雑多な想念《そうねん》をですね……」 「いいから結論、いこーぜ」 「まぁ、その結論をいいますと。わたしはこの鏡を見て…むかし美しかった母上がよく合わ鏡をしては緑なす黒髪《くろかみ》を整えていたことを思いだしたのであります」 「どこが結論なんだよ……」 「トラップ!!」 「じゃ、キットン。昔のことを思いだせたのね?」 「はい。すこしずつではありますが。わたしはキットン族の王家の血筋であったようです」 「ひょぉー!」 「ほぉ!」  そう聞くと不思議《ふしぎ》なもので、なにやらキットンが気品あふれてきたようにも見えてくる。 「ですから…こうやってですね」  キットンは黒い大きな鏡を背にして立ち、手鏡を前にかざした。 「この手鏡のなかを見てください」  そっとのぞきこむと!  あれま。手鏡のなかには、当然黒い鏡も映っているんだけど。  そこに、しっかり扉が見える。 「扉だね」 「そうです」 「でも、ふつうに見たんじゃ見えないよ。どうやって開けるの?」 「それは、こうやって……」  キットンは手鏡のなかに手を差しいれた。 「あれ!? そ、そんな」 「手がつきぬけてないぜ!」  トラップが手鏡のうしろにまわりこんで叫んだ。 「ほら、開けますよ」  キットンはゆっくりと手を、さらに押しこんでいった。  すると、どうだろ!  今までなにもなかった、黒い鏡に小さな四角い穴がすこしずつ開きはじめたじゃないか。 「こ、これは…重い」  ひたいに汗をうかべるキットン。 「がんばれ! がんばるんだ!」 「フレ、フレ、キットン」  わたしたちは、もうすっかり感動してとにかくキットンを応援した。  扉《とびら》は開いた。  なかをうかがう。  もしや、なにか恐ろしいモンスターが待ちかまえているかもしれない。 「おれが先頭に立つからよ、用意はいいか?」  トラップがパチンコを手に、小さな声でいった。 「オッケー!」  わたしもショートソードをぬいて、あとに続く。 「行きましょう」  キットンはクワを持って、静かにうなずいた。 「行くデシ」  シロちゃんは景気づけに、ボッとひと吹きブレスを吐いた。  さぁ、なにが出てくるのか!  出るなら、出てこぉい! (デナイデクレタラ、ソノホウガイイケドサ……)        6  外が温泉《おんせん》の蒸気で暑かったせいもあって、なかはいやにひんやりしていた。  なぜこんなに肌寒《はだざむ》いほどなのか……。そのわけは、もうまもなく知ることになるんだけど、それがわかったときは決して寒さのせいじゃなく鳥肌《とりはだ》がたってしまった。  なぜなら………。 「暗いな。足元がツルツルしてるから気をつけろよ」  先頭を行くトラップが注意した。  足元を照らすと、自分の姿が床《ゆか》にも映っていることに気がついた。  よく見ると、床だけじゃない。|壁《かべ》も、|天井《てんじょう》も。すべてが黒い鏡でできていた。  入口から細い通路があり、すぐのところに階段があった。下へ続く階段だ。  足をすべらさないよう、注意しながらゆっくり降りていく。  階段を降りきったところで、トラップがみんなを止めた。 「先に奥へ行ってみっからよ。おめーたち、ここで待機《たいき》してろ」  みんな真顔でだまってうなずいた。 「寒いね」  下は入口の付近よりももっと寒かった。はぁっと息をすると白い蒸気になる。  みんなの不安そうな顔がボンヤリと壁面《へきめん》に映っていた。  しばらくして、トラップがもどってきた。  顔が蒼白《そうはく》になっている。 「なにか、あった?」 「モンスターでもいたんですか?」  トラップは信じられないといった顔で首をふった。 「モンスターらしきものはいない。とりあえず、自分の目で見てみるんだな」  階下も壁、天井、床すべて黒い鏡。  奥のほうに進み、ポータブルカンテラで照らしてみた。  暗くてよくはわからなかった。かなり広い空間だったが……。 「キャ……」  思わず叫びそうになって、自分で自分の口を押さえた。  その空間に黒いものが無数に立っていたんだけど、それひとつひとつ、人間だったのだ。  いや、人間だけじゃない。エルフ、ハーフエルフ、ドワーフ、ノーム、ゴブリン……。年をとった者もいれは、まだ若い、ほんの子供もいる。  そして、そのすべてが生きてはいないようだった。  ロウのような皮膚、生気のない目。そう、まるでこれはロウ人形のような……。  そして、彼らの格好《かっこう》から彼らが何者なのか想像《そうぞう》がついた。 「冒険者《ぼうけんしゃ》たちだな」  トラップがボソッといった。 「そうね。それから…小さい子供たちは、きっとイケニエに捧《ささ》げられてきた人たちだわ」  まだ遊びたいさかりの、小さな男の子たち。  親の着せた、せめてもの晴れ着。そして、手にもたせた玩具《おもちゃ》。  あまりの痛ましさに、胸が痛くなった。 「こんな立派なアーマーつけてよ……。クレイが見たら泣くぜ」  トラップがひとりのハーフエルフの騎士《きし》が装備《そうぴ》しているアーマーをコンコンとたたいた。  ほんとにすばらしいアーマーだ。白い薔薇《ばら》と獅子《しし》の飾りがついたプレートアーマー。 「こんなの、持って帰ったら…あーしかし、奴のことだ。死者の冒漬《ぼうとく》になるとかなんとかかたいこといっちゃって着ねーな」 「おや?」  キットンがちょっと大きな声をあげた。 「おい、大きな声出すんじゃねー」  トラップがたしなめたが、 「すみません。あの、その、奥にうずくまっている…女の子」 「え?」 「あ、そ、そこの右。あ、カンテラを貸してください」  キットンはトラップからカンテラを借りて、奥の一角を照らした。 「あれ、ルーミィじやないんですか?」 「!!!」  わたしは声にならない叫びをあげて、照らしだされた小さな女の子のほうへかけよった。  ふわんふわんのシルバーブロンド。わたしが選んであげたペパーミントグリーンのジャンプスーツ。ちょっととがった耳。  しゃがんで、その顔をのぞきこむと……。とってもきれいで生き生きしていたブルーアイが白くどんよりと、にごっていた。 「ルーミィ!」  思わず抱きしめた。 「やっぱりルーミィか?」  トラップたちもかけよってきた。  ダランとなってしまったルーミィの体を見せて、わたしは泣きながらはげしくうなずいた。 「なんてこった……」  トラップも目頭《めがしら》をこすった。 「ちょっと拝見《はいけん》」  でも、さすがにキットンはちがう。ルーミィの顔や目、それから手を点検し。  そして、わたしの肩《かた》をポンポンと叩《たた》いた。 「だいじょうぶ。まだ脈《みゃく》もあるし、ほら、体温もある」 「キットン!」 「たぷん、いや…きっと。悪い魔道師《まどうし》が作った、あのモウンにやられ、|魂《たましい》だけを奪《うば》われているんでしょう」 「で、でも…モウンにやられてしまった者を救う方法はないって、さっき」 「あのモウンは実際には存在しないモノなんです。だから、モウンをこの世に存在させているのは、作った者がそれを認めているあいだだけのこと。認めるのをやめた場合、いいかえると、認めることができなくなったとき、呪《のろ》いは消えます」 「よく…わかんないけど、とにかくあのモウンを作った奴が死ねば……」 「そう。ルーミィの魂はもどりますよ。このとおり、体はまだ生きているんだから」 「と、すると…他の人たちは…ダメなのね?」 「そうですね。残念だけど、魂がもどるべき体が、もう死んでいる」 「まるで…生気さえとりもどせば動きだしそうだけどね」  この「寒さ」は、これらの死体を保存するための「寒さ」だったんだ。  トラップがルーミィを背中におぶった。  さらに奥へ進むためこの部屋から出ようとしたが、ふと背中の弓矢がなにかにひっかかり、ふりかえってわたしは大声をあげてしまった。 「こ、この人!!」  みんなギョッとして、ふりかえる。 雪のように白い顔に影を落とす長いまつげ。黒々とした長く豊かな髪《かみ》。 「ユリアさん!」  三人が同時に叫んだ。 「どうしてこんなところに……」 わたしはさっきキットンがルーミィにしたように、ユリアさんの細い手首を取ってみた。 「だいじょぶ! 脈はあるわ」 「おれたちがダンジョンに入ったあとで、やられたのか? でも、なんでまたこんなダンジョンになんか来たんだぁ?」 「さぁ……」  わたしは力なく答えた。でも、なんかヤな予感がする。  いや、だんぜんヤな予感だ。 「キットン!」 「はい。あやしいですね」  キットンも深刻《しんこく》な顔をして、うなずいた。 「おい、じゃ…あの、オレたちを助けてくれた、あのユリアさんが?」 「そう。その可能性《かのうせい》はじゅうぶん考えられます。すくなくとも…もし万が一、いま現在でもユリアさんが別の場所にいたのなら」 「彼女は…その悪い魔道師《まどうし》が操《あやつ》っているわけね!」 「ですね」 「あれ?」 「なんでしょうか」 「ほら、ユリアさんの目の横のホクロ。たしか……あの、わたしたちを助けてくれたユリアさんほ右目の横にあったと思ったけど」  そう。この変わりはてたユリアさんの目の横にもホクロがあるんだけど、左目の横にあるのだ。 「そうよ。いま思いだしたけど、わたしたちをおそったルーミィ。あの子左ききのはずなのに右手で杖をふりかざしたわ!」 「そ、そ、それは、それは…たいへんな発見ですよ」  キットンは興奮《こうふん》してはげしくどもった。 「た、たぶん、魔道師に操られている魂が見せる姿は……鏡に映った姿なんですね」 「たいへん! クレイやノルたちが危険だわ。一刻も早く知らせないと……」 「あ、パステル。あの鳥はどうしたんですか?」 「鳥?」 「はい、ノルが別れぎわに渡してくれたでしょ」 「あぁ———!!!」  すっかり忘れてしまってた。たしか……。  カバンのなかをゴソゴソかきまわしたけれど、ない。 「あれ? あれ? あれ?」  わたしっていつもそう。さぁ出かけるぞってときになると必ず鍵《かぎ》がなかったり、お財布《さいふ》がなかったりしてパニックしてしまう。 「あわてるなって。ポケットのなかは見たのか?」  トラップがめずらしくやさしい。 「そっか、ポケットね」  両手をポケットにつっこんだけど、ハンカチやらキャンディやら何かの木の実、チビた鉛筆などしかなかった。 「ないよ。どっかに落としたのかなぁ」 「落とすったって、モノじゃねーんだしょ。鳥だぜ鳥」  と、わたしのカバンをのぞきこむトラップの目の前で、バチンと手を叩いた。 「あ——、そだそだ。思いだした」  そうそ、生きている烏だから変なとこに入れちゃ悪いと思って、カバンのポケットに入れたんだ。ちゃんと息ができるようにってね。  はたして鳥さんは元気でカバンのポケットのなか、ぐっすりと寝こけていらした。 「平和な奴《やつ》」  親愛なるクレイ、そしてノルへ  |温泉《おんせん》が止まったのはドラゴンのせいじゃありません。  |冒険者《ぼうけんしゃ》の魂《たましい》を抜きとって、コントロールしている悪い魔道師《まどうし》がいるようです。悲しいことにルーミィも犠牲《ぎせい》になりました。  あ、でも心配しないで。ルーミィの体はだいじょうぶでしたから。  その魔道師が滅《ほろ》びたとき元にもどるでしょう。  しかし、問題なのはユリアさんです。  どうもあのユリアさんは本物ではないようです。  じゅうぶんに注意してください。  わたしたちは、これから大急ぎで帰ります。  だから、くれぐれも油断《ゆだん》しないで。                             パステル 「よし、書けた。早くもどって、鳥を放さなくっちゃ!」  烏にたくす手紙を書きあげ、みんなをうながすと、トラップが、 「ちょっと待てよ。奥を確かめてくっから」  そういって、ひとりで行ってしまった。 「ね、キットン……。でも、ここは貯蔵庫なのかしら。本拠地《ほんきょち》はどこなのかしら」 「ここが本拠地じゃないかと思いますよ、わたしは」 「でも、その魔道師がいないじゃない。彼を倒さないと…ダメなんでしょ?」 「それは…たぶん……」  キットンがなにかをいいかけた時、トラップが帰ってきた。 「どうだった?」 「なんか椅子《いす》とかあったけど、別にこれといったもんはなかった」 「そっか」 「じゃ、行くぜ」        7 「早くクレイたちに知らせてね」  階段を昇り、黒い鏡のなかから外に出るやいなや、手紙を足にくくりつけた烏を放した。  黒っぽい鳥は一回クルーリと旋回《せんかい》したあと、一直線、|天井《てんじょう》に開いた穴へと舞いあがり外へ飛んでいった。  この複雑《ふくざつ》な状況《じょうきょう》をクレイに知らせることは無理《むり》だろうけど、ともかく「ユリアさんに注意」してくれればいい。あんなにやさしそうできれいな彼女だもの。クレイたちはシッカリ|油断《ゆだん》してくれてることだろう。  鳥を見送ったあと、どうもあたりのようすがおかしいことに気づいた。  さっきまでのあたたかさはウソのようで、なんともいやなかんじだった。 「なんか変ね」  まわりを見わたしても、怪しい人影などはない。  しかししかし、変。 「あ、白いけむりがないデシ!」  シロちゃんが叫ぶ。 「ほんとだ、蒸気が出てないな」  トラップも不安そうにあたりをうかがう。 「油断しないでください。これはただならぬ妖気《ようき》です!」  キットンが低い声でいったとき、トラップが叫んだ。 「あ、あれ、あ、あ、あそこ見ろぉー!」 「きゃぁあぁぁぁ——」  わたしはトラップが指さした先を見て、|絶叫《ぜっきょう》してしまった。  |壁《かべ》という壁から、人がスーッと現れはじめているじゃない!  それも半端《はんぱ》な数じゃなく、後から後からわいて出てくるのだ。 「人」といっても、まるで生気のない亡者《もうじゃ》みたいな。  おかしくなったルーミィと同じく、いびつにまるめた背中、ゆがんだ手足。しかもそいつら全部、日がない。目のある部分は黒くえぐれていて、赤い火がチカチカしている。  そのゾンビのような奴らが、すべての方向から無表情のままジリジリと近づいてくる。  立派なランサーを軽がると持ち、重そうなプレートアーマーをガチャガチャと鳴らしながら歩いてくる、長く白い顎《あご》ヒゲの騎士《きし》。  |腰《こし》までとどくオレンジ色の髪《かみ》を振り乱した、女のウィザード。  赤いチョッキと黒いビロードの半ズボンをはいた、まだ四、五歳くらいの少年。  女も男も、そして年格好《としかっこう》もバラバラの不気味《ぶきみ》な集団。 「アレだ」 「ルーミィとまったく同じだね」  わたしたちはガタガタ震《ふる》えながら、身を寄せあった。 「とにかくなんとかしなきゃ」  わたしは震える指で弓をつがえた。 「|無駄《むだ》ですよ、この人たちはさまよえる魂《たましい》です。|実体《じったい》のないものに弓は通用しません」  キットンがそういうのも、わかる。わかるんだけどね……。 「ここにいたんじゃ、|餌食《えじき》だぜ。いったん鏡の中にもどるか?」  トラップが黒の鏡を指さした。  彼は魂が抜けたユリアさんの体をおぶっている。 「だめです。それこそ奴らの思うつばです」 「わぁあっ!」  トラップが叫んだ。  岩山の上から小さなホビットが小さなスリングで射かけてきたのだ。  矢はトラップの首筋をかすめ、地面に突き刺さった。  まったく注意していなかったところからの攻撃《こうげき》で、身の軽いトラップだからよけられたのだろう。背中におぶっていたユリアさんをかばいつつ、よけたんだから神業《かみわざ》だ。しかし、トラップの首筋から、ツツ——ッと血がひと筋流れおちた。 「ぎゃ!」  今度はわたしの肩を蝶々《ちょうちょう》くらいの小妖精《ピクシー》がひっかいた。  そのホビットや小妖精だけじゃない。いつのまにかすぐ近くまで亡者《もうじゃ》たちは接近してきていた。  小さな細い指で喉《のど》を締《し》めようとするエルフ。  ロングソードを盲滅法《めくらめっぽう》ふりまわすファイター。  無駄とわかっていながら、こっちも武器をふりまわすが、当然ながらなんのダメージも加えられない。こんな割に合わない勝負はない……というより、このまま戦っても疲れるだけだ。  それに、それに、あのルーミィを見つけた。  本当のルーミィは私がおぶっているからちがうのはわかっているが、どうしてもそっちに目がいってしまう。 「ルーミィがいるな」  トラップも気がついたようだ。 「あ、パステル。ルーミィの目をくらませて難《なん》を逃れたといってましたね!」 「そうだ、シロちゃん。シロちゃんの目つぶしのブレス……」 「また吹くデシか?」 「そうそ、思いっきりやってちょーだい!」  わたしは腕にしがみついてくる、|小妖精《ピクシー》を必死《ひっし》で払いおとしながらいった。  あの変になったルーミィが逃げたんだもの、光には弱いはずだ。 「どうせやるんなら、でかくなってやれよ」  ドワーフの斧《おの》をかわしながらトラップが叫ぶ。 「わかったデシ。じゃ、いくデシ」  シロちゃんが目の前でみるみる巨大になる。その頭は天井《てんじょう》にとどくばかりになった。  そして、スゥーツと息を深く吸いこむと、まるで空気が希薄になったかのように思えた。|壁《かべ》に生えていた草は吸いこまれまいと岩にしがみつく。もろくなっていた岩肌にはピリピリと亀《き》裂《れつ》が走り、小さな岩のかけらが、パラパラと落ちてくる。 「みんな目を押さえて!」  わたしはそういって、自分の目を押えしゃがみこんだ。  ボォォォォォォォォォォ——————……  目を押さえていた手の内側しか見えなくなる。他は辺《あた》り一面まっ白の世界。  しばらく……いやかなりの時間待った。 「みんな逃げていくデシ」  はるか頭上《ずじょう》からシロちゃんの、ノンビリした声がした。  恐る恐る目をうすく開けてみる。  手で押さえたまま立ちあがり、指と指の隙間《すきま》から見てみた。 「ほんとだ。やったね!」  さまよえる人たちはヨロヨロと後ずさりをしていた。 「やるやる!」  トラップは、シロちゃんの足首をポンポン叩《たた》いた。 「しかし……」  キットンが口ごもる。 「どうかした?」 「はい。あれを見てください」  キットンが指さしたのは、壁近くまで後ずさっていた亡者《もうじゃ》の集団だけど。 「ほら、彼らはいったんは後退しましたが、あきらめたわけじゃなさそうですよ」  そう、なんかこっちのようすをうかがっていて、その中の何人かは、またまたジリジリと近寄ってきているじゃないかぁ! もーやだぁ……。        8  わたしはふとシロちゃんを見あげた。そして、その巨大な羽も。 「シロちゃん、もしかして飛べる?」 「はいデシ」  シロちゃんは目をクルクルさせた。 「ね、あなた……わたしたちを乗せて、送ってくれない?」 「え? そりゃもちろんデシ。でもぉ……でもぉ……」 「どしたの?」 「うん……だってぼく……まだ子供だからあんまり高く飛べないし……。それに飛びかたがへタなんデシ」  人のいいシロちゃんは、ほんとうにすまなそうな顔をした。 「そっか。あ、でも……それでもいいわ。頼む」 「わかったデシ! ボク、がんはるデシ!」  シロちゃんがしゃがんでくれたので、わたしたちは大急ぎで、その大きな背中に登った。  亡者《もうじゃ》たち全員が再び近づいてきたから、|悠長《ゆうちょう》なことはしてられない。 「じゃ、起きあがるデシ。しっかりつかみましたデシか?」 「いーよー!」  みんなシロちゃんの長い毛をしっかりつかんだ。  つかんだけど……。 「うわぁぁぁあああ————」  いきなり垂直になっちゃって、落ちる落ちるよぉー! 「ひょわわわわわわ—————」  今度は大きくなった翼《つばさ》がバサッバサッと羽ばたいた。  壁がバラバラ落ちていく。  足元まで近づいていた亡者の群れも振動でヨロヨロと倒れていく。 すぅ——っと息をまた吸いこんで、しばらくためたかと思うと、いきなり浮いた。 「きゃぁあああ———ああああ——」 「浮いた、浮いたぁー」  |天井《てんじょう》にポッカリ開いた穴から、ゆっくりゆっくり上へと飛んで、急に外の風が頭を横殴《よこなぐ》りに殴った。  あまりの強風に目も開けてられない。  ではあるんだけど、やっぱり気になるからして、薄目を開けて見てみた……ところが、もう唖然《あぜん》!  なんてことだろう。わたしたちは、山の頂上よりちょっと上に浮かんでいたのだから。さっきの広間って……|昔《むかし》、まだこの山が活火山《かつかざん》だったころの火口だったんだ。 「すっげぇー。飛んでるぜー」  トラップが叫んだ、そのとき。 「わわわわわわ……」  シロちゃんがいきなり失速し、山頂に激突《げきとつ》しそうになった。 「シ、シロちゃぁーん!」 「うひゃぁー、たすけてくださーいー」 「おれが悪かったぁ」  思い思いに絶叫《ぜっきょう》すると、今度はまたシロちゃん、ヨロヨロと立ちなおった。  もう、ここまできたら、あともどりはできない。  頭上より少し傾いたくらいに位置する太陽を背に、わたしは自分の胸のなかにルーミィの確かなぬくもりを感じながら……後はただただシロちゃんにすべてをたくした。    STAGE 7        1  わたしたちは、ゼンばあさんの家へやっとのことでたどりついた。  どうしようもない事態に陥《おちい》らないかぎりは、二度とシロちゃんに乗って空を飛ぼうなんて……三人とも思わないだろう。シロちゃんにはないしょだけどね。 「ね、クレイたち、あの鳥の手紙見てくれたかな?」 「さぁ……。とりあえず、万一ユリアさんがいたりしたら、作戦を考えなくてはいけませんから、すぐには帰らないでようすをみましょう」  キットンが緊張《きんちょう》した顔つきでいった。  窓からようすをみようとしたら、すばらしいごちそうの数々が目に飛びこんできた。  金目鳥のカラ揚げ、クラスクジラとメンマ草のマリネ、フライドポテト。 「ぐぅうぅぅぅ……」  トラップのおなかが鳴った。  わたしが肘《ひじ》でつっつくと、彼は目をぎゅうっとつぶり、さも苦しそうに胃のあたりを押さえた。  ユリアさんがいた。  やっぱり、彼女は偽物《にせもの》だったんだ。  黒いマントをまとい、以前にもまして美しい。いま、こうして見ていると……なんとなく病的な美しさだ。  トラップがおぶっている、本物のユリアさんとはちがって、右目の横にほくろがあった。  クレイがいた。食卓に並べられたごちそうを見て、幸せそうにため息なんかついちゃってる。あのぶんじゃ、手紙、読んでくれてないな。  ユリアさんはそんなクレイをニコニコと見つめていた。 「な、なにか?」  ユリアさんの視線に気がついて、クレイがいった。 「いえ、本当に元気そうになられてよかったと思っていたんですわ。あ、そうそう、さっきの薬なんですけど、食前に飲まれたほうがよいと聞いてきました。ちょっと変なにおいがするかもしれませんが、がまんして飲んでみてくださいね」 「ああ、はい。そうしましょう」  クレイったら照れくさそうにして、彼女が持参したらしい緑色の液体が入った薬瓶《くすりびん》を手に、ちょっとにおいをかいだ。 「う!」  しぶい顔。 「これ、全部飲まないとダメなんですか?」 「ええ。それで一回なんですのよ。わたしも小さいころ、|怪我《けが》をしたときによく飲まされたも のですわ。さあ、がんばって!」  意を決して、鼻をつまみ……一気に飲み干そうとしている!  まずい! それ、|毒薬《どくやく》かもしんない。  わたしがあわてて叫ぼうとした……それより前に、小さな石つぶてが扉《とびら》のほうから飛んできて、|薬瓶《くすりびん》にみごと命中。バラバラにはじけとんでしまった。クレイの手には薬瓶の口しか残っていなかった。 「ノル!」  扉から、きびしい目をしたノルが入ってきた。 「いったい……どうしたんだよ。これはユリアさんがせっかく持ってきてくださった薬なんだぞ」  しかし、ノルは無言で蒼白《そうはく》になったユリアさんの顔をじっと見ているだけだった。  |部屋《へや》の奥にいたらしいミシュラン老人とピットも騒《さわ》ぎに気づいてかけよってきた。 「ど、どうかされましたかの?」  クレイは説明しようにもわけがわからず途方《とほう》にくれているようだった。  目を見開いていた偽物《にせもの》のユリアさんは弱々しく笑って、クレイにいうでもなくミシュランにいうでもなく、 「ノルさん、疲れてらっしゃるんじゃ……ないでしょうか」  と、つぶやきながら壊《こわ》れた薬瓶を拾いはじめた。 「おい、おかしいぞ。ノル、だまってちゃわからんぞ。説明しろよ」  クレイがたまりかねたようにいうと、ノルは静かに歩みより、|床《ゆか》に散乱した薬瓶のカケラのうち、比較的大きなカケラを拾った。  カケラには、あの緑色の薬がこびりついていた。  ノルはそのカケラをユリアさんに差しだした。 「え?」  ユリアさんはわけがわからないという顔で、ノルを見あげる。 「この薬を飲めますか?」  バッと、ユリアさんの顔が上気した。細い指がワナワナとふるえだす。 「こ、この薬……毒か何かかと思っているんですね……」  くちびるを噛《か》みしめ、大きな目からはハラハラと涙が落ちた。  それを見た瞬間《しゅんかん》、 「あっ!」  ミシュランが叫ぶより早く、クレイはノルを殴《なぐ》っていた。  もちろん巨人族のノルにとっては、たいしたダメージにならなかったが、それでもフラフラとよろけさせるくらいの威力《いりょく》はあったみたい。  全員が息を飲み、緊張《きんちょう》の糸が張りつめた。 「あぁ……」と泣きくずれるユリアさんを悲しみにあふれた目で見おろし、ノルが冷静に話しはじめた。 「ぼくも信じられなかったんだ。しかし、あの烏を殺したのは、たしかにこの人だった」 「鳥ってなんだい!」 「パステルたちといっしょに行ってもらった鳥だよ」 「ああ……なにかあったときに知らせるように、っていう……あの鳥かい?」 「そうだ」  そして、あの黒い鳥をノルが差しだした。  ひ、ひどい!  鳥は首をねじまげられ、もう硬直《こうちょく》していた。  クレイはまったく信じられないといった顔でノルとユリアさんをかわるがわる見比べていた。 「だって、なんのために、その鳥を殺さなければいけないんだ」 「たぶん、この人にとってよくない知らせが書いてあったんだろう」 「知らせ? パステルからの手紙を運んできたのか?」 「そうだ。しかし、この人がなにか呪文《じゅもん》をいって、その手紙を燃やしてしまった」 「ま、まさか!」 「クレイ、ぼくウソはいわないよ」  ノルがとても悲しそうな目をしてクレイを見つめた。  そうだそうだ、ノルがこれまでウソなんかついたことあった? 「じゃ、まるで……まるで……ユリアさん……」  偽物《にせもの》は床《ゆか》に伏して泣くばかり。  ミシュランはオロオロと、彼女の背中をなでようかどうしようか迷っているようだった。 「そろそろ出ていって、この本物のユリアさんをつきつけてやらない?」  わたしがキットンに耳うちをしたとき、クレイの大きな声がした。 「わかった。ノルのいうことも正しいし、ユリアさんもオレに毒なんて持ってきてないんだ」  みんなびっくりしてる。  こっちのみんなもびっくりしてる。  そんなようすに、クレイは得意そうに説明を始めた。 「いいかい。ユリアさんは魔術師《まじゅつし》でもなんでもない。そうでしょ? ミシュランさん」  ミシュランは大あわてで何度も大きくうなずいた。 「だから、そんな魔法で手紙を燃やすなんてできっこないさ」 「しかし、ぼくはたしかに見たんだ」 「そう、ノルが見たユリアさんと、今こうしてオレたちに食事を運んでくれた彼女と同じ人なの? たしかにそうだといいきれるかい? もうひとり、ユリアさんに化《ば》けた奴《やつ》がいたとしたら?」        2 「クレイ、そのユリアさんが偽物《にせもの》なの」  わたしは、もうがまんできなくなって、そう叫んだ。  クレイたちは驚きと疑問とよろこびとが混《ま》ぜこぜになった、わけのわからない顔をして、こっちを見た。  まずは、考えもしなかったとこから急に声がしたんで大いに驚いたんだろう。それから、まさかこのユリアさんが?? 信じられないっていう疑問。で、わたしたちの無事《ぶじ》な姿を見たよろこび。そんないろんな感情がいっしょくたになってしまったもんだから……なんだろうけど。こら、この非常時にそんな分析《ぷんせき》なんかしてるゆとりないぞ。  ゆとりなんかないっていってんのに。 「パ、パステル……」 「パステルさん。あぁ、キットンさんにトラップさんも。よくぞご無事で」 「あぁ、ミシュランさん。どうもどうも」 「やぁ、ピット。元気だった?」 「ルーミィちゃんはどうかされたんですか?」 「あぁ、それがね……」  再会した感激で、みんな「非常時」ってことを一時忘れて名前を呼びあった。  ノルもクレイもミシュランさんも、みんな外へとかけだした。わたしたちもかけ寄る。  そして、もう一度、わけのわからない顔になった。  そりゃ、そうだろう。だって、そこには今はまた小さくなってはいたけれど、まっしろのシロちゃんがいて、そしてルーミィとユリアさんがぐったり倒れているんだから。 「ユリアおねーちゃん!」 「ルーミィ!…いったい、どうしたんだ」 「その、白い……犬じゃありませんな。その子は?」 「心配しないで、ルーミィはまだ生きているんだから……」 「あぁ、このシロちゃんはですね、ホワイトドラゴンでして」 「え? ホワイトなんだって?」  みんなが好き勝手にしゃべりまくるもんだから、なにがなんだかわからない。 「ちょっとちょっとちょっと、待って。順番に説明しまーす」  手でみんなを制してそう大声でいったが、トラップが、 「んな悠長《ゆうちょう》なことやってていいのかよ」  と、あごをクイッと家のなかへ向けた。  あ、あ、いかーん。  いつのまにか、あの偽物《にせもの》ユリアがいないじゃないか。 「いけない。あの人の化けの皮をひっぺがして諸悪《しょあく》の根元のことを聞き出さないと、ルーミィが元にもどれないのよ」 「|化《ば》けの皮って……いったいぜんたいなにがどーなってるんだよ。やっぱりちゃんとわかるように説明してくんなきゃ、どうにもこうにも信じられないぜ」  クレイが困った顔でいった。  たしかにそうだろう。たぶんわたしだって同じ立場ならそう思うはずだ。 「でもね。ちょっとこみいっているのよ。だから、くわしく説明している暇《ひま》はないの。とにかく一刻も早く、さっきのユリアさんを見つけなくては」 「ユリアさんの正体はいったい……」 「悪い魔道師《まどうし》に操《あやつ》られているんです。強い力をもった……魔道師。ヒールニントの、すべての災難《さいなん》をひきおこしているのも、そいつですよ。それに、もしかしたら……偽物のユリアこそが、魔道師なのかもしれないんです」  キットンが厳粛《げんしゅく》にいった。 「とにかく彼女を追いかけるんだな? わけはわからないけど、とりあえずおまえたちのいうとおりにしよう」          3  ミシュラン老人にルーミィとユリアさんを預けて、わたしたちは偽物のほうを追いかけることにした。  といっても、クレイがちゃんとした服を着て(だって彼は病人としてさっきまで寝てたんだもの)竹アーマーやロングソードを装備《そうび》する時間はかかっていた。逃げられたら……という焦《あせ》りがみんなの表情にありありと現れていた。 「ノル、わかる?」  人並はずれた聴覚《ちょうかく》を持っているノルが、目を閉じたまま神経を集中させている。 「なにか聞こえる?」 「こっちだ。鳥や木々がざわめいている」  ノルは、ゆっくり目を開くと池の方角を指さした。 「おれが先まわりしてるからさ、あんたらも急げよ」  トラップが身軽に木と木のあいだをすりぬけながら、行ってしまった。 「ねぇ、キットン。でもどうして、あの偽物が魔道師かもしれないの? だって、|他《ほか》の亡者《もうじゃ》と同じで単に操られているんでしょ?」  わたしは道を急ぎながら、キットンに小声で聞いた。 「忘れましたか? |魂《たましい》を抜かれ、ただ操られているものたちは実体《じったい》がなかったでしょ。|偽物《にせもの》のルーミィも岩のなかに消えていったといってたんじゃないですか」 「そ、そうかぁー! でも、あのユリアさんの偽物はしっかり実態あるもんね」 「そう。|魔道師《まどうし》でなくとも、やはりなにか秘密があるはずです」  キットンって、やたら冴《さ》えてるなあぁ……。  わたしが感心していると、ノルが足を止めた。 「いますよ」 「え?」  心臓がドキンとはねあがる。  高い木や低く枝をはりめぐらせた木、そしてそれらに寄生する蔦《つた》などがもつれあった森からは、なにも聞こえない。烏さえ一羽もいないようだ。  と、そのとき、頭上から声がした。 「こっちにいるぜ」  木の上にいる、トラップだった。 「どこ?」 「ほら、ちょい右の奥。池よか手前。大きな木の切株《きりかぶ》があるとこだ」 「なにしてるみたい?」 「よくわかんねーけど、なんかブツブツいってるぜ」 「|呪文《じゅもん》でも唱《とな》えてるんじゃないだろーな」  |緊張《きんちょう》した顔のクレイがいった。 「どうする? つっこむか?」 「やみくもに向かっていってもしかたない気がしない?」 「んなこといって……策はあるのかよ。ぐずぐずしてると、なんかとんでもねーことになりそうな予感がするぜ。おっと、やっこさん手をふりあげて、なんか始めた!」 「キットン!」  頼みのキットンも困った顔をするばかり。だめだ。つっこんでから考えるしかなさそうだ。 「シロちゃん、とりあえず大きくなってくんない?」 「いいデシけど?」 「あの目くらましブレスとか、あとふつうのブレスとかが効果あるかもしれないしね」 「あ、だけど……。おれたちがつっこんでからのはうがいいんじゃないか? どれくらい大くなるのか知らないけど、あいつにまた逃げられると困るしさ」  クレイが、ものめずらしそうにシロちゃんを見ながらいった。 「それもそうだね。じゃ、わたしが合図したら大きくなるの。わかった?」 「わかったデシ」  シロちゃんは、コックリうなずいた。 「OK! じゃ、用意はいいな」  クレイの言葉に、みんなそれぞれの装備《そうぴ》を確認。  わたしは矢を弓につがえた。ノルは斧《おの》を両手で持った。クレイは自慢のロングソードを抜き放つ。トラップはパチンコに石を装備し、キットンはクワをふりかぶった。 「クレイ、|肩《かた》はだいじょうぶ?」  防具はつけているが、例の竹アーマーだもの、頼りにならない。それに、ロングソードを両手に持ったようすはかなり辛《つら》そう。 「だいじょうぶ。これが守ってくれるさ」  そういって、竹アーマーをカランと鳴らした。  そして、 「おまえたちは、後ろから援護してくれ」  そういって、トラップがいった方角へとゆっくり歩いていった。        4 「あら、クレイさん。いったいどうなさったんですの? そんな怖《こわ》い顔をして。まぁ、どうなすったんです? そのいでたちは」  偽物《にせもの》のユリアは、まだわたしたちをだましとおすつもりなのか、にっこり笑ってクレイを見つめた、その顔はゾッとするほどの美しさだ。 「もう、きさまの正体はばれているんだ。|神妙《しんみょう》にしろ」  まるで時代劇のような台詞《せりふ》をクレイはいった。 「正体? なんのことですの? ユリアには、さっぱりわかりませんわ」 「おまえを操《あやつ》っている主はどこにいるんだ。白状しろ」 「困りましたわ。わたし、クレイさんのおっしゃることがわからない」  彼女はしらばっくれるばかりだ。  わたしはもう、いーかげん頭にきた。 「あ、あーたねぇ! しらばっくれるの、いいかげんにしたら? だーら、あんたがユリアさんの偽物だってことぜ——んぶわかっちゃってるんだってば。それが証拠《しょうこ》に、本物のユリアさんを連れて帰ってるんだかんね」  しかし、彼女はわたしのことをまるでいじめっこでも見ているような顔をして、おびえてみせた。わたし、こーいう女、大っきらい。それに、そのうえ、わざとらしく涙なんか流してクレイの腕にすがりついちゃってからに。 「クレイさん、どうか信じてください。わたし、他の人にどう思われようとかまわない。でも、クレイさんにまで疑われているなんて、死んだほうがましですわ!」  ばっとふりはどくかと思いきや、タァー! クレイのバカカバオタンチン。困ったような顔して、わたしたちをふりかえった。 「あのさぁ、本当に本当なんだろうな?」 「クレイ! あーた、どっちの味方なのよ。どっちのいうことを信じるの? いーわよ、ルーミィがあのまま死んじゃったら、クレイのせいだからね」 「いや、その……どうにも困ったなぁ」 「誰《だれ》にもましてフェミニストなクレイだもの、わかるけどね。でも、場合が場合でしょ。ためしにバサッとやっちゃえば?」 「うーむぅ」  クレイが困りはてていると、ユリアがさっとその場に膝《ひざ》まずいた。そして、手を組みあわせてクレイを仰ぎ見た。 「クレイさん、わかりました。死ぬより他に身のあかしをたてる方法がないというのなら、ユリアはあなたの手にかかって死にたい。生まれてこのかた、人を好きになったのは初めてのことです。ただ、こんな形で愛する人と別れるのかと思うと、無念です……」  え? え? なに、それ。愛する? 好きになったぁ?  わたしは思わず、ノルやキットンと顔を見あわせた。ふたりとも大きくため息をついた。しかし、もっと驚いたのはクレイのほうだ。明るい鳶色《とびいろ》の目を見ひらいて息をのんでいる。  なんかややこしい展開《てんかい》になってしまったものだ。  コイツが早いとこ正体を見せてくれれば、フェミニストのクレイだって戦おうという気になるだろうに。これじゃ、トーフの角に頭ぶつけて死ぬよかむずかしい。クレイに無抵抗《むていこう》の女性を切るなんてことできるはずないじゃないか。  おお、おお、あの偽物《にせもの》、今度は涙を流しながら手なんか組んじゃって目を閉じている。白いうなじがふるえてたりしてるし。クレイといえば、オタオタしちゃって立ったり座ったりしてる。  ここはちょっとキットたちと相談をして……と思ったときだ。  偽物のユリアが「ギャァッ!」と叫んだ。  え? クレイがやっちゃったの? と思ったけど、そうじゃない。木の上からようすを見ていたトラップが石をぶつけたのだった。パチンコといっても、トラップの特製。ちょっと大きめの鳥でも一発でしとめるくらいの威力《いりょく》がある。そのパチンコで、左目をバチッとやったからたまらない。  偽物のユリアは左目を押え、よろよろと立ち上がった。手のあいだからボタボタと血が流れ落ちている。  そして、ぐいっと体勢を立てなおし、トラップをにらみつけた。その憎々しげな目!  その視線が熱線となってトラップを刺した。もちろん、身の軽いトラップのこと、ひょいっとよける。トラップの顔の、すぐ横の枝がジュッと焼け焦《こ》げた。 「ひょぉ! おーこわ。ほらな、クレイ。そういう心底悪い奴《やつ》ぁまともにつきあってちゃだめよ。悪道長いことやってっと、|面《つら》の皮が厚くなるもんだって、じーちゃんがよくいってたもんだ」  木の上からトラップが平気な顔でいった。  コイツも怖《こわ》いけど、トラップも怖い……。わたしはそう思ってしまった。        5  トラップにふいをつかれ逆上《ぎゃくじょう》した魔道師《まどうし》は、ついに本性を現しはじめた。  そう。キットンが推測したとおり、|偽物《にせもの》のユリアがすなわち魔道師だったのだ。  まず、黒く豊かな髪《かみ》の毛が逆立《さかだ》ち、まるで生き物のように波うった。|蒼白《そうはく》な顔にはどす黒い血管が浮きだし、目はぽっかりと落ちくぼんだ。|亡者《もうじゃ》たちの目とちがうのは、その瞳《ひとみ》だ。トラップにやられた左目からは、まだダラダラと血を流していたが、右目は黄色く光っていた。その無表情《むひょうじょう》な目の中央にポツンと赤い瞳孔《どうこう》。やわらかだった体が大きくしなったかと思うと、みるみるいびつに曲がりはじめた。  その変化を目の前で見たクレイも、そしてわたしたちも凍《こお》りついたように立ちすくんでいた。  そんなわたしたちをあざけるように、偽物のユリア……いや、すでに悪魔《あくま》のような姿に変わりはてた、魔道師が突然笑いはじめた。 「おまえたちのような子供に、わしが倒せると思うのか」  魔道師の声は、低く太い男の声とユリアさんの声とがだぶった、|不気味《ぶきみ》な不協和音《ふきょうわおん》だった。  ひゅぅん!  トラップの放った石が魔道師の左|頬《ほお》に当たり、血が吹きだした。  しかし、まったくダメージがなかったかのように彼(彼女?)は身じろぎひとつしない。  ゆっくりと片手を上にかざし、なにか早口でつぶやいた。  パッと手の平を広げ、|握《にぎ》りしめる。白い閃光《せんこう》が走り、その手には長くふしくれだった杖《つえ》が握《にぎ》られていた。 「ЖЗИКЙМСХЦЧЁЖ……」  わたしたちには理解不可能な聞いたこともない言葉を、今度は大きな声で唱《とな》えはじめた。  まわりの木々がざわざわと波だった。  にわかに空が黒くなる。  魔道師が杖を地面に、軽くついたときだ。 「うわぁあー!」  トラップの悲鳴《ひめい》がした。見ると、木の上にいた彼がいつのまにか空高く浮かんでいる。 「はっはっはっは……」  魔道師はふたたび笑いだし、もう一度杖を地面についた。 「やめてくれぇー! 目がまわる。わかった、おれが悪かった」  今度は空中でグルグルと回りはじめた。  このまま地面に叩《たた》きつけられたら、どんなに身の軽いトラップだって即死してしまう。わたしは魔道師に気づかれないよう、シロちゃんに合図《あいず》した。  シロちゃんはすぐに大きくなりはじめ、黒い空を白く切りさく巨大なドラゴンに変身した。  魔道師はそのようすに一瞬《いっしゅん》たじろぎ、二、三歩後ずさった。  と、同時に空中で回っていたトラップが急降下したが、地面には落ちず、シロちゃんのふわふわしたおなかに落ちた。 「たたた……おい、シロ。おろしてくれよ」  シロちゃんのまっしろのおなかに、うずもれたトラップがいった。  ポンッ。  シロちゃんがおなかにちょっと力をいれると、トラップははじき出された。空中で半回転して、|無事《ぶじ》着地。 「トラップ、だいじょぶ?」 「あぁ……しかし、こいつの腹、すげーなぁ」 「おまえか。あのホワイトドラゴンが残していった、子供は」  魔道師がシロちゃんにいった。 「おかぁしゃんを知ってるデシか?」 「あぁ、知っているとも。仲のよい友人だったからな」 「そんなはず、ないデシ。あなたは悪い人デシ」 「おまえこそ、こんなくだらない人間のいうことにだまされるんじゃない。わからんのか。気高くも美しいホワイトドラゴンよ」  まただ! この魔道師、今度はシロちゃんを惑《まど》わそうとしてる。 「シロちゃん、だまされちゃダメよ!」  シロちゃんはわたしを見おろし、うんうんとうなずいた。 「わかってるデシ。ボクのおかぁしゃんが、こんな悪い奴《やつ》と友達のはずないデシ」  そうはいったシロちゃんだけど、 「おまえは、母親や兄弟のことを知りたくはないのか? わしなら居どころも知っておるし、わしの力をもってすれば、会わせてやることだってできるんだぞ」  などと魔道師にいわれて、内心かなり動揺しているようだった。  そりゃ、無理もない。例の宝玉がなくなってしまったシロちゃんとしては、おかあさんドラゴンと会えるっていうの、一番大きな誘惑《ゆうわく》だもん。 「おい、シロ。こいつの舌はウソつくことしか知らねーんだ。だいたい、こんなシケた野郎が人のために、なんかしようなんて思うわきゃねーだろ」  トラップがシロちゃんの太い足をポンポン|叩《たた》きながらいった。  またも大きくうなずくシロちゃん。  そんなようすを見ていたクレイが、ゆっくり魔道師の前に進んでいった。 「こんな子供のドラゴンまでだますつもりか! おれは、おれはもう許せん!」  そういうと、クレイはロングソードを大きくふりかざし、魔道師の肩《かた》ぐちめがけてバッサリふり降ろした。  ザクッという音。  |頬《ほお》を紅潮《こうちょう》させたクレイが剣を突き放すと、魔道師が倒れた。 「やった!」  さすがはクレイ。だてにファイターやってない……と喜んだのもつかのま。  わたしは思わずノルの腕にしがみついた。 「ЖЁВБДЗИКУХЙЖЁЩЯ……」  またあの、|不気味《ぶきみ》な言葉が聞こえはじめたのだ。  負傷している肩《かた》を押え、苦しそうに汗をしたたらせたクレイが、気力を奮《ふる》い起こしロングソードを握《にぎ》りなおした。そして、これでもかこれでもかと、ふりおろした。  しかし、血にまみれた魔道師のロから呪文《じゅもん》は消えない。 「ЖЁВБДЗИКУХЙЖЁЩЯ……|暗闇《くらやみ》に巣くう悪意に満ちたものどもよ、いでよ……」  黒かった空に、今度は赤い……まるで血のようなシミが広がりはじめた。  シミのように見えたが、それは細長い体をもったモンスターだった。赤く、体毛の一本もない、妙につるっとした皮膚。とがった耳。妙に長い首。耳まで裂《さ》けた口。二本の鋭《するど》い牙《きば》。  やはりつるっとした、コウモリのような羽が背中から生えていてバサバサと音をたてながら飛んでくる。 「なんだ、これ」 「わかんねー。すげー数いるぜ」 「うえー、気持ちわるい」 「たぶん、これもあのモウンと同じく、魔道師の作りだしたモンスターでしょう」  キットンがどなった。  クレイがロングソードをふりまわすと、赤いコウモリのような化物《ばけもの》がどんどん落ちていった。  竹アーマーからのぞく手からは血がしたたり落ちていた。たぶん、傷口が開いたんだろう。  わたしも弓をショートソードに持ちかえて、ふりまわした。ノルもトラップも持っている武器を使って応戦している。  ちょっとでも油断《ゆだん》すると、鋭い牙でかみついてくるからしまいに緊張《きんちょう》の連続で目がくらんできた。  みんな体中、傷だらけになって戦ったが、いつまでたってもこれじゃラチがあかない。数が多すぎるのだ。 「キットン、まだぁ?」  キットンはノルに防御《ぼうぎょ》してもらいながら、|必死《ひっし》でポケットミニ|図鑑《ずかん》をひっくり返して調べていたが、やっと見つけたようだった。 「あった! なんだ、カラーページにあったのか……。どうりでないはずだ」 「なに、そんで」 「えっとですね。これはスネークフライといってですね。ほら、口のあたりがヘビに似てるでしょ」 「だあぁー! またはじまった。|講釈《こうしゃく》はいいから、弱点を早く教えてよ。キャッ、いたたた……」  耳をかじられ、思わずつかんだ。なるほど、近くで見ると顔はヘビそのものだぁぁ。 「あ、すみませんです。あ——っとですね。弱点は、というと……あ、ここだここだ。熱です。熱に弱いようです」  わたしはキットンの「熱」というのを聞いた瞬間《しゅんかん》、声をからして叫んだ。 「シロちゃーん、ブレス!」 「まぶしいのデシか?」 「ちがう! 熱いやつ」 「わかったデシ」  シロちゃんは大きく息を吸いこんだ。近くの木々が吸いよせられるように、ザワザワとうねった。そして、ちょっと息を止め、ゆっくりと吐き出した。  長い炎が赤いスネークフライを焼き焦がす。  あたり一面にひろがる、いやぁな臭《にお》い。ゴムが焼けたような、胸が悪くなる臭いだ。  見ると、スネークフライは、体を焼かれギャァーギャァーいいながら蒸発(?)していった。ボタボタと地面に落ち、その焼け焦《こ》げた影だけを残して消えてしまうのだ。  まわりの空気がユラユラとかげろうのようにゆらぎ、木々にまで火がつきはじめた。 「もうやめて! シロちゃん、聞こえる? もういいの」 「はぁ、ほぁ、はぁ……もう、いいデシか?」  あんまり長く吐いていたもんだから、シロちゃんの口のまわりが黒いススでうすよごれてし まっていた。 「ありがと、ほら、見て。あんなにいたモンスターが、みんないなくなっちゃったわ」  シロちゃんは安心したように、にっこりはほえみ、見るまに小さくなっていった。たぶん、体力を使い果たしたんだろう。  息を切らし、あんなに美しかった白い体をススだらけにしてまで助けてくれるシロちゃんを見て、わたしは思わず抱きしめた。 「あちちちちちちちっ!」  トラップが帽子《ぼうし》を押さえて、飛びはねている。大切な帽子に火が移ったみたいだ。  少しほっとしてあたりを見渡したとき。 「あっ!」  クレイが叫んだ。 「どうしたの?」 「あいつが消えた」 「そんなばかな。だって、クレイ……ずっとそこで見張ってたんでしょ?」 「あぁ、しかし……」  クレイが狐につままれたような顔で立ちすくんでいた。  なんということだ。 「うそぉ!」  わたしは、その場にヘナヘナと座りこんでしまった。 「いや、あんな体だ。そんなに遠くには行けないはずだ」 「おい、これ。血の跡があるぞ」  トラップが半分焼け焦《こ》げた帽子を手に叫んだ。  確かに、それは血だった。点々と池のほうへ続いている。 「急げ!」  クレイとトラップが走っていった。わたしはノルに手伝ってもらいながら立ちあがった。 「だいじょぶ?」  ノルがいう。 「うん、さんきゅ」  さぁ、早くとどめをささなくては。  ノル、キットン、そしてシロちゃんとわたしは、クレイたちのあとを追った。        6  はたして、池のほとりに彼はいた。  あれだけ切られながら、まだ立っている。  そして、血で重くなった黒いマントを引きずり、一歩一歩近づいてきた。  彼の回りだけがなぜか暗くよどんでいるように見えた。 「これほどわしを怒らせたのは、おまえたちが初めてだ……。|誉《ほ》めてやる。しかし、それを後悔しても……もはや遅いぞ」  そういうと、ふたたび変身しはじめた。  いやはや。そのすさまじいことといったら。  黒い髪《かみ》の一本一本がヘビのような太さになり、体中に巻きつく。  大きな地響《じひび》きをさせながら、体はどんどんふくれあがり、うきあがっていた血管は、丸い球形に変わり緑と赤の斑点《はんてん》になった。  最後には、巨大になったシロちゃんと同じくらいの大きさの大トカゲになってしまった。  そして、赤く先の割れた舌をペロペロと出しては、舌なめずりをしながらいった。 「さぁ、|誰《だれ》から先に喰《く》われたいか」  わたしたちは全員、気力体力ともに限界だった。  というより、|途方《とほう》にくれていた。 「でも……」  わたしはクレイをふり返った。 「あぁ」  クレイがいった。  わたしは「でも……やっぱりなんとかなるよね?」と聞きたかった。  しかし、気持ちとは裏腹に、みんなどんどん池のほうへ追いやられていく。  もううしろは一歩行くと池。  大トカグに変身した魔道師《まどうし》が、ゆっくりと最後のしあげを楽しむように近づいてくる。 「ぎゃぁー!」  シロちゃんを抱きかかえた、わたしの顔を赤い舌がなめた! 「しかたねーな」  クレイがロングソードを両手で握《にぎ》りしめていうと、 「んだな」  トラップがわたしのショートソードを取りあげながら答えた。  ふたり、死ぬ覚悟《かくご》で突っこむつもりだ。 「ノル、おれたちがなんとか時間をかせぐから、その間にこいつらみんなたのむぜ」 「クレイ! だめよ、どうしたってみんなやられちゃうのよ。だったら、わたしだって戦う」 「いーから。つべこべいわずに行けって」  わたしは胸がつまった。こいつら、最後まで結局、バカがつくほどキザなんだ。エーカッコシーなんだ。 「ばか!」  わたしがそう叫んだときだ。黒くたれこめていた雲のすきまから、ひとすじの光が差した。  光は他に反射し、キットンのオデコを照らした。  キットンがゆっくり空を見あげたとき、声がした。 「キットンよ。誇り高きキットン族よ。もう一度思い出すのじゃ。まやかしに惑《まど》わされることなかれ」  あれだ。ダンジョンのなかで聞こえた、あの声と同じだ。  トラップはわかったみたいだったけど、クレイもノルもあっけにとられている。いや、あっけにとられているのは彼らだけじゃなかった。大トカゲに変身した魔道師《まどうし》も驚いているようだった。 「鏡と鏡が出会うとき。真実の扉《とびら》、開かれん」  キットンは静かな声でそういうと、ふところから、あの古ぼけた手鏡を取りだした。  そして、池に映った大トカゲの姿を手鏡に映した。  なんだ、これは!  のぞきこんでみると、そこに映っていたのはやせ細った、みすぼらしい老人の姿だった。 「クレイ、この手鏡のなかの老人を、その剣で突き刺してください」  キットンにいわれ、クレイは首をかしげながらも、ロングソードをゆっくりと突き刺していった。  |不思議《ふしぎ》なことに、ロングソードはその手鏡のなかへ吸いこまれるように入っていった。手鏡の裏から突き抜けているわけでもない。まさに、消えていったのだ。  長い剣が半分以上鏡のなかに消えたとき、大トカゲも消えてしまった。後に残ったのは、さっきの魔道師。剣が三分の二以上消えたとき、さらにその魔道師も消え去った。  手鏡のなかに見えている老人と、まったく同じ。みすぼらしい男がうずくまっていた。 「わしは、わしは……魔道師になりたかっただけなのに」  そういったあと、さらに小さくなった。  しまいに跡形《あとかた》もなく消え去ってしまったとき、コロンと黒い玉がころがり落ちた。 「なんだ? これ」  トラップが拾いあげる。 「おい、シロ! もしかして、これ……」  トラップが黒い玉を高々とあげてみせた。 「あ! ホウギョクデシ!!」  シロちゃんの顔がパッと明るくなった。  そして、ジャンプ一番。トラップに抱きついた。 「ホウギョクデシ! これで、これで、おかあしゃんに会えるデシ」 「よかったな」 「うん! トラップあんちゃんありがとうデシ。それに」  シロちゃんはわたしたちをふりかえった。 「みなしゃん、ありがとうデシ」  宝玉は深い深い黒色に輝《かがや》いていた。大きさは、ちょうどトラップの手の平くらい。  その宝玉を抱きしめて、シロちゃんは泣いていた。 「この風呂敷《ふろしき》に入れて持っているといいわ」  ちょっと大きめのグリーンの風呂敷を広げ、宝玉を包む。そして、それをシロちゃんの首にくくりつけてあげた。 「これで、なくさないよね」  わたしがそういうと、シロちゃんは泣き笑いを浮かべ、コックリうなずいた。        7  シロちゃんの宝玉|騒《さわ》ぎが落ちつくと、急にみんな力つきたようにへたりこんだ。 「あの、じーさん。いったいなんだったんだ?」  トラップがいった。 「それより、さっきの声。あれ、なんだ?」  クレイがキットンに聞いた。  キットンはなにもいわず、ただニタニタと笑っているだけだった。たぷん、そう。あれはあの人なんだ。  わたしがキットンに笑いかけると、キットンもうなずいた。  キットンもわかったみたいだった。 「さぁ、とにかく帰ろう。ルーミィと本物のユリアさんが心配だもん。ミシュランさんも気をもんでるよ」  わたしはススだらけでホコリだらけ、おまけに切傷だらけの体をパンパンとはたいて、立ちあがった。そして、クレイを見て思いだした。 「そうだ。クレイ、|肩《かた》……血が出てるよ。傷口が開いたんじゃない?」  しかし、クレイの関心事は、自分の肩なんかではなかった。 「あ、おい。この剣、元通りになるんだろうな」  クレイが心底心配そうな顔を出した。 「さぁ?」  キットンは無責任な返事をした。 「さぁ? って……あのねぇ。これ、じっつぁまの形見《かたみ》なんだぜ」  今度は泣きそうな声。 「いいから、そろっと抜いてみりゃいーじやん。形見形見ってさ、おめぇんちの倉庫《そうこ》、剣だらけだったぜ。あれ、全部形見だろーが。なんなら、おれが抜いてやろうか?」  トラップがロングソードに手をかけようとしたら、クレイが足で突き飛ばした。 「いくらたくさんあろうが、形見は形見だ。代々|盗賊《とうぞく》のおめーなんかに、おれの気持ちがわかってたまるか。だいたい、なんでおめーがおれんちの倉庫《そうこ》のなか知ってんだ?」  トラップと話してると、みんな言葉が悪くなるみたい。  クレイは、これ以上ないってくらい慎重《しんちょう》にロングソードを手鏡から抜いていった。そして、剣は元通りクレイの手にもどった。    STAGE 8        1  わたしたちは、おたがいに体を支《ささ》えあいながら、ゼンばあさんの家へと急いだ。 「ルーミィとユリアさん、元通りになっているでしょうね」 「たぶん、だいじょうぶです……あ、ほらほら!」  キットンがわたしの肩をポンポン|叩《たた》いて、先を指さした。 「ルーミィ!!」  夕日に染まる森の小道をころがるようにかけてくる、小さな体。ペパーミントグリーンのジ ャンプスーツに、ふわんふわんのシルバーブロンド。 「ぱぁーるぅー!」  うれしさがあふれすぎちゃって胸が苦しくなるなんてこと、あるんだね。 「心配したんだからね」 「ルーミィねぇ、よくおばえてないんだよね。んだから、ほら、あの洞窟《どうくつ》でね……」 「いいの、いいの。もういいんだよ」 「ぱぁーるぅ、ごめんね」 「いーのいーの」  わたしはルーミィを強く抱きしめた。  シロちゃんは、わたしたちのまわりを小犬のようにかけまわった。|他《ほか》のみんなも感慨無量《かんがいむりょう》って感じで、わたしたちを見おろしていた。 「それで、どっか体の調子が悪いなんてことはないのか?」  クレイがルーミィのふわふわ頭に手をおいて聞いた。 「ぜんぜん!」 「そうか、よかったな」  わたしは、あのいびつなインプのようなルーミィをちらっと思いだした。こんなにあどけない子を操るなんて、どんな事情があったとしても許せない。だんぜん許せない。 「あぁ、みなさん、本当に本当にありがとうございます。おかげで、ヒールニントの温泉《おんせん》も元 通り、出るようになりましたよ」  ミシュラン老人の頬《ほお》にも涙が光り、その横にはピットが老人の手を握《にぎ》っていた。 「温泉が?」 「ええ、ええ。ゼンの家の裏にも風呂《ふろ》があるんですがの、これまで一滴も出なかったのが、いまやコンコンと湧《わ》きでております」 「それは、よかった。あの魔道師《まどうし》が災《わざわ》いしていたんですね」  クレイがそういうと、いつのまに来たのかゼンばあさんが相変わらず愛想《あいそ》のない顔でいった。 「あれは、魔道師なんかじゃありゃせん」 「魔道師じゃない?」 「そういえば、あの老人……。最後に『魔道師になりたかっただけなのに』っていってなかったっけ?」  わたしがいうと、みんなもうなずいた。 「ゼンさん、いったいどういうことだったんですか?」  キットンが聞くと、ゼンばあさんは少し表情をやわらげた。 「あいつはの、大昔からあの洞窟《どうくつ》に住んでおったクルラコーンじゃ」 「洞窟奥深くに住み、財宝を守るといわれるクルラコーンですか?」 「そうじや。あいつは宝玉を守るよう、ホワイトドラゴンからいわれておった」 「シロちゃんの宝玉ね!」  わたしが思わず叫ぶと、ゼンばあさんはジロッとこっちをにらんだ。ここは、だまって聞いてたほうがいいみたい。 「あの宝玉だけではなく、ドラゴンがもつ宝玉というのはわしらなどには想像《そうぞう》さえできぬほどの力があるという。しかもその力を自在に操れるのは、ドラゴンのみ。それなのに、あのクルラコーンめ、来る日も来る日も宝玉を守るだけがいやになってしもうた。いや、そうではない。心のなかに潜《ひそ》む悪魔《あくま》の誘惑《ゆうわく》に負けてしまったのじゃ。宝玉の力をもってすれは、恐ろしい魔力をもつ魔道師になれると思いこんだわけじゃ」  ゼンばあさんは、そういうとわたしたちをにらみつけた。 「わしらは、あのクルラコーンを他人事《ひとごと》のようにののしることはできん。ちょっと使い方を誤《あやま》っただけで、取り返しがつかなくなるはどの大きな力……、それがどれほどの誘惑か。実際あのクルラコーンも宝玉に念じるだけで、人も自然もおもしろいように操《あやつ》れたんじゃろうな。一度、その楽しみを知ってしまったら、もう最後じゃ。欲が欲を産む。たぶん、あいつにとって一番の誘惑は、自分自身を変えることができるということじゃろう」  ゼンばあさんが、いったい何を話したいのか、いまいちよくわからなかったけれど、みんななんとなく黙りこんでしまった。 「でもさぁ!」  沈黙を破ったのは、恐れ知らずのトラップだ。 「あんた、そこまで知ってたんだったらさぁ、どうして先にいってくんないわけ? それってさぁ、|卑怯《ひきょう》じゃん。自分は知らん顔決めこんどいてさ、おれたちにさんざんひでー目にあわせておいて。んで、説教かよ!」 「トラップ、ちょっと口がすぎるぞ。しかし、こいつのいうことももっともだ。最初から知っていれば、もうすこし考えようもあったはずだ……。どうして教えてくださらなかったんですか?」  クレイがいった。  たしかに、そういえばそうだなぁ。  しかし、ゼンばあさんは「フン」という顔でくるりと背を向け、スタスタと家のほうへもどっていった。 「おい、逃げるのかよ! ちょっと旗色《はたいろ》が悪くなるとこれだからな」  くってかかるトラップを、ノルが制した。 「あんだよ! 放せ、おれはがまんできねー。納得《なっとく》いかねーよ」 「パステルたちが帰ってくる前、あのユリアさんに化けたあいつと、ゼンさんが話しているの、聞いた」 「え? どういう話だったの?」 「ゼンさんほ、口止めされてたんだ。森の平和、引きかえに」 「森の平和?」  ノルのボツ、ボツ、と切れる話を総合すると、こういうことになるらしい。  年をとってしまったゼンばあさんには、あいつを制することができなかったようだ。でも、自分がずっと守り続けてきた、この森だけはあいつに荒されたくなかった。それで、取り引きをした。やってくる冒険者《ぼうけんしゃ》たちに偽物《にせもの》の地図を渡したりして協力するかわりに、森には手を出すなって。 「え? じゃあ、このマップ……」  わたしはあわてて、リュックからゼンばあさんにもらったマップを取りだした。 「やっぱワナだったんだぜぇ、おかしいと思ったんだ」  トラップはまっ赤になって怒った。 「あ、クレイ! 聞いて聞いて。トラップったらねぇ、ワナだとも知らずに何回も宝箱を……」 「わ、バカ! おめぇー、それ以上いうと」 「あっはっはは……わかったわかった、今はいわない。クレイ、後でね」  あははは、そうだそうだ。トラップはダンジョンに入ってすぐにあった偽物の宝箱を何度も何度も取りに行ったんだった。 「くそ、あいつめ。偽物のマップを渡すなんて、ふてぇ野郎だ」 「ま、しかたないじゃん。いろいろとわけがあったんだから」  わたしは、ブックサ文句をいうトラップをなだめた。  すると、今まで黙ってようすを見ていたミシュラン老人が、 「わたしからも謝りますから、許してやってくだされ。あのばあさん、|愛想《あいそ》はないが……決して悪いやつではない。この森を守るのにせいいっぱいだったんだと思います」  そういって、深々と白い頭を下げた。  こうなっては、さすがのトラップも、なにもいえなかった。  そのとき、クレイが山の方角を指さしていった。 「おい、あれはなんだ?」  見ると、何百もの白く光るものが、すぅーつと空のかなたへと昇っていた。 「わぁ、きれい」 「ウィスプか?」 「きっと……あのさまよえる魂たちですよ」  キットンが空を見あげたまま、おごそかにいった。  夕暮れに染《そ》まる雲にとけこんでしまうまで、みんな静かに白い光を見送った。ピットの頭に手を置いて、空を見上げるミシュラン老人の姿がとても印象的だった。 「そうだ、ユリアさんは?」  わたしが聞くと、ミシュラン老人が答えた。 「目が覚《さ》めたユリアさんは、これまでのいきさつを聞いて、大急ぎで家へ帰りました。父親の村長が犯《おか》した過ちを知らせるために。きっと今ごろ、|祝賀会《しゅくがかい》を用意していることでしょう。ひと休みしたら、村へもどってくれといってました」 「しゅくあかいって、なに?」  ルーミィが聞いた。 「あのね、たぶん、ごちそうとかでるんだよ」 「わーい、ごちしょー? ルーミィ、おなかべっこぺこ!」        2  ヒールニントはよみがえった。そこここから、白い蒸気が吹き出し、|硫黄《いおう》の臭《にお》いが充満《じゅうまん》している。  わたしたち一行が山から降りたころは、もうとっぷりと日も暮れていたが、村人たちは歓声《かんせい》をあげて迎えてくれた。  顔じゅう、しわしわにして笑っているおじさん。エプロンで目を押さえているおばさん。わけがわからないなりに、飛びはねている子供たち。たぶん、あの男の子も、あの男の子も。ピットと同じようにイケニエの候補《こうほ》になるはずだったんだろう。  でも、こういう経験って初めてだった。  モンスターに盗まれてしまった王様の時計をとりかえしにいったとか。町のまわりをうろつく不良モンスターを退治するとか。およそちっぽけなクエストしかやったことがない。そのうえ、ちゃんと成功した試《ため》しもなかったし。  小さな感謝はされたこともあるけど、こんなに手放しで、村中の人から感謝されるなんてこと……。 「おい、来たときとは、ぜんぜんちがうな」  クレイがわたしの肩をひじでつついた。 「うん、なんか感動だね」 「|冒険者冥利《ぼうけんしゃみょうり》につきるってか?」 「うんうん、いーもんだね」  そして、あのでっぷり太った村長が、偉そうな態度のままに現れた。 「まぁ、こんなことだろうとは思っていたんだがな、村長という立場上万が一を考えておかねばならんしな……あぁーだからまぁわるく取らんでくれ」  なんてかわいくないじーちゃんだこと! ちったぁ「すなお」とか「|潔《いさぎよ》さ」とかあってもいいんじゃないか?  しかし、ミシュラン老人がそんなわたしたちの表情をくんだのか、 「あいつとしてはあれで精いっぱいなんでね。|勘弁《かんべん》してやってくだされ。後でゆっくりいたぶってやりますから」  小声でそういって、パチンとウィンクしてみせた。  村長の横に、ユリアさんがやってきた。  クレイが息をのむのが、となりのわたしにはわかった。  たしかに、息をのむほどきれいだった。うすいピンクのドレスを着て、ニコニコと笑っている。ちょっとすごみを感じた、あの愁《うれ》いをおびた美しさとはちがって、今の美しさは健康美そのもの。  ちゃんと、左目の横にほくろがある。まちがいなく本物のユリアさんだ。 「みなさん、わたしたちを救ってくださって……なんとお礼をいっていいかわかりませんわ。まさか悪者がわたしの姿を借りて、父や村の人たちをあざむいていたとは」  わたしは、ポカンとしているクレイのうでをつっついた。 「え?」 「え? じゃないわよ、なにかいえば?」 「なにかいうって……いいよ、おれは。|殊勲者《しゅくんしゃ》はパステルたちなんだからさ」  クレイは顔をまっ赤にして、そういった。  そうよねぇ、クレイはニセモノとはいえ、ユリアさんに愛の告白されちゃってるんだから。意識するなってほうが無理だよね。あーしかし、当のユリアさんとはぜんぜん関係ない話だからして。かわいそー。  わたしたちのようすに、ちょっと首をかしげたユリアさんは、わたしの腕をとって、いった。 「さ、わたしたちに、できるかぎりのもてなしをさせてくださいな。どうぞ、広場のほうへ」  広場はにわか作りの祝賀会場《しゅくがかいじょう》となっていた。会場のまんなかに大きな焚火《たきび》があって、みんなのうれしそうな顔を照らしていた。 「なにしろ、急なことで。料理が整うまでのあいだ、音楽でも聞いてくつろいでいてくださいね」  ユリアさんが、そういって合図すると、村人たちが編成《へんせい》した楽団が陽気な音楽を演奏しはじめた。リュートやバイオリン、それから小さな太鼓《たいこ》。焚火の前で演奏《えんそう》される、音楽はとてもとてもあったかだった。  わたしたちは、用意された席に座って、お互いの無事《ぶじ》をふたたびたたえあった。  いやぁ、ほんと。なんとかなるっていうのが、わたしたちのモットーではあるけどさ。今度ばっかしは、もしかしたらアウトかなぁって思ったもんだ。レベル以上の冒険《ぼうけん》だったもんね。  料理が運ばれはじめると、急におなかがすいてきた。そういや、そうだよなぁ。ダンジョンへ向かったのって、|昨日《きのう》の朝でしょ? んで、ダンジョンに一泊して……まともに食事してないじゃん。いや、あの黒い鏡があったとこで食べた覚えもあるけど……。いやーもう忘れた忘れた。  あれ? 忘れたといえば……。なんか忘れてないか?  わたしは急に心配になってきた。 「ねぇ、クレイ」 「あぁ?」 「なんかさ、忘れてないかな」 「なにが」 「ううん、なんとなくなんだけどね。なんか大切なことを忘れているような気がするのよね、わたし」 「気のせい、気のせい。さあ、飲もうぜ!」  だめだ。なんかクレイったら、失恋(?) のショックからか、やたら飲みまくってて……ああ、ああ、トラップと踊りはじめちゃった。ま、いっかぁ。よっぽど大切なことなら、またそのうち思い出すだろー。 「よぉーし。ルーミィ、わたしたちも踊ろう!」 「おどりょー!」  ルーミィと踊りはじめたとき。 「えっへら、えっへら、ひゃっはっはっは……」  なんとも気のぬける、へんてこな笑い声がした。  あんまりへんな声だったから、みんな踊るのをやめた。  見ると、クレイがたおれている。 「ク、クレイ! どうかしたの?」  急いで、クレイを抱きおこすと……。 「ひっひっひっひ……」  なんともしまりのない顔。口をだらぁっとあけて、あぁあぁ、よだれなんかたらしてる。焦点のさだまらない目。 「い、いったい……」 「へっへっへっへ……」  だめだ、ふつうじゃない。 「どうかしたんですか? あっ……クレイさん……」  ユリアさん、クレイを見るなり両手で口を押さえ、立ちつくした。 「リズーの笑い病じゃ。やっぱり発病されたんですのぉ。あぁ、おいたわしや……わたしどもを救ってくだすったばっかりに」  ミシュラン老人もかけつけ、そういった。 「あぁー! そうかそうか」  わたしは思わず大きな声をだしてしまった。 「なんか忘れてると思ってたのよ。これだ、クレイのケガだ」 「キットンの奴《やつ》、この病気に効《き》くとかいう薬草、取ってたじゃねーか」  トラップが青い顔でいった。 「そ、そうなんです。ミシュランさん。あのゼンさんがくれたマップ、あれ、最初のほうはおかしかったけど。たしかにあったんですよ、|不思議《ふしぎ》な色の薬草が」 「それは、よかった。さぁ、手遅れにならないうちに、その薬草をせんじて飲ませてあげなさ れ」 「キットンは?」  そういえば、さっきからキットンの姿がみえない。 「くそ、|肝心《かんじん》なときにいねーぜ。んじゃ、おれ、ひとっぱしり捜《さが》してくっからよ。あと頼んだぜ」  そういうと、トラップはひらり、どこかへ消えていった。  いつもは、|口喧嘩《くちげんか》ばかりやってるふたりだけど。トラップって、やっぱクレイの親友なんだな。  しばらくして、トラップにひきずられるようなかんじで、キットンがエヘラエヘラとやってきた。 「あぁ、やっぱり発病しちゃったんですか」 「キットン! ねぇ、早く。あの薬草。せんじてよぉ」 「いや、そういわれてもですね。そんなに急にはできませんよ。えっと、まず乾燥《かんそう》をじゅうぶんさせて……まぁ、一週間は乾燥させてですね」 「ん、も——!! そんなこといってたら、クレイ……」 「てめぇ、ざけんなよ」 「きゃ、や、やめてください」  トラップがキットンの首根っこをつかんで、自分の目の高さまで持ちあげたとき。 「まぁ、まぁ、待て待て」  いつのまにやってきたのか、ゼンばあさんがそういってトラップを制した。 「あの薬草なら、わしの家にある。ちゃあんとせんじてな」 「おめぇ、んだったら、最初っからそう……うぐぐぐ……」  ここで、ゼンばあさんにヘソをまげられてはかなわない。  わたしは、トラップの口をふさぎながら、 「お、お願いします。わけてやってください」  と、いった。 「ひゃっはへっへっへっはっはっは……」  クレイの、まのぬけた笑い声が響《ひび》きわたった。  あったま、いたぁー。        3  それからまるまる一週間。わたしたちは湯治《とうじ》をきめこんだ。  ゼンばあさんがくれた薬草は特別|効《き》きがよいのか、クレイは二、三日ですっかりよくなり、|肩《かた》のケガも完治《かんち》した。  と、いっても……心の傷はかなり深いみたい。なにしろ、あの発作《ほっさ》が起こっているあいだのこと、ぜんぜん覚えてなかったんだもんね。 「よっ、笑顔のにあう、いい男。飯食いいこうぜ」  なんちゃって、トラップがいちいち傷口をウリウリ掘りかえすもんだから、しばらく笑いもしなかったし、ほとんどしゃべんなかった。  そうそう、あのプルトニカン生命とかいう派手な保険屋のヒュー・オーシ。あいつがまたまた現れた。んでもって、心の傷にさいなまれ、ほとんど世をすねまくってたクレイの耳元でまたまた、 「いやぁ、ファイターの旦那《だんな》。なんかリズーの伝染病をうつされて? それでもってごていねいに発病までしちゃったんだって? だからほれ、プルトニカンスペシャルにあんとき入っりゃぁよかったんだ。プルトニカンの指定病院での治療《ちりょう》が半額になったっつぅのに」  などとわめいたもんだから、クレイの落ちこみったらなかった。しかし、あのヒュー・オーシってのも結局|暇《ひま》なんだな。なにかっちゃ現れて、さ。  それから、あとで、キットンに聞いたんだけど。わたしが思ったとおり、あの不思議《ふしぎ》な声の主(だから、黒い鏡の謎やクルラコーンのまやかしを解《と》くヒントをくれた)というのは、ゼンばあさんだったそうだ。  キットンとゼンばあさんって、元々同じ種族、キットン族なんだって。  キットン族っていうのが、なんなのか。それは、キットン自身もまだわかってないみたいだけど、ゼンばあさんのいうところでは、そのうちおいおい思いだしていくんだそうだ。  まぁそういうことで、クレイも元気になり、わたしたちの疲れもとれ、いつ出発してもよかったんだけど。長老、ユリアさん、それからミシュラン老人や村人たちみんながあと一日、あと一日ってかんじで引きとめてくれるもんだからして。ついつい長居してしまったのだ。  だって、朝から晩までいたれりつくせり、ごちそうづくし。日ごろあんまりいいもの食べてないわたしたちとしては、なにものにも代えがたい誘惑《ゆうわく》だった。  さて、シルバーリーブのみすず旅館のおかみさんも、さぞかし怒っていることだろうなぁ……(いや、実際。そうとう怒ってるはずだ)と出発を決意したときにほ、ほとんどみんなほうけた顔になっていた。  いよいよ出発という朝。村人たちは熱烈に見送ってくれた。 「また、近くにいらしたときは、必ず立ちよってくだされ」  ミシュラン老人が、わたしたち全員の手をかわるがわるにぎりしめていった。 「ボクも大きくなったら冒険者になろうかな!」  ピットがそういって、ルーミィを見つめた。もしかしたら、ルーミィくらい小さな子でも冒険ができるんだからボクだって……なんて思ったのかもしれない。 「わたしたち、いつでも大歓迎ですから。忘れないでくださいね。なにか困ったことでもおきたら、ぜひわたしたちのことを思いだしてください」  ユリアさんも、にこにこほほえんでいった。  わたしたちは、|温泉水《おんせんすい》と村の人たちの心づくしをノルの引く大八車《だいはちぐるま》いっぱいにして出発した。心づくしっていうのは、シルバーリーブまでのお弁当や子供たちが作ってくれた花束、ヒールニント名物の温泉まんじゅうやら……とにかくいっぱいである。  しかし、わたしたちには、村のみんなと別れる以上につらい別れが待っていた。  そう、シロちゃんとの別れだ。  本当なら、とっくの昔に別れていなきゃいけない。たぶん、あのクルラコーンを倒したあたりで。  でも、別れたくない気持ちが強くってずるずると引きのばしてきたのだ。  なんとなくシロちゃんを見つめ、それから山をふりかえって見た。 「シロちゃん……。ほんとに、なんていっていいかわかんない、くらいに……」  そこまでいったとき、わたしは涙があふれ、のどをつまらせてしまった。 「そうだよな。シロがいなきゃ、今回おれたちアウトだったかもしれないもんな」  クレイがそういった。  ノルとキットンは、だまって見つめている。  ルーミィは、シロちゃんとすっかり友達になってしまって、いまもシロちゃんの首にしがみついている。そして、しめっぼくなったわたしたちを不思議《ふしぎ》そうに見あげていた。  トラップはというと……。プイッと向こうを向いて、手をふりまわしたり、なんか石っころでもけっとばすようなそぶりをしたりしている。石なんかないのに。 「シロちゃん、さよならってわけじゃ……ないよね。また……会おうね」  わたしは、もう目と鼻の頭がまっ赤になってたと思う。 「しおちゃん、どっかいきゅの?」  ルーミィが聞いた。 「シロはさ、山のダンジョンへ帰るんだよ」  クレイが答えた。 「やだ、やだぁー! しおちゃん、どっこもいきゃないよ」  ルーミィは大きくブルーアイを見ひらいて、かぶりをふった。 「そんな聞きわけのないこと、いうんじゃない」 「やだあ、やだぁ! ぜったいやだー」  しかし、当のシロちゃんは、ルーミィにしがみつかれたまんま、|不思議《ふしぎ》そうな顔でこっちを見上げて、いった。 「ボク、どっかいくデシか?」 「え?……だって、おまえ。山に帰るんだろ?」 「山デシか? じゃ、みなしゃんとバイバイデシか?」 「そうだよ。いや、べつにおれたちはいっしょにいたいけどさ。だけど、帰んなきゃいけないんだろ?」 「そんなこと、ないデシ」  シロちゃんは、いかにも当然というかんじ。  わたしは、ちょっとあまりに急で信じられない反面、うれしくってうれしくって、顔が笑ってしかたなかった。  見るとみんなそうだ。 「じゃ、これからどうするんだ? おれたちといっしょに冒険《ぼうけん》するつもりなのか? もうわかったと思うけど、危険とか多いしさ。おれたち、あんまり金持ちでもないし、レベルも低いし。けっこうつらいぜ」 「クレイ、それ以上いうとみじめになるってば」 「いや、しかし。こういうことはちゃんとだな」 「シロもくる。これで決まりなんだろ。さっさと行こうぜ。日が暮れちまわぁ」  トラップはそういうと、ピョンピョンはねながら先に行ってしまった。 「行くデシ」  その後をシロちゃんが、とっとこ追いかけていった。  わたしたちは顔を見あわせ、思わず吹きだした。 「ま、いっかぁ」  と、クレイ。 「そそ、なんとかなるんじゃない?」  と、わたし。 「しょしょ、なんとかなりゅんじゃない?」  ルーミイが得意そうにわたしの口まねをしたもんで、またまた大笑いしながらわたしたちもゆっくり後を追いかけた。        4  わがなつかしの(といってもたったの二〇日くらいしかたっていないんだけどさ)シルバーリーブに着いたのは、それから五日後。  まずはみすず旅館にいき、借りていた四一〇〇Gをそっくり返金しにいった。  そうそう、いいわすれていたけど、あのイヤったらしいヒールニントの村長から、なんと二万Gも礼金としてもらっちゃったんだ。もちろん、本人ではなくユリアさんが代わりに渡してくれたんだけどね。あの村長さんって……もしかしたらいい人なのかもしれない(現金だよね、わたしも)。  そのうえ、これからオーシのところにいって持って帰った温泉水《おんせんすい》を売るんだから、当分はリッチなはず。  みすず旅館のおかみさんは、わたしたちの顔を見るなり、泣きだしてしまった。ヒールニントでの冒険《ぼうけん》は、とっくの昔に知れわたっていたのだ。  でっぷり太った大きな体をユサユサゆらしながら、トラップにしがみついたもんだから、トラップの困ること、困ること。 「よくも、まぁ、|無事《ぶじ》でよかったわぁ……あたしゃ、あんたらが死んじまったのかと、そりゃぁ心配で心配で。夜も寝られなかったんだ。ねぇ、あんた」  大急ぎで外に出てきた旅館の主人(こっちは、ひょろひょろした細い人)もニコニコしながら、うなずいた。 「これ、お借りしてた四一〇〇Gです」  わたしが、そういってお金を手わたすと、おかみさんはぐずぐず鼻をかみながらも、しっかり受けとった。 「また、うちに泊まってくれるんだろ?」 「ええ、お願いします」  そういいながら、わたしは頭のなかで計算した。  一日五〇〇Gだろ? 一〇日で五〇〇〇。二〇日やそこらは旅館ぐらしができるぞ。いやしかし、貯金もしておきたいし、そうそうなまけてるわけにもいかないだろうなぁ。それに、そろそろみんな装備《そうび》をバージョンアップしたいだろうし。いつまでも竹アーマーじや、クレイもかわいそうだしなぁ。と、するとそんなにリッチってわけでもないや。……ふうむ。 「おい、なにひとりでブツブツいってんだ? とりあえず、荷物を降ろそうぜ」 「あっ、そ、そうだね」  クレイにコツンと頭をこづかれ、わたしはわれにかえった。  家計を預《あず》かる身とはいえ、まだ一六なんだぞ。なんかだんだん所帯《しょたい》じみてきてないか?        5  ひとごこちついてから、オーシのところへ温泉水を持っていった。 「さぁ、見ていらっしゃい。寄ってらっしゃい! 命をはっての大勝負。|冒険者《ぼうけんしゃ》なら一度はやってみたいってぇ、すげぇクエストから、行きがけの駄賃《だちん》にちょいとひとあばれ、経験値|稼《かせ》ぎにゃ手ごろなクエストまで。いろいろ品がそろってるぜ。えぇ? そこのレベル一〇くれぇのにいちゃん、見てかねーかい?」  ラッキー堂の看板《かんばん》もニギニギしく、聞きなれたバカでかい声。  その声がピタッと止まった。 「おい、おめぇたち。なんだ、|無事《ぶじ》だったのか」  そして、ノルの引く大八車に山積みされた温泉水を見て、おなかをかかえて笑いだした。 「ぎゃっはっはっは……。おめぇたち、なんでもヒールニントで、えれぇクエストやってたって聞いたが、そのまぬけっつらはかわんねぇなぁ」 「オーシ、そりゃねーだろ。せっかくこうして、約束も忘れずに重い荷物持ってきてやったっつーのによ」  というトラップ。大八車なんかぜんぜん押してないのにね。 「まあまあ、そういいなさんな。おれ流のほめ言葉なんだから」 「どっこがぁー!」  と、わたし。 「どっきょがぁー!」  と、ルーミィ。 「ひゃっはっはっはっは。なんにしても、よかったよかった。んで? ずいぶんむずかしいクエスト成功させたっつぅ話だけど。んじゃさぞかし経験値もガバガバ稼げて、レベルもポコポコ上がったんだろうな。いや、なに。ほれ、あの約束のクエストさ。正直いって、あんたらのレベルじゃムリだろうってんで、心配になってさ」 「!!!??!!」  オーシにそういわれて、わたしたちはギョッとなって顔を見合わせた。  それから、あわてふためいて自分の冒険者カードをチェックしてみた。 「げっげぇ——!」 「なによ、これぇ」 「ぜんぜん上がってねぇじゃねーかぁ」  そうよね、そうよね。だって、あれだけのモウンやらスネークフライやら倒して、そんでクルラコーン倒して……クエストも成功させて。そんでもって、考えたら、だれひとりレベルアップしてないもんね。 「なんで、こうなるわけ?」 「|詐欺《さぎ》だ。このカード、バグってるんじゃねーのかぁ?」  わたしたちがさわいでいると、キットンがニコニコしながらいった。 「みなさん、まぁ静粛《せいしゅく》に」  みんな冒険者《ぼうけんしゃ》カードを手に持ったまま、キットンを見た。 「えー、オホン。えーっとですね。わたくし考えますに。モウンもスネークフライも、あのクルラコーンが作りだした幻想《げんそう》……というか、まやかしというか、そういうもんでしたよね。だいち、あのクルラコーン自体、恐ろしい魔道師《まどうし》でもなんでもなかったわけで。まやかしっていうもんは、|実在《じつざい》しないもんですし。まぁ、ですから、経験値なんぞというもんはもらえないと。こういうことではないでしょうか」 「そ、そんなの、ありかよ!」  クレイが叫んだ。 「しょーもなぁーい」  わたしも、その場にガックリ、ヒザをついた。 「しょーみょにゃーい」  ルーミイも、わたしの横にヒザをついた(ただし、この子はあんまりことの重大さをわかってない)。 「ちぇっ、骨折り損のくたびれもうけなわけね」  トラップは空を見あげ、大きくため息《いき》をついた。  ただ、ノルだけはだまってほはえんでいた。  シロちゃんは、とうぜんポカンとした表情。  しばらく、沈黙があったあと。 「ガァッハッハッハッハッハ……」  またもや、気分をさかなでするような大声で、オーシが笑いだした。 「お、おめぇら、ひっひっひ……死ぬような思いして……なに? レベルの一個も上がってねーのか?……ひ——っひっひ」 「オーシ、あぁた、さっきレベルが低いと困るから心配してたっていってなかった?」 「いや、いや、すまん。その、あーなんだ。……おろっ? その白い犬っころみてぇなやつ、そいつぁなんだ?」 「シロちゃんっていって、あ、これはわたしが勝手につけた名前なんだけどね。ダンジョンのなかで出会ったホワイトドラゴンの子供よ」  わたしがそういうと、オーシはピタッと笑うのをやめた。  急に顔がマジになって、シロちゃんを子細に見て、ふう——っとため息をついた。 「おめぇら、もしかしたら……とんでもねー運があるんじゃねえのか? 経験値がどうの、レベルがどうのいってる場合じゃねーぞ。ホワイトドラゴンの伝説《でんせつ》ってのは聞いたことがあるな?」  と、わたしたちをぐるりと見わたした。 「伝説?」 「なんだ、知らねーのか?」 「うん……クレイ、知ってる?」  クレイは、だまって首をかしげた。 「あきれたもんだな。おめぇら、|冒険《ぼうけん》もいいけどよ、経験値|稼《かせ》ぎもいいけどよ。ちったぁ勉強でもしといたほうがよかねーか? 図書館っつうもんもできたっていうじゃねーか」 「説教はいーからよ、先続けろよ」  トラップがどなった。  オーシは一瞬《いっしゅん》なにかいいかけたが、首をふって、またシロちゃんを見た。 「この白いのが、そうかどうかは知らねぇ。しかし、ホワイトドラゴンっつうのはな、別名『幸いの竜《りゅう》』とも呼ばれる、|幻《まぽろし》のドラゴンよ」 「あ、知ってる! 前に読んだ、エンデの『果てしない物語』に出てきた」 「うむ。まぁ、その物語もきっとホワイトドラゴンの伝説《でんせつ》が元になってるんじゃねーかなぁ……。ともかくよ、この白いのは同行するパーティに、とてつもねー強運をもたらすといわれてる。おめぇら、ぜったい手放すんじゃねーぞ。それから、こいつのことをあんまりふれまわっちゃなんねぇ。いーな。横取りしようってやからが、でてくるに決ってるんだからな」  わたしは、なんだかドキドキしてきた。  みんなも、さっきの『経験値あがってないよ事件』のことなんか、すっかり忘れたような顔になっていた。        6 「さて、と。その約束のクエストだが、いつ出発する?」  オーシが聞くと、トラップが待ったをかけた。 「その前に。この温泉水《おんせんすい》、いくらになるんだ。払うもんは、払ってくれよな」 「あ? あぁそれか。そうだな。ま、いいとこ、ひと瓶《びん》五〇だな」 「けっ、よくいうぜ」 「そうよ、そうよ。これまでヒールニントは温泉がぜんぜん出なかったんだからね。もっと高いはずよ」 「ひと瓶、二〇〇」  トラップが、指を二本たてていうと、今度はオーシが、 「けっ」  と悪態《あくたい》ついた。 「それじゃ、利益でねーよ。しろうとが」 「どれくらい苦労したか考えろよな、ったく。二〇〇でも安いくらいだ。ビタ一文まけねーぜ」  トラップって、どうしてこうお金のことになると、ハンパじゃないわけ? 特にこういう交渉《こうしょう》となると、目つきがぜんぜんちがう。  わたしは得意じゃないから、助かるけど。いやいや、わたしだけじゃない。うちのパーティって、|他《ほか》全員|苦手《にがて》なのよね。 「わぁった、わぁった。おめぇには負けたぜ。じゃあ一〇〇で買ってやろう。こいつぁ、おめぇたちだけだぜ。あ、いっとくがな。この近辺で温泉水《おんせんすい》引きとるのは、おれだけだからな。その重い荷物と早く別れたいだろうが」 「けっ、ごーつくばり!」 「へぇへぇ、ごーつくばりけっこう。それじゃ、決まりだな。んで? 何本あるんだ?」 「八〇本」  と、わたしがいった。  出発したときには空き瓶《びん》、一〇〇本近くあったんだけど、なんだかだで割れてしまったのだ。 「じゃぁ、八〇×一〇〇で、八〇〇〇か! こいつぁ驚《おどろ》いた。おめぇら、急に金持ちになったじゃねーか。そんじゃ、手え出しな。ひーふーみー……」  ほっほー。八〇〇〇? じゃ、手持ちとあわせて二万三九〇〇?  す、すごい……。  わたしは感動にうちふるえながら、汚くよれよれになったお札をオーシから受けとり、ちゃんとあるかどうか、クレイにたしかめてもらった。 「さてと。交渉も無事《ぶじ》成立したし。あの約束のだな……」  オーシが例の『レベル一八でも歯がたたない、|幾多《いくた》のパーティが挑《いど》んでは失敗したという、とてつもないクエスト』の話を始めようとしたが……。 「その話は、また今度っつーことで」  わたしたちは、さっさか引きあげだした。 「あんな大変な思いをしたっていうのに、またむずかしいクエストに挑戦《ちょうせん》なんて、するわけないじゃん」 「そりゃ、神への冒涜《ぼうとく》だぜ」 「だいそれたふるまい、だよね」 「身分|不相応《ふそうおう》」 「|猪鹿亭《いのしかてい》か?」 「そそ、まずは乾杯《かんぱい》しよ」 「乾杯デシか?」 「冷たいビールをきゅっきゅっーってね」 「きゅっきゅぅー!」  みんな好き勝手なことを、いいながら猪鹿亭へ向かった。 「やっほー、パステルじゃない!」 「あ、リタ!!」  ちょうど通りかかったのは、猪鹿亭のひとり娘、リタ。 「きゃー、いつ帰ったの?」 「さっきいー!」  わたしとリタが抱きあって、ぴょんぴょん跳《と》びはねていると、オーシのでかい声がメインストリートいっぱいに響《ひび》きわたった。 「おい、てめぇら。話がちがうじゃねーか!」                                      END  あとがき  パステル、クレイ、トラップ、ルーミィ、キットン、ノル。  彼らは、わたしの夢《ゆめ》のなかで生まれました。  小さなころから夢みがちだったわたしは、|空想《くうそう》の世界の人々や夢のなかに登場する人たちをよく覚えているんです。友達の電話番号なんかはすぐ忘れてしまうくせにね。  そのうえ、わたしは想像《そうぞう》の世界の人たちと話をするのが好きな……いま考えると、ずいぶん変わった子供でした。配達した牛乳を入れるポストみたいな箱が家の玄関にあったんですが。そういう人たちに宛《あ》てて手紙を書き、そのポストに入れたりしたのを覚えています。  ある日、母がそれを見つけ、父に見せようとしました。あんなにはずかしかったことは、その当時としてはなかったんじゃないかな。|必死《ひっし》で抵抗《ていこう》し、泣いてすがりましたが、両親はおもしろがって読んでしまいました。  どれくらい傷ついたかわかります? 残念ながら母はすでに天国へと旅だってしまいましたが、父はこれを読むと思います。でも、きっとぜんぜん覚えていないことでしょう。だって、その手紙を書いたころ、わたしはまだ幼稚園に通っていたくらいで、どう考えても字が書けたとは思えないからです。たぷん、わたしにしかわからない記号のようなものが紙いっぱいに書かれていただけです。でもね、想像の国の人たちは読んでくれてたんだって空想してみるとなんだか楽しくありませんか。  こんなことを書きましたが、わたしは父や母、それから弟にとても感謝しています。多くの友達にも。  音楽や絵画や物語や動物などが与えてくれたものも大きかったけれど、今考えると、それを与えてくれたり、またはそういうものを楽しむ環境《かんきょう》を与えてくれたのは両親だったりするわけです。そういうことに気づくのって、どうしてこうも時間がかかるんでしょうか。  わたしは楽しむことが大好きですから、パソコンやファミコンにもドップリつかってしまっています。皆さんもご存じのドラゴンクエスト、あのゲームも大好きで、一時は寝ても覚《さ》めてもドラクエ…という毎日でした。  仕事をしながらも「いったい金の鍵《かぎ》はどこにあるんだろう……もしかしたら、あそこかな?」などと考え、いい考えを思いつくと、足で歩くのももどかしいくらいに、空気をかき分けかき分け泳ぐように家路《いえじ》を急いだものです。  ドラクエに限らずゲームをしているときは、頭のなかにもうひとつの世界ができてしまうんですよね。 「スライムが出てきちゃったよぉ……つたくさぁ、おれたちレベル三〇だぜ? ふつうノコノコ出てくるか?」 「んで、どうする」 「無益《むえき》な殺生《せっしょう》したってしかたないわ! そんなのほっといて行きましょうよ。それより、クッキー。わたしの体力回復してくれない?」 「ちぇ、自分でやればぁ?」 「やだ。私のマジックポイントはあなたと違って戦いにこそ備《そな》えるべきなんですからね」 「もー、ワガママ娘!」 「なによ、ホイミ王子」  ……なぁーんていう会話がドンドコ浮かんできちゃうんです。  たぶん、だからこのフォーチュン・クエストもそういう冒険《ぼうけん》の世界のひとつなんでしょうね。  正直いって、このフォーチュン・クエスト、わたしもいったいどうなっていくのかわかりません。どうしようもなく能天気《のうてんき》なメンバーたちだけど、果してちゃんと冒険者として成長していけるんだろうか……。いやはや、作者としてはかなり心もとないんですよね。  こんな無責任な作者ではありますが、ぜひお便りをください。続きを書き続けるマジックポイントを補充《ほじゅう》してくださるのは、みなさんなんですから。  最後に感謝のメッセージを。美青年にみまがうばかりの、じゅんけ姉。彼女こそフォーチュン・クエストの母かもしれません。編集として、単純な作者をあるときはおだて、あるときは軽く脅《おど》し……なにより一番の愛読者でいてくれたことを心から感謝いたします。イラストを担当してくださった、漫画家の迎さん。彼女が描いてくれたパステルたちは、やがてわたしのなかで同一化していき、彼女のセンスの良さは、わたしのとてもいい刺激《しげき》になりました。わたしがライターの道にひきずりこんでしまった岡崎久美ちゃん。校正の苦手なわたしを助けてくれて、ほんと助かりました。弟の千尋君。彼はわたしの創作活動を文字通り生まれたときから支えてくれました。よき友、山口圭さん。フォーチュンクエストを朗読してくれ、続きをせがんでくれたことが今につながっていると思います。  そして、ここまで読んでくださった皆さんに、心からの感謝を捧《ささ》げます。ありがとう!                                  深 沢 美 潮